「メスキータ回顧展」を見に行った同じ日に
「日本の素朴絵」
という展覧会も観てきました。
「素朴絵」という言葉は
「リアリズムを目指さない素朴でおおらかな具象画」
を指しているそうです。
古墳時代から大正時代までの
素朴な作品たちを集めたこの展覧会では
「ゆるい かわいい たのしい美術」
というキャッチフレーズの通りに
思わず「ふふっ」と笑ってしまうような
力の抜けた
ユーモラスな作品がたくさん展示されています。
こちらにご覧いただくのは
明治から大正にかけて活動した臨済宗の傑僧
南天棒(1839-1925)が描いた
「雲水托鉢図」です。
南天棒の僧名は
鄧州全忠(とうしゅうぜんちゅう)というのですが
南天の木で作った棒を携えて全国の禅道場を経めぐり
修行者たちをビシバシ殴りまくっていたところから
「南天棒」という異名がついたそうです。
そんな激しい人が描いたとは思えないほどの
雲水たちの愛らしさですね。
次にご紹介いたしますのは
室町時代の物語絵巻
「つきしま絵巻」です。
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あらすじ
出家して浄海と名乗っていた平清盛が、海上を埋め立てて島を作ろうと思い立った。
五万人の人夫を集めて工事を進めるものの、潮流が激し過ぎて思うようにまかせない。
そこで、三十人の人柱を立てることが決められた。
人柱にするために、浄海の部下たちは通行人を次々に捕まえては、檻に閉じ込め始めた。
その中に、行方知れずの娘名月女を探し、旅をしている修行者・国春という男がいた。
彼の娘の名月女は、十四の春に遊びに出ていた時、家包という青年に見初められ、そのまま彼の住む丹波に行って結婚生活を送っていたのである。
ある時、名月女は、人から
「あなたのお父さんが、人柱にされるらしいですよ!」
と聞かされた。
「そんな……。わたしがお父さんの身代わりになります!」
慌てて旅立った名月女。
その後、夫の家包も彼女を追って行き、二人は合流。
いよいよ人柱が沈められようというその日 ───
「私と名月女が人柱になりますから、お父さんの事は助けてあげてください!」
家包の嘆願を聞き届け
浄海は国春を開放してくれた。
国春は助かったけれども
他の人柱達は、全員海に沈められる運命……
その時
浄海に仕えている松王という童が名乗り出て来た。
「一万部の法華経と共に私が人柱になりますから、人々を解放してあげてください!」
松王の申し出は聞き届けられ
人々は皆、無事に解放された。
一千人の僧侶たちが読経する中
人柱として海に沈められゆく松王……
それを見守っている浄海 ───
実は
名月女は吉祥天女
松王は大日如来
そして、な、な、なんと
浄海は
地蔵菩薩の化身だったのである。
めでたしめでたし
ちゃんちゃん ♪
(完)
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そんなお話を絵巻物仕立てにしたのが
こちらでございます。
人物の顔が薄すぎて
ほとんど白玉団子。
体の描き方も、えらくいい加減で
なんだかお手玉みたいです。
辛さを全く感じさせない
眠たげな無表情……。
腕や体の描き方も超適当。
石を持ち上げてる人の腰のあたりの不自然な断絶感。
それでいながら
「なに見てんの?」
とでも言いたげなカメラ目線。
この稚拙な感じが
とっても可愛いです。
最後に
地獄の裁きの恐ろしさを伝える
江戸時代の「十王図屏風」から
獄卒に責められ
苦しめられている
亡者たちの姿をご紹介します。
キェェェェーーーー!!!
上でニッコリ笑いながら嬉しそうに蛇を巻き付けている人は
ペットの蛇と戯れているのではなく
おそらく蛇責めにあっているのでしょう。
下の人は謎の生物にされていますが
ちょっとロディに似ているような気がします。
姿もへんちくりんですが
口元もへんちくりんですね。
鳥に頭を直撃されて
血を吹き出しながらも
平然たるものです。
左下のやけに小さい人は
獄卒をねぎらうような表情で
語りかけているように見えます。
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精巧緻密絢爛豪華で
誰が見ても「すごい!」と思わせてくれるような美術も良いですが
こんな感じの素朴な絵も
心がホンワカとなごみますね。
こちらの美術館のカフェで、ほうじ茶パフェを食べたんですが
あんみつみたいな和風味で
とっても美味しかったですよ!
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