今回は
「マゾヒズム」
という言葉の語源ともなっている
レオナルド・フォン・ザッヘル=マゾッホ(1836-1895)の小説
「毛皮を着たヴィーナス」のご紹介をいたします。
あらすじ-----
青年貴族のゼヴェーリンは保養先の下宿の庭で
大理石のヴィーナス像に恋をしている。
彼は石像の前に跪き、足元に据えられている台座に顔を押し付けて
愛の施しを乞うという儀式を繰り返していた。
そのうち、彼は
同じ館に下宿している美しい未亡人ワンダと親しくなり
彼女をヴィーナスに重ね合わせて愛し始めた。
「私はね、いつか本物の変人(おばかさん)にめぐり遭ってみたいものだと、いつもそう思っておりましたの───気晴らしのためよ───で、どうやらあなたは奇人中の奇人でいらっしゃるようね」
そのように嘯き
彼から愛されることにも、まんざらでもない様子のワンダである。
ゼヴェーリンは彼女に対し
「愛の苦痛、愛の苦悩を最後の一滴まで残らず飲み尽くしたいのです。自分の愛する女に虐待され、裏切られたいのです。それも残酷であればあるほど素敵なのです。それだって快楽なのですから!」
とか
「私をあなたの夫にするか奴隷にするか決めてください」
などと言って
まるで煽っているかのように
彼女の内部に潜んでいた残酷性を表に引きずり出していく。
当初
「こんな事は良くないわ……」
と当惑していたワンダだったが
しまいには
目を輝かせながら
思いっきり鞭打ちしてきたり
ゲラゲラ笑いながら
足蹴をしてきたりするような
残忍な女主人へと変貌してしまう……。
苦しめられれば苦しめられるほど
憎悪と複雑に絡み合った快感がも~たまらん!!
喘ぎながら喜ぶゼヴェーリン。
彼に対する愛情の有無などはわからないまま
とにかく彼をいたぶる事が猛烈に楽しくなってしまい
ほとんどモンスターと化してしまったワンダ。
二人の遊戯は加速度的にエスカレートするばかり!
そうしてついに
ワンダとの間に
「あなたの奴隷になります」
という契約書を交わしたゼヴェーリン。
彼はついに下男の地位にまで落とされ
精神的にもボロボロのボロ雑巾のようになるまでいたぶられ
肉体的にも
死にそうになる位まで、容赦なく追い詰められていく……!
-------
───とまあ
そんな内容の物語なのですが……
登場の当初から
「何をしでかすかわからない狂人と思われていたが、狂人ではないまでも風変わりな人間であることは間違いなかった」
と書かれている
ゼヴェーリンがおかしい
というのは納得なのですが
少しばかりの高慢さはあったにしても
それまで常識の範囲内に収まっていた
ワンダの人間性までもが
ゼヴェーリンにおだてられたり乗せられていくうちに
どんどん崩壊していってしまうところが
恐ろしいです!!!
はた目には
ワンダがゼヴェーリンを翻弄したり痛めつけたりしているように見えるんですけど
実は
そうさせているのはゼヴェーリンの方で
主導権はゼヴェーリンにあるんです。
───これが二人の「お遊び」程度に留まっている分には良いですけど
一歩間違えば殺人事件にもなりかねない位の危険さ
ですからねぇ……。(-_-;)
マトモな人だったのに人格が変わって
まるで鬼畜みたいになっちゃうなんて
痛めつける方の役だって
あまりにリスクが高過ぎる……。
雰囲気に流されやすい性格の人は
ゼヴェーリンみたいな
乗せ上手、煽り上手なタイプには
くれぐれも
気を付けた方がいいですよ!
(知らぬ間に犯罪のお先棒を担がされかねませんからね!)
作者のマゾッホは
彼自身の実生活が
恋人の女優と奴隷契約を交わしたり
お針子を貴婦人ワンダとして仕立てあげて結婚し
わざと彼女が浮気をするように仕向けて
自らの内で燃え上がる
ジリジリした嫉妬の感情を楽しんだりと
かなり強烈な変態性の持ち主だったようです。
性科学者のクラフト=エビング博士が
残酷性を楽しむことを
マルキ・ド・サド侯爵にちなんで
「サディズム」
被虐的な事を楽しむのを
マゾッホにちなんで
「マゾヒズム」
と名付けた時
マゾッホは
「ちょ……、やめてくんない!?」
と強く抗議したらしいですが
残念ながら、この言葉
すっかり定着しちゃいましたね。
今や完全に
そういう人
として認識されてしまった彼ですが
晩年はトルストイ主義に傾倒して
立派な民衆文学を書いたそうですよ。
こちらの翻訳の種村季弘先生は、学生時代に講義を拝聴させていただいた恩師でもあります。
今思えば、何と貴重な経験だったことか………。
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