TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

「梅原猛の授業 仏教」から~人生に大切な仏教道徳4選!

先日梅原猛の授業 仏教」という本を読みました。

 

日本における仏教の歴史ですとか

各宗派の成り立ち仏教的なものの考え方などが大変わかりやすく紹介されておりまして

心に響く部分も多くもありましたので

今回はその中でも特に

「なるほど~…」

と思った部分をご紹介したいと思います。

 

 

この本はタイトルにもあります通り

哲学者の梅原猛先生(1925-2019)

2001年に京都の洛南中学校という仏教系の学校で、三年生の生徒たちに対しておこなった授業の内容を収録したものです。

 

中学生向けにやさしい言葉で

仏教という宗教が

日本において、どういう存在なのか

非常に理解しやすい形で解説されています。

 

洛南中学校は真言宗に基づく仏教系の私立学校で、東寺の境内にあるそうですが

生徒さん達がディスカッションしている所など、皆さんものすごくシッカリした論理をお持ちで

ちょっとビックリしてしまいました。

 

宗教や哲学に関する本を手に取る時、私は

「生きて行く上で自分のためになるような何かがほしい」

と思いながら読むことが多いのですが

 

この本の中では梅原先生が

「生活に生きる仏教の道徳」というテーマで

とても良い事を語っておられました。

 

 

仏教で語られる道徳というと

有名なものとして

「八聖道(はっしょうどう)」

六波羅蜜(ろくはらみつ)」などがあげられます。

 

 

八聖道というのは

以下に掲げた

八つの正しい道のこと

 

正見(しょうけん)…正しい思想

正思惟(しょうしい)…正しい心

正語(しょうご)…正しい言葉

正業(しょうごう)…正しい行い

正命(しょうみょう)…正しい生活

正精進(しょうしょうじん)…正しい努力

正念(しょうねん)…きちんとした目的

正定(しょうじょう)…心を集中させる事

 

 

そして

 

六波羅蜜とは

以下に掲げた

悟りへ到るための六つの道のことをいいます。

 

布施(ふせ)…恵み施す事

持戒(じかい)…道徳的規則を守る事

忍辱(にんにく)…耐え忍ぶこと

精進(しょうじん)…努力する事

禅定(ぜんじょう)…集中する事

智慧(ちえ)…知恵を持つ事

 



八聖道正精進六波羅蜜精進

ほぼ同じ意味で

「こつこつ努力する事」

 

八聖道正定六波羅蜜禅定

ほぼ同じ意味で

「心を集中する事」

 

以上の二つと

 

八聖道正語

「正しい言葉を使え(嘘を言うな)」

 

六波羅蜜忍辱

「辱めを耐えろ」

 

梅原先生は

以上の四つの教え

「特に大事だよ」

と言われ

以下のように語られています。

 

 

精進(しょうじん)

精進というのは、こつこつと努力することです。

人が見ていても見ていなくても努力する。これが大事です。

先生が見ているから努力する。先生が見ていないとなまける。

これはだめです。

禅定(ぜんじょう)

 

心を集中すること。

この集中力があるかないかで、人生が大きく違ってくる。

人間の頭は、だれでもそう違わないと思いますね。

だけどすばらしい仕事をした人は、集中力が違うんだ。

 

 

正語(しょうご)

 

正語というのは、正しい言葉を使えということですけれども、いちばん大事なのは、うそを言うな、二枚舌を使うなということです。

ぼくらが子どものとき、よく母親に、「うそをつくと閻魔さんに舌を抜かれるよ」と言われたものです。

子どもの時にふだんからそういうことを聞かされて、うそを言ったらいけないんだな、と自然に思うようになる。

それが正語、正しい言葉、うそをつかないということ。

 

 

忍辱(にんにく)

 

忍辱は忍耐とはちょっと違う。

忍辱とは、辱めを耐えろということ。

皆さん、侮辱されたり、軽蔑されることがあるだろう。それに耐える。

これは大変です。

      (中略)

人生には、失敗して死にたいと思うことが必ずあるよ。

そのときに暴発して犯罪を犯したり自殺をしたりするのは忍が足りない。

じっと耐え忍ばなくちゃならない。そういうときが人生には何回かある。

そのときには忍んで、辱めに耐える。

これが大事です。

 

精進禅定正語忍辱

この四つがあれば、これからの人生、生きていけます。

いま、この四つをしっかり持っている人は少ない。

しかしこの四つの徳を守れば、きちんと生きていけるんです。

 

 

 

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読売新聞連載小説 柴崎友香さん「遠くまで歩く」の感想。

読売新聞の夕刊紙上にて連載されていた

柴崎友香さんの

「遠くまで歩く」が先日完結しました。

 

毎日楽しく読んでいましたので、その感想を書こうと思います。

 

 

お話の内容を簡単にご紹介しますと

以下のようになります。

 

------------------

 

時は2020年から2023年頃

世界中がコロナ禍に見舞われ、人との集まりが制限されていた日々。

 

作家の森木ヤマネはオンライン上で行われている

「映像と文章を組み合わせた表現活動」の講座に

ゲスト講師として参加することになる。

 

日本中、世界中からこの講座に参加している、年齢も性別も職業も様々な人々が

課題として出された形式にのっとりながら、めいめい思い出深いの場所であるとか、印象に残ったエピソードなどを紹介し

それについて参加者が思い思いに感想を述べていく ────

 

------------------

 

全体を貫くような

いわゆる「物語」らしい「物語」というのは無く

その時々に、主人公のヤマネが思う事だとか、感じた事だとか

 

オンライン講座で次々に発表される

人々の思い出の風景や

そこにまつわるエピソードだとかが

淡々と語られていて

不思議な味わいのある小説でした。

 

エッセイっぽいというか

ドキュメンタリーっぽいというか……。

 

 

なので

「グイグイと物語世界に引き込まれる」

というタイプの小説とは、全然違うんですけれど

 

読みながら、自分も脳内で

オンライン講座の一人として参加しているみたいな気分になって

 

他の人とその時間を共有しているような

 

ある事柄について

それをどんな風に感じているか

考えているか

意見を交換し合っているような

 

そんな感覚になれるのが、なんだか不思議で

読んでいる時間が、とても心地良かったです。

 

小説の形態って、本当に色んなバリエーションがありますね。面白い。

 

 

思えば

 

人と人との接触が極端に制限された

コロナ禍の3年間っていうのは

ちょっと、異常な時代ではありましたよね……。

 

人間ってやっばり

それほど緊密でなくても、親密でなくても

他人との繋がりを欲している生き物なんじゃないかと思います。

 

直接的な繋がりに限らず

道具(本やネットなど)を介しての、間接的な繫がりにせよ。

 

 

他の人が存在してくれて

何かを伝えてくれるから

 

自分以外の人の視点や想いを想像することが出来るし

経験や知識を共有することも出来る。

 

自分が経験した事でありながら

当人がすっかり忘れてしまっているような事だって

他の人が、ちゃんと記憶してくれていたりすることもある。

 

だから人間にとって

自分以外の人の存在って、すごく大切。

 

そんなふうに考えると

 

言葉や文字や道具を使って

空間や時代さえ飛び超えて、繋がり合おうとする人間って

かなり特殊な動物ですよね。

 

 

地球上には無数の生物がいる中で

どうして

人間だけがこんな風に進化しているんでしょう?

 

そしてまた

 

どうして私は

人間として存在しているんでしょう?

 

時々、不思議に思う時があります。

 

「遠くまで歩く」は、そんな様なことも含め

色々なものを感じさせ、考えさせてくれる、素敵な物語でした。

 

 

 

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本の紹介「幸せはガンがくれた~心が治した12人の記録」…ガンを克服するには、患者自身のポジティブな心が何より重要!

先日、川竹文夫さんの本

「幸せはガンがくれた~心が治した12人の記録」を読んで

かなりの衝撃を受けてしまいましたので

その感想方々

内容のご紹介をしようと思います。

 

 

著者の川竹文夫さんは現在

NPO法人「ガンの患者学研究所」代表をされていて

NHKディレクターという経歴をお持ちです。

 

44歳の時に腎臓ガンに罹患したことをきっかけに、ガンについていろいろと調べるようになり

93年に教育テレビで

「人間はなぜ治るのか」

というスペシャル番組を制作し、非常に大きな反響を呼びました。

(内容は、末期ガンで余命僅かと宣告され、絶望の淵にいた患者たちが、自らの力でガンを克服し生還を果たした────という、国内外の複数の実例です)

 

その後、川竹さんは

自らの再発ガン完全消失させることにも成功されています。

 

 

今は健康でも

将来ガンになったらどうしよう……

と、不安に思っている人は多いと思います。

 

ましてや

実際に体に不調があらわれ

お医者さんからガンだと宣告された時には……

 

ショックの余り頭の中は真っ白になり

 

 

すべてお医者様にお任せします。

どうぞ、なにとぞ、救ってください!

 

という気持ちになってしまう人が、ほとんどなのではないかと思います。

 

病気を治すプロフェッショナルはお医者様。

患者(私)はシロウトなんだから、すべて任せるしかない

……と。

 

そしてお医者さんの方も

患者に寄り添ってくれる良医もおられますが

 

中には

「私の方針に逆らったら、あんた死ぬよ」

みたいな感じで来るお医者さんも

少なからずいたりして……。

 

 

現在、日本において

ガンの標準治療とされているのは

手術、抗ガン剤、放射線治療3本柱です。

 

しかしながら

ガンの状態によっては手術が出来ない事もあるし

抗ガン剤にはしばしば、激烈な副作用が伴う事があります。

 

体力と免疫力を著しく削がれてしまい

かえって命を縮めてしまう事も少なくありません。

(そのため、アメリカや欧米諸国では近年、抗がん剤を使う事は少なくなり、免疫療法や遺伝子医療をメインに据え、ガンによる死を着実に減らしています)

 

ところが

 

抗がん剤や手術をしなくても、放射線治療をしなくても

ガンは消える事があるんだそうです。

 

それが自然退縮という現象。

 

主治医からは末期ガンだと言われ

余命数か月、数週間だと言われていても

治ってしまう事がある。

 

この本には

その実例が12人分、詳しく紹介されています。

 

 

この人々が、どうやってガンを治したかというと

代替医療だったり、生活習慣の見直しだったり

人によって様々なのですが

 

共通しているのが

絶対に治ると信じ抜く事。

そして

ガン=死の病だという

強固な思い込みを捨て去る事。

 

人のの働きって免疫力と繋がっていますから、本当に凄い力があるんですよ。

「治る」と心の底から信じきっていると、本当に治ってしまう事がある。

プラセボ効果なんていうのも、広い意味でとらえればそうですよね。

 

大事なのは

自分の体は自分が治す。

治すことが出来るんだ。

気づく事。

 

 

楽観的に、信じ抜く事で免疫力が上がり、ガンが消滅してしまう。

または

消滅まではしなくても、ガンが悪さをしなくなる(全身ガンだらけでも元気に生きられる事があるそうです)。

 

本書で実際に治り、健康を取り戻した人達の話を読み終えてからは

余命宣告って何だろう?

余命なんてわからないんでは?

と思ってしまいました。

 


心細くなっている患者や家族にとって

お医者さんの言葉って、非常に重いものがありますから

願わくば

お医者さんには、脅しつけるような事や絶望させるような事を言うのは、やめてもらいたいですね……。

 

逆に

希望を持たせるような言葉をかけてもらえれば

それはとてつもなく

大きなにも支えにもなることでしょう。

今、日本では

二人に一人はガンになり

三人に一人はガンで命を落とす時代だと言われています。

 

どんな治療法を選択するにしても

 

ガンという病気には「心」が密接に関わっている。

自分の「心」次第では

治すことが出来る病気だ。

 

ということを、知っているのと知らないのとでは、大きな違いがあるでしょうから

 

やはり

この事は、知っておいた方が良いのではないかと思います。

 


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江戸の妾(めかけ)の悪徳商売~飽きた旦那にオネショ攻撃!?

先日、北村鮭彦さん(1920-1998)がお書きになった

「おもしろ大江戸生活百科」という本を読みました。

 

江戸時代に関しての

知られているようで意外と知られていない知識が軽妙な文体で語られておりまして

たいへんに面白かったので、アッと言う間に読み終えてしまいました。

 

 

ところで

著者の北村さんのお名前なんですけど

 

「さけひこ」さんかと思っていたら

まさかの

「シャケひこ」さんで

はからずもウケてしまいました。(^^;)

さすがは元放送作家

(北村さんは放送作家として、芸術祭賞を3度も受賞されているそうですよ)

 

 

全編を通してどれも興味深い話ばかりだったのですが

中でも私が驚いてしまったのが

お妾さんにまつわる話でした。

 

お妾さんとか二号さんとかいう存在は

昔────昭和の頃までは

「社長さんのお妾さん」

なんて感じで

結構身近で聞いた覚えもありましたが

最近は、あまり聞かなくなりましたねぇ……。

 

お金持ちの旦那さんが、奥さん以外の女の人を第二夫人、第三夫人として迎える「お妾さん」

 

明治時代の一時期(明治3年)には

妻と同等の二等親として公認されたこともありますが

10年後の明治13年にはこれは取り消され

それ以後は

「奥さんも承知している存在であるので、不倫という訳ではない」

「男の甲斐性の一種」

みたいな感じで続けられてきました。

 

さて

このお妾さん

 

江戸時代には妾は奉公人の一種とみなされ

年あたり何両というお手当をもらっていたそうです。

奉公人であるからし

正妻との間は主従ということになりました。

 

大金持ちの町人妾宅を構えさせたりしましたが

 

武家の場合は

下屋敷に置くと世話係を付けたりしなきゃならず

お金がかかってしまいましたので

 

それほど金に余裕のない五百石程度の旗本

妾を本邸に置いて

使用人として使ったりしていたそうです。

 

 

妾の産んだ子がその家の当主の座につくと

その時初めて「生母」としての地位が与えられました。

 

しかし

 

もし正妻が亡くなったとしても

彼女たちは正室になる事は出来なかったんだそうです。

 

 

 

なぜなら

妾を本妻に直すことを禁じる法律

享保18(1733)年に出来てしまっているから……。

 

 

心の清らかな愛情深いお妾さんも多かった事でしょうが

中には

打算的商売上手なお妾さんも少なからずいたようです。

 

そんな彼女らにとってオイシイ奉公先

一に、中位下の大名家

つづいて大身の旗本

その次が大商人の旦那やご隠居さん

 

妾と旦那衆を繋ぐ斡旋役仲人(ちゅうにん)と呼ばれた人々がやっていて

契約が成立すると

旦那の方から、支度金がもらえたそうです。

(最低でも三両、大身ならば十両、二十両なんてことも)

 

江戸時代の1両は今のいくら? - 貨幣博物館 (boj.or.jp)

※「一両」の価値を知りたい方は、上記の貨幣博物館さんのサイトをご覧ください。(面白いです!)

仮に現在のお蕎麦1杯が500円だとすると、1両は20万3000円くらいになります。

 

 

彼女たちは

妾として迎えられた最初の内こそ

猫を被って良い子を演じていましたが

 

やがて

寝屋の睦言に

数々のおねだりを連発しはじめます。

 

旦那様の財産を

チューチューチューチュー

しぼれるだけ搾り取り

 

「も~そろそろ、良いかなー」

と思い始めた時に

都合よくお払い箱になるよう算段をします。

 

一体、をすると思います?

 

 

なんと

わざとオネショをするんです!!!!

「うまれつきの病でして、このごろはあまり症状が出なくなっていたのですけど……」

などと言いわけをしつつ

その後も何度か連発してやると

たいがいはお暇に出されそうです。

 

そこで手切金をたんまり頂いて

また次の旦那様を探しだす────と。

 

 

お妾の乙な病ひは寝小便

 

これは

「小便組」とか

「手水(ちょうず)組」

と呼ばれた妾の商法

 

武士、町人の区別なく

明和(1764年)から天明(1789年)までの間

江戸で大流行していたんだそうですよ。

 



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読売新聞連載小説 木内昇さん「惣十郎浮世始末」の感想

読売新聞の朝刊で連載されていた

木内昇さんの時代小説

「惣十郎浮世始末」が完結しましたので

今回はそのご紹介と感想を書こうと思います。

 

毎日少しずつ進む小説欄を読むひとときが

「ずっとこのまま続けばよいのになぁ……」

愛おしく思えてくるような

とっても素敵な物語世界でした。

 


舞台は、老中水野忠邦が世間に質素倹約を命じていた、天保の時分の江戸になります。

 

ある夜、薬種問屋で火事が起こり、店や家屋が全焼。

その場で店主とおぼしき死体が発見されたものの、後から色々と不審な事実が浮かび上がってきます。

 

主人公の定町廻り同心・服部惣十郎が、部下となる佐吉(ちょっとボンヤリ君)&完治(メッチャ切れ者)という、対照的な性格の二人の岡っ引きともに、事件の全容を解明していく────

というのが、物語全体を貫く大きな筋となっています。

 

事件の全容が解明されていくにつれ

それが引き起こされた原因となっている問題は

現在我々が生きている、この時代にも完全に当てはまる問題なんじゃないかな……と、感じました。

 

「文明・科学の発展」とか

「多くの人々の幸福に寄与するため」という

大義名分の陰で

常にどうしても発生してしまう

「多少の犠牲

 

「そんなの仕方ないじゃない?

と言う声の方が圧倒的に多いんでしょうけれど

 

もし、その「多少の犠牲」自分だったり、自分の身内だったら

誰だって、たまったもんじゃないでしょう……?

 

そんなことに関して

哲学的、倫理的、道義的に色々と考えさせられてしまうような

かなり深いところがありました。

 

 

そんな大きなテーマもさることながら

さらにこの小説の大きな魅力となっているのは

登場人物それぞれの行動やセリフなどから感じられる、雑感人生観のような部分です。

 

「ああ……、そうだよなあ……」

胸に沁みてくるようなところがあって

ハッとさせられたり、頷かされたり、時に、癒されたり……。

 

こういうのって、作者の木内さんの人間力が相当高いから書けるんでしょうね。

 

描かれる人々すべてにが感じられました。

懐の深い、暖かい物語です。

 

最近、私は思うようになったのですが

 

人間って誰しもが根っこの所で

他者に自分の事を理解してもらいたい

とか

自分の感じている事に共感してもらいたい

とかいった欲求を抱えているものなんじゃないでしょうか。

 

なので

自分がなんとなく漠然と思ったり感じたりしている事を

他の人がきちんと言葉に表して提示してくれたりすると

 

なんだか自分に共感してもらえたような

心が通じ合ったような気分になって

嬉しくなってきちゃうんですよねぇ……。

 

ちょっと、幸せな気分になれるというか。

 

 

最後に

 

この物語の忘れちゃならない魅力をもう一つ。

 

惣十郎の家には、家事の手伝いをしてくれている、お雅という美人さんがいるんですけど

 

惣十郎に密かに想いを寄せている彼女が作る手料理が、これまた

どれもこれも

ものすご~く美味しそうなんですよ。

 

呑んべえの方だったら、

読みながら想像するだけでも

お酒が二、三杯進んじゃうかもしれませんね。(^_^)

 



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普段使いの「美」を再発見!~柳宗悦「民藝とは何か」のご紹介と感想。

大正時代の終わりごろから昭和にかけての美術界で

民芸の素晴らしさというものを

世間に知らしめる

民藝運動

という一大ムーブメントがありました。

 

先日、その提唱者

柳宗悦(1889-1961)による

「民藝とは何か」

という本を読みましたので

今回は民藝運動のご紹介を兼ねながら

本に書かれていた事の感想などを述べてみようと思います。

 

 

柳宗悦ってどんな人?

 

柳宗悦…やなぎむねよし…(1889-1961)

 

父・楢悦(ならよし)

安濃津藩の士族の出で元海軍少将の貴族院議員 

母・勝子

「柔道の父」として有名な、かの嘉納治五郎の姉

宗悦は、そんな上流家庭の三男坊です。

出身地は東京・港区の麻布。

 

学習院高等科に在学中

志賀直哉武者小路実篤らと共に

文芸・美術雑誌「白樺」を創刊しています。

 

東京帝国大学哲学科卒の宗教哲学者であり

民藝運動創始者として知られています。

 

東京の目黒(駒場)にある美術館

日本民藝館初代館長です。

 


民藝運動ってどんな運動?

 

平たく言いますと

 

芸術家先生名匠が作り

お金持ちがこぞって買いたがるような

「スゴイ作品」

といわれているものよりも

 

一般民衆が普段使いしているような

名も無き職人たちが作っている物の中にこそ

本物健康的がある!

 

庶民が日常使いしている手仕事工芸品

素晴らしさ、美しさ

みんなに広く認めさせようじゃないか!

というムーブメントです。

 

 

つまり

このようなものより

 

 

このようなもの方が

 

 

より美しい

────とする考え方です。

 

なぜかというと

 

大先生が作り

金持ち連中が愛好するような

スゴイ作品というのは

往々にして

超絶技巧で凝って凝って凝りまくるがために

実用性が二の次三の次となり

結果

肝心な道具としての使い勝手

「どうなのよ?」

というものになってしまう不健全さがあったり

 

作り手側の

「凄いもの作ってやるぞぉ〜」

などという野心や自意識が

な~んとなく匂ってきてしまったりするからです。

 

 

──── というのは

本書を読んだ私なりの

非常に大雑把な解釈なのですが (^^;)

 

柳宗悦自身は

本書「民藝とは何か」の中で

次のように書いています。

 

いわゆる上等品に見られる通有(つうゆう)の欠陥は技巧への腐心なのです。

したがって形も模様も錯雑(さくざつ)さを増してきます。

そこには丹念とか精密とかはありましょうが、それは直ちに美のことではないのです。

よし美があっても華美に陥る傾きが見えています。

したがって大概は繊弱に流れて生命の勢いが欠けてきます。

大部分が用途には堪えませぬ。

しかし用を離れて工藝の意義がありましょうか。

用い得ないことにおいて、美もまた死んでくるのです。

 

 

なぜ特別な品物よりかえって普通の品物にかくも豊かな美が現れてくるか。

それは一つに作る折の心の状態の差異によると云わねばなりません。

前者の有想よりも後者の無想が、より清い境地にあるからです。

意識よりも無心が、さらに深いものを含むからです。

主我の念よりも忘我の方が、より深い基礎となるからです。

在銘よりも無銘の方が、より安らかな境地にあるからです。

作為よりも必然が、一層厚く美を保証するからです。

  (中略)

人知に守られる富貴な品より、自然に守られる民藝品の方に、より確かさがあることに何の不思議もないわけです。

 

 

一点ものの芸術作品ではなく

大量生産の工芸品であるため

作り手の余分な精神が入っていない。

だからこそピュア

 

 

ここの所は個人的に

頷けるようでいて、正直

「うーん、そうかな…?」

と考えてしまう所でもありました。

 

本書の中で柳宗悦

高価で貴族的な物には「工夫作為の弊」がある

 

しかし

民藝品は多く作り安く売るために

「技巧の罪を忘れしめ」「意識の弊を招かない」

と語っているのですが

 

その一方で

商業主義から発する機械による大量生産に対しては

かなり批判的な目を向けているんですよね。

 

彼はこんな風に言っています。

 

商業主義は競争の結果、誤った機械主義と結合します。

ここに創造の自由は失われ、すべてが機械的同質に落ちてゆきます。

作られるものはただ規則的な冷ややかなものに過ぎないのです。

 

 

このあたり

 

モノ作りの際に

作り手の意識が反映されるのが良くない

────とするのであれば

 

完全に心という要素が排除された機械生産

「冷ややか」

と切って捨てられてしまうのは

なんだか矛盾してまうような気がしませんか?

 

思いますに

 

手仕事で作る日常使いの物にしてみたところで

人が作っている以上

その濃度は時により人により様々だとは思いますが

何かしらかの「気」みたいなものは

纏われて当然のものなのではないでしょうか?

 

そして

まさにそれこそが

手作り品の良い所なのでは?

 

しかるに

そこへもってして

 

高級品には良からぬ自意識が入っている

廉価な日常品は無心で純粋な状態でつくられている

なんて考えるのは

 

彼の想像に過ぎないのではないか?

なんて思っちゃうんですよね……。

 

(作り手の心の内なんて、本人にしかわかりませんもの)

 

 

そもそも

普通の職人が経験を積み

熟練して名人になって行くわけですから

実際の所

廉価品高級品境界あたりの所なんか特に

区分けがそうキッチリされているわけでは無く

かなり曖昧なんじゃないでしょうか……?

 

事実

民藝運動に携わった人々の中には

河井寛次郎濱田庄司など

巨匠と呼ばれるようになった人も少なくありませんし。

とはいえ

 

それは民藝というものの価値

すでに充分に理解されている現代だからこそ言える事なのかもしれません。

 

なにせ

大正~昭和初期の当時には

良い物・美しい物=希少な高級品

という価値観しか

ほぼ無かったわけですから

 

大衆の普段使いの物の美を認め、それを評価した点は

やはり革命的だったろうと思います。

 

 

民藝という言葉は

「民衆的工藝」の略で

柳宗悦らによる造語です。

 

当初、彼らはこのような普段使いの器物たちを

「下手物」と呼んでいたのですが

これではちょっと誤解を招きそう…ということから

「民藝」という言葉を生み出したんだそうです。

 

たしかに

「ゲテモノ」という言い方ではちょっと

ヒドイ誤解を招きそうですね……。(^^;)

「下手物」とは本来、精巧な高級品に対して素朴で大衆的なものを指した言葉なのですが、やがて「奇抜な物」とか「普通は食べないような珍妙な食材」などの意味を持つようにもなりました。これの対義語は「上手物」(じょうてもの)で、素敵な高級品を指しています。

 

民藝運動

1880年にイギリスの

ウィリアム・モリス(1834-1896)が提唱した

アーツ&クラフツ運動(中世の手仕事に回帰し、生活と芸術を一致させようと主張)に似ている

と言われる事も多いのですが

 

柳自身は、アーツ&クラフツ運動の模倣のように言われる事には、強く反発していたそうです。

 

 

「民藝」という言葉は当初

民藝運動に携わる人々の間でだけ使われていたのですが

 

1950年代の後半から1970年代にかけて

農村やふるさとに対してのノスタルジーと共に

民藝ブームという社会現象が起こると

 

柳宗悦らが指していた

当初の「民藝」

というものからは、やや離れてしまい

 

今では

その土地ならではの郷土手工芸品をあらわす

「民芸品」

というような言葉として広まっています。

 

 

「民藝とは何か」

 

原本は1941(昭和16)年刊行。

 

柳宗悦による

民藝論への入門

工藝美論全般の概説

となる本です。

 

平易で分かりやすく、読みやすく、大変に面白かったです。

 

後半部分には

「これ、素敵でしょ!」

柳宗悦自身が一押しする民藝品の写真と解説が収録されているのも興味深いところ。

 

 

芸術の秋。

日本民藝館に行って、素敵な民藝品をじかに見てみたいなあ……」

という気分を誘われてしまいました。(^_^)

 

 

日本民藝館

 

ホームページ 日本民藝館 (mingeikan.or.jp)

場所 東京都目黒区駒場4丁目3番33号

アクセス

京王井の頭線駒場東大前駅」西口から徒歩7分

小田急線「東北沢駅」東口から徒歩15分

月曜休館

 

 

 

 

 

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

旅のお供に「翼のキッチン」

海のお供に「台風スウェル」



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「忍法」という言葉の元祖は吉川英治!

「忍法」という言葉を初めて使ったのは吉川英治である

────という説は

今ではWikipediaをはじめ多くの所で語られ

広く知られている事ではありますが

 

今回は吉川英治大ファンの私がその辺のところを

もうちょっと詳しくお伝えしたいと思います。

 

 

講談社吉川英治歴史時代文庫」というシリーズでは

巻末の方に作家など著名人諸氏による

「私の吉川英治

というコーナーがありまして

 

そこで、それぞれの方々にとっての

吉川英治の思い出」的なエピソードが語られています。

(このコーナーや解説等の充実ぶりが講談社刊「吉川英治歴史時代文庫」の素晴らしい所でもあるんですよ)

 

その「吉川英治歴史時代文庫」の

親鸞(二)」「私の吉川英治欄に収録されているのが

時代小説家・山田風太郎の書いた

「忍法という言葉」という一文です。

(これが書かれたのは昭和58年)

 

 

その要旨を簡単にまとめると

次のようになります。

 

前年ごろ、青木雨彦さんからエッセイをもらった。

その中で故・柴田錬三郎さんが

忍法と言う言葉は私の造語である」と明言し

「それなのに、それを無断で使用している山田風太郎はけしからん!」

といわんばかりに書かれているのを知ってしまい、ビックリ仰天してしまった。

 

私(山田)が「忍法帖シリーズ」の第一作目「甲賀忍法帖」を書き始めた時、「忍帖」にしようか「忍帖」にしようかだいぶ迷ったことをおぼえている。

 

その昭和33年当時、たしかに、世間的にはそれほど「忍」という言葉は普及していなかった。

けれどそれでも、その言葉は、すでにどこかにはあったように私は記憶している。

 

後になり、私はその「忍法」という言葉の初出が吉川英治神州天馬俠」にあったことを知った。

 

この小説は私の少年時代よりもずっと以前に書かれたもので、かつて熱狂して読んだ記憶がある。おそらく、それが私の記憶のどこかに残っていたのだろう。

 

つまり「忍法」という言葉のオリジナリティは吉川英治にあるのである。

 

この「忍法」だけに限らず、吉川英治の造語力はとにかく凄い。

 

 

上のエピソードの登場人物を軽く紹介しますと、以下のようになります。

 

青木雨彦(1932-1991)

文芸評論家でコラムニスト

 

柴田錬三郎(1917-1978)

眠狂四郎」シリーズで有名な人気時代小説作家

 

山田風太郎(1922-2001)

忍法帖シリーズ」魔界転生などで有名な人気時代小説作家

 

吉川英治(1892-1962)

宮本武蔵」「三国志」「新平家物語などで有名な国民的歴史小説作家

柴田錬三郎山田風太郎よりはだいぶ年上

 

「忍法」という言葉の初出だと言われている

神州天馬俠」

1925(大正14)年~1928(昭和3)年に

講談社少年倶楽部誌上にて連載された少年向けの伝奇冒険時代小説です。

 

連載完結時の昭和3年には

柴田錬三郎11歳

山田風太郎はまだ6歳ですね。

 

 

話題となっている「忍法」という言葉が

この小説のどのあたりに出て来るかと言いますと


神州天馬俠」の終盤

敵である徳川方と主人公・伊那丸(武田勝頼の遺児)率いるスーパー武芸者軍団

衆人の見守る中で武芸勝負をしようじゃないか!

────となった所で出てきます。

 

章のタイトルは

「紅白の鞠盗み」

 

こちら、私の手元にある講談社吉川英治歴史時代文庫80

神州天馬俠」(三)

284ページ目になります。

 

 

そしてこちらは289ページ目

 

 

「忍法」という言葉が

ガッツリ&バッチリ出ていますね!

 

 

 

神州天馬俠」が発表されて大ヒットとなったのは

大正時代の名残もまだ濃い昭和3年のこと。

ところが意外な事に

 

太平洋戦争後の昭和33年ごろまで

「忍法」という言葉はそれほど普及してはおらず

昔から使われていた

「忍術」という言葉の方が、圧倒的にポピュラーだったようです。

 

そのため柴田錬三郎も、自身のエッセイで

「忍術」というのはいかにも古色蒼然としている言葉なので「剣法」があるから「忍法」というものがあってもよかろうと勝手に、決めてそれをつかった。

と述べているように

 

その言葉を初めて造り出したのはオレだ!

────と

すっかり勘違いしてしまったんですね。

(しかも山田風太郎に「真似しやがってケシカラン」とまで……(^^;))

 

 

山田風太郎の作品といえば

 

私は忍法帖シリーズ」には

かなりどっぷりハマった一時期があります。

 

ほとんど人間離れしたミュータントみたいな忍者が次から次へと出て来て、滅多やたらと面白いんですよ!

常識を超越した発想力はほんと鬼才だと思います。

 

お色気ムンムンのくノ一たちの活躍もvery good。

 

未読の方にはぜひとも、ご一読をお薦めいたします。(^_-)-☆

 

 

 

 

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