TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

自分を苦しめるようなプライドは「誇り」や「矜持」じゃなく、ただの「見栄」。

これは、私が日頃愛読しているブログの主さんの事なのですが

 

普段すごく面白い人なのに

時々ものすごいネガティブ思考に襲われてしまうみたいで

 

読んでいて

ちょっと心配になってしまいました。

 

f:id:TODAWARA:20190717164508j:plain

 

からしてみたら

あんなに面白い文章が書けるなんて

あなた、天才だよ!

って褒めたたえたいくらいなのに

 

その人、どういうわけか

 自己肯定感が異常に低いんですよね……。

 

そこでふと感じたのですが

 

自己肯定感の低さって

もしかしたら

プライドの高さの裏返し

なんじゃないでしょうか?

 

 

プライドが高すぎるから

 

失敗したり他人から笑われたりするのが過剰に怖くなっちゃって

思うように行動することが出来ない。

 

……で

 

行動できないことに対して

「どうせやったって駄目な事はわかりきってるから、行動しないんだ」

などと言うのだけれど

 

それでいて

 

行動しない自分自身に対して不甲斐なさを感じ

行動している他人に対して劣等感を抱き

うじうじ悩んでしまう。

 

その方の場合は

そんな感じの無限ループに陥っているように感じられました。

 

f:id:TODAWARA:20190717165227j:plain

 

プライドの高さって結構、厄介ですよね……。

みなさんは

自分のプライドに苦しめられたことってありませんか?

 

私、自分自身を振り返って見ると

10代20代の若い頃は

ものっすごく多かったように思います。

 

特に苦しかったのは大学受験期……。

 

進学校に進んだ友人との間で

やや競争みたいな意識を持ちながら同じ大学を目指していて

(進学校じゃなくたって合格できるってトコを見せてやる!みたいな)

 

それで不合格になってしまったので

 

その後の数年間は

しばらく傷を引きずる位に苦しめられました。

(その大学のある場所に向かうバスさえ、視界に入れたくないって位でした)

 

 でも、今思えば

 

むしろ

不合格になって良かったんです。

 

f:id:TODAWARA:20190717170017j:plain

 

だって

その大学に行きたかった理由は

別に

受けたい授業があったわけでも

教わりたい先生がいたわけでもなく

 

ただただネームバリューのある一流大学に入って

他人から

「わぁ~凄いね」って言われたい

なんいいう

不純な動機100%

でしたから!

 

 

 ですから

 

たとえそのために必死の努力をしたとはいえ

あのまま無事に合格していたら

 

かなり鼻持ちならない

嫌みな人間になっていたに

間違いありません。

 

f:id:TODAWARA:20190717170645j:plain

 

 順調すぎる人生って

そういう面で

ある意味コワいですよね。

 

あ~

危ない所だった。

(負け惜しみじゃないですよ)

 

そんな妙なプライドの高さは

年を重ねてオバサン化するにつれ

だんだん少なくなってきましたが

(めんどくさいや~って開き直っちゃう事が多くなったんですね)

 

 それでも

出るとこに出たりしたら!

 

たとえば

いきなりセレブマダム集団とお付き合いするようになって

見栄張り合戦の真っただ中に放り込まれたりしたら!

 

C and C London-8240 2

 

やっぱりまた

妙なプライドに苦しめられてしまうのかもしれません。

 

 私もまだまだ悟り切れてはいませんし

 

年を取っても

年相応の見栄がありますからね……。

 

「大人の女性は上質の物を持たなきゃウンタラカンタラ~」

とか

「いつまでも若く美しく見えるようにウンタラカンタラ~」

とか。

 

 門外漢から見ていると

 

どーでもいいわ

そんな事

って

 

下らない限りなんですけれどね。

 



 さて

 

「プライド」

という言葉を辞書で引いてみますと

 

「誇り、自負心、自尊心」

と出てきます。

(角川 「国語辞典」 新版)

 

誇りや自尊心を持つこと

とても大切なことだと思います。

 

自分に誇りを持てないでいると

自分を傷つけ

駄目にしてしまいかねませんからね。

 

誇りというものは

だから

「自分を生かすために必要なもの」

なんです。

 

でも

自分を苦しめ、駄目にしてしまうような

「プライド」は……

 

それは一見したところ

「プライド」のように見えていますが

 

本当の所は

「誇り」でも「自尊心」でもなく

 

ただの

「見栄」

なのではないでしょうか。

 

Peacock

 

「すごいねって言われたい」

「素敵だと思われたい」

みたいに

 

「他人から何々だと評価されたい」

と願ったり

 

また

「何々だと思われたらどうしよう」

と不安になったりするというのは

 

「誇り」ではなく

「見栄」の領域にある

「プライドもどき」なんだと思います。

 

通りすがりに出会うような

初対面の人同士であれば

 

年収がどうの

学歴がどうの

仕事がどうの

 

なんて事は全く関係なく

 

「嫌なことをしてくる人は嫌な人」

「親切にしてくれる人は良い人」

 

という素朴な認識ですよね。

(赤の他人にはその人の素性なんかわかりませんから)

 

人が人に対してする評価って

これが基本じゃないでしょうか?

 

f:id:TODAWARA:20190717171827j:plain

 

たとえこちら側のスペックが

どんなに冴えないものであったとしても

 

世間の多くの人からしてみたら

そんな事は関係ないんだし

 

それをもって

「駄目な人」だなんて

思われようがありません。

 

 世間の多くの人からしてみれば

親切で優しい人

みんな「良い人」という認識なんです。

 

だから

 

たとえ条件的な所で冴えない部分があったとしても

 

自己嫌悪に陥る必要なんて

全然ないんですよ。

 

本物の「誇り」「矜持」というのは

「見栄」とは全く別のもので

 

もっと内省的な

 

「自律」とか「美学」とかいったあたりと

強く関わっているような気がします。

 

自らの人間性を美しいものであらしめるために

心の芯の部分に大切に持っておく。

 

そういうもの。

 

Heart

 

たとえば

「嘘をつかない」

とか

「卑怯なことはしない」

とかいったことのように

深く人間性に関わってくるものだと思います。

 

これを失ってしまうと

自分をないがしろにして

破滅の道に進みかねないので

とても大切。

 

f:id:TODAWARA:20190717171131j:plain

 

─── でもこれって

 

「縛られて苦しい思い」をするような類のものではないですよね?

 

 

「〇〇だと思われたら嫌だ」

とか

「〇〇だと思われたい」

とか

 

心や行動を縛って苦しめてくるのは

「プライドに偽装した見栄」

のなせるわざです。

 

たしかに

 

身近な狭いコミュニティの中では

見栄張り合戦ランク付けがものをいうことも

あるかもしれません。

 

でも

その外に広がる世界

 

世の中の大多数を占めている

通りすがりの人々からして見れば

 

個人個人のスペックなどは

全くどうでもいい話

 

だから

 

「自分は駄目な人間だ。きっとみんなからも駄目な奴だと思われている」

なんて

 くよくよ気にすることはやめにしましょう。

 

happy_crazy_bread

 

他人に親切にしてくれるような人は

みんな

「良い人」

であり

「良い人」には

間違いなく価値がある!!

 

ですから

 

「自分には存在価値がないんじゃないか?」

なんて思って

落ち込みそうになってしまった時には

 

ほんの少しだけでもいいから

 

他の人に優しく親切にすることを

心がけてみると

良いかもしれないですよ。

 

 

 

 

関連記事のご案内

 

 

処世の指南書「菜根譚」のご紹介

todawara.hatenablog.com

 

ラッセル先生の「幸福論」はとても実用的

todawara.hatenablog.com

 

アラン先生の「幸福論」も心が軽くなりますよ。

todawara.hatenablog.com

 

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

台風スウェル

台風スウェル

 

 

f:id:TODAWARA:20200505115552j:plain