今回は柳田国男(1875-1962)の名著
「遠野物語」と
江戸時代に書かれた巷話集
「耳嚢」とに
ちょっと似通った幽霊譚
がありましたので
それをご紹介いたします。
まずは「遠野物語」の概略と感想を ───
民俗学者柳田国男が35歳(明治43年)の時に著したこの説話集は
語り部の孫として育った
作家の佐々木喜善などから聞いた
岩手県遠野地方にまつわる伝承を書き取ったもので
妖怪とか幽霊とか
不思議な体験とか風習などに関する話が
文語体で淡々と書き綴られています。
全部で119話収められたエピソードの一つ一つはかなり短めで
中には三行ぐらいしか無いものも。
まるで詩のように簡潔な文章で淡々と
そして
次から次へと
奇妙な話が語られていきます。
ひっそりとした部屋で
一人これを読んでいると
周囲の温度が一、二度下がったように感じられるような
ジワジワとくる怖さが味わえます……。
新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺 柳田国男コレクション (角川ソフィア文庫)
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そんな「遠野物語」から
今回私がご紹介させていただくのは
こんな幽霊譚です。
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「遠野物語 第86話」
豆腐屋政の父の話
土淵村の中央で役場や小学校がある所を本宿という。
ここに現在36、7歳になる豆腐屋の政という者がいた。
この人の父は大病をして危篤状態にあった。
その頃
この村と小烏瀬川を隔てた下栃内で普請工事があり
みんなで地固めのため、堂突き作業をやっていた。
夕方
そこへ政の父が一人でやって来て言った。
「おれも堂突きをしよう」
政の父はしばらく仲間に加わって仕事をし
やや暗くなってから
みんなと一緒に帰って行った。
「あの人は大病をしていたはずなんだけどなあ?」
みんなは少し不思議に思ったのだが……
後で聞いたところによると
実は父は
その日に亡くなっていたらしい。
人々はお悔やみに行った時
この日の事を語ったのだが
父が来た時刻はちょうど
息を引き取ろうとしていた
まさにその時だったのだそうだ……。
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亡くなりそうな人が
いまわの際に生霊となって
親しい人たちの所にやってくる……
こういう話って
結構よく聞きますよね。
先日読んだ「耳袋の怪」(出典「耳嚢」)にも
これに非常に良く似通った話がありました。
ご覧下さい ───
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「耳嚢」から
「老婆の残魂、志を述べし事」
御普請役元締を勤めていた早川富三郎の祖母は、病気がちであったのだが
ある時
その祖母が日ごろ仲良くしていた隣家に行って挨拶をした。
隣家の妻は祖母に体の調子を訊きながら
「お元気で、おめでたいことです」と述べた。
祖母は
「病気の時にお訪ね頂いた時には何もお構いできませんで、かたじけのう存じました。今日はお暇乞いに参りましたんですよ」
と言う。
隣家の妻は
「御普請役の家の方だから、旅にでも出るのかしら」
とそれなりの挨拶をしておいた。
その後祖母は
町家の心安くしていた者の所へも出向いていき
同じように礼などを述べた。
「長患いしてたって聞いてたけど、お元気になられて良かった良かった」
「お暇乞いだなんておっしゃってたから、ご挨拶に行かなきゃねえ」
同輩の妻と町家の妻が
富三郎の所へ返礼に行こうと家を出た所
なんと
富三郎の家では葬礼の支度の最中であった。
「えっ?」
驚いて尋ねてみると
その老婆は今朝がた
亡くなっていたのだという事であった……。
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片や明治時代、片や江戸時代ですが
現代でもこういう話ってたまに聞きますよね。
こういうよく聞く話と言うのは
きっと本当にある事なんだろうな、と
私は思います。
元気でピンピンしている人でも
生霊がさまよい出てきちゃう事もあるって言うし……。
人の霊魂って不思議ですよね……。
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