TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

作品に普遍性を持たせるためには「真善美」について自分なりの考えを深める事が大切だと思う。

普段、ぼや~っとしている私ではありますが

時折、ふとした拍子に

 「文学のあるべき姿とは!?」

 みたいなモードに入ってしまう時があります。

 

今回の私はそんな

「文学モード」に入っていますので

 

文学について

「これが重要だ!」

と気づいたことについて書いてみようと思います。

 

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私はいつも

「小説を書く上で大切なものって何だろう」

という事を考えています。

 

語彙や表現の豊かさとか、登場人物の魅力とか、物語の構成とか

 

確かにそういう技術的な事も大切だけれども

もっと根本にあるような事について。

 

特に

自分が何かに感銘を受けたりした時などには

 

それが小説であっても

映画や音楽であっても

 

「一体自分はこれのどこに感銘を受けたのだろう」

というようなことを

かなりしつこく考えます。

 

 

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名作はどうして名作なのか?

 

名作を名作たらしめているものは一体何なのか?

 

そんな事を探るために

色々と本を読んだりもしているのですが

 

 

ある時、手持ちの国語辞典に

「真善美」

という言葉を発見し

 

「これだ!」

目からうろこが落ちたような思いがしたのでした。

 

 

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「真善美」というのは

 

人間が昔から最高の理想としてきた三つの概念で

 

「真」は真実

「善」は善い事

「美」は美しいという事

 

をあらわしています。

 

科学も哲学も芸術も

 

人間は昔から本能として

「真善美」を求め続けてきているんです。

 

文学をやって行く上で

これは大切なものに違いない!

 

そう心に留め置きながら色々と読んでいると

やはりこれについて言及している芸術家は多い。

 

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昔から伝わっている古典や名作というものは

「残されるほどの価値があるからこそ残っている」

といえますよね。

 

それらの作品には

時代がどんなに変わっても

人の心を打つ部分がある。

 

つまりそれは

普遍性があるという事。

 

その普遍性というものはなのか?

というと

 

それこそが

この「真善美」なんです!

 

 

人間が生きていくうえで

 

どうやって生きて行ったらいいのか。

本当に大切にすべきものは何なのか。

どういう生き様が美しいのか。

真実って何なのか。

 

そういう事って

 

しばしば迷いながら考えるけれど

そう簡単に納得のいく答えが得られるものではない。

 

 

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人間は価値観も感受性も千差万別ですから

おそらく

絶対唯一の「真善美」なんてものは

どこにも無いのでしょうが

 

たとえそうであっても

 

自分なりに思う

「真善美」

他の人が考える

「真善美」と照らし合わせる事で

生きる上での参考にしたい。

 

昔から

そう思う人は、きっと多かったことでしょう。

 

 

小説に限らず

読書という行為をするにあたっては

読者側には常に

「そこから何かを得たい」

という期待があります。

 

少なからぬ時間と労力を割いて読むわけですから

「面白ければいい」

という娯楽性への期待など

読者にとっては

叶えられて当然の最低ラインです。

 

それに加えて

そこに

作者が自分なりに真剣に考えた人生哲学

───つまり

自分なりの「真善美」観

提示されている事が

 

読者に

「読んで良かった」

と思われる作品となるか否かを分ける

かなり重要な要素なんじゃないかな……。

 

───と

そんな風に思いました。

 

 

 

 

 

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作品における「面白さ」って、そう単純なものでも画一的なものでもないと思います。

todawara.hatenablog.com

 

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

台風スウェル

台風スウェル

 

 

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