今回は舞台の方でも有名な「滝の白糸」の原作
泉鏡花の「義血侠血」のご紹介をいたします。
明治27年に読売新聞紙上に掲載されたこの作品は
鏡花が21歳の時の作。
彼はこの前年
師匠である尾崎紅葉の斡旋によって
「冠弥左衛門」を京都日出新聞に連載し、作家デビューを果たしています。
しかし
「冠弥左衛門」の評判は散々なものでした。
新聞社は打ち切りを要請してきたのですが
紅葉が一生懸命にとりなして
鏡花に助言を与えながら、どうにか作品を完結させました。
そんな経緯があっての
この「義血侠血」。
愛弟子をなんとか一人前の作家として立たせてやりたい!
そんな師匠の親心により
大幅に添削が入れられております。
(新聞掲載時は匿名で発表され、後ほど単行本に収録された時は、奥付の作者名は尾崎紅葉になっていたんですよ)
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あらすじ
乗車賃の安い乗合馬車の出現により、客を奪われてしまい面白くない人力車夫たち。
乗合馬車と人力車とはライバル同士であり、ことあるごとに張り合っていた。
そんなある日
乗合馬車の呼び込みが、一人の美女に声を掛けた。
「人力車よりも安い上に、早く到着できますよ」
声を掛けられたのは
水芸で人気の太夫、滝の白糸24歳。
姉御肌で豪気な性格の娘である。
彼女が乗り込み、満席になった馬車が出発した。
この時、御者をしていたのは
学問好きの青年、欣弥(きんや)26歳。
彼は士族の出身だが、父を喪ったために学業を途中で断念し、母子二人の生計を立てるため御者の仕事をしているのである。
人力車との競争など特に意識していない欣弥だったのだが、走者を代えながらリレー状態で勝負を挑んでくる人力車と、抜きつ抜かれつをしているうちに、興奮してきた乗客たちは彼を煽り始めた。
「兄さん、絶対に人力車なんかにゃ負けるなよ!」
「競争なんかしませんよ」
そういう彼に、乗客たちは迫る。
「呼び込みの奴は、さっきこの姉さんに『人力車より早く着く』って約束してたぞ」
「そうさ、あたしゃ約束したんだよ。どうしてくれんのさ」
そこで欣弥は馬車から馬を一頭外し、それに白糸をかき抱くように乗せると、猛烈な勢いで目的地まで駆けはじめた。
あまりの速さに人力車を追い抜いたのはもちろんのこと、白糸はついに気を失ってしまう。
彼は茶店の座敷に彼女を預けると、再び猛烈に馬を飛ばしながら、乗客たちが待っている所へと戻って行った。
そして
白糸が我に返った時 ────
彼女はすっかり
欣弥に恋をしてしまっていた……。
しかし
この競争に負けた人力車夫の会社は怒り出し、乗合馬車の会社に言いがかりをつけて来た。
そのあおりを食らい、欣弥は会社をクビになってしまった。
そんな彼が、職を求めにやって来た金沢で
思うに任せぬ職探しに疲れ、橋の欄干にもたれながら、うとうとうと眠りかけていた月夜の晩 ────
彼は白糸と邂逅する。
欣弥の方では彼女の事を忘れかけていたのだが
白糸にとっては、これは非常に嬉しい再会であった。
彼が御者をクビにさせられたと聞くと、白糸は少なからず責任を感じてしまった。
そして、向学心に溢れながらも学問の道を諦めざるを得ないという欣弥の身の上に、すっかり同情し
「そんならあたしが貢いでやるよ!」
───と、申し出たのだった。
人並外れた美貌の上に水芸の技は神業級。
超売れっ子芸人である白糸は金など唸るほど持っている。
「縁もゆかりもない人から貢いでもらういわれなんかない」
断る欣弥に、白糸は迫った。
「私はお前様だから貢いでみたいのさ。いくら否だとお言いでも、私は貢ぐよ。後生だから貢がして下さいよ。
ねえ、可(い)いでしょう、可いよう!応(うむ)とお言いよ。
構うものかね。遠慮も何も要るものじゃない。
私はお前様の希望(のぞみ)というのがかないさえすれば、それで可いのだ。それが私への報恩さ。
可いじゃないか。私はお前様はきっと立派な人物(ひと)に成れると想うから、是非立派な人物にして見たくッて耐まらないんだもの。
後生だから早く勉強して、立派な人物に成ッて下さいよう。」
キッパリと、激しく迫ってくる彼女の態度に、欣弥の心は打たれる。
こうして彼は
彼女の申し出を有難く受けることになったのだ。
だが男たるもの、ただ恩に甘えるだけというわけにはいかない。
この恩返しはどうしたら良いだろう。
─── そう言う欣弥に、白糸はこう答えた。
「私の望みはね、お前様に可愛がってもらいたいの」
愛の告白ともいうべきこの言葉に欣弥は
「よろしい。決してもう他人ではない」
ここに彼らの愛は成立し
二人は心の上で
夫婦同然となったのである。
欣弥はそれからすぐに上京し法律を学ぶことに専念し始めた。
白糸はせっせと彼に仕送りを続けた。
それまでの彼女は、金も稼ぐが金遣いも荒いといった生活ぶりであったのだが、欣弥の学費と彼の母の生活費を仕送りするために、別人のように真面目になった。
それはまるで、世話女房そのものの献身ぶりであった。
そうして三年がたった。
見世物の世界は春と夏とが稼ぎ時。特に水芸などは夏に好まれる。
雪に閉ざされる北陸の冬。白糸は少しばかり経済的に困りはじめていた。
彼女はパトロンに頼み込み、金を前借りする。
「これで欣さん親子の半年分の生活費は何とかなった……」
ホッとした彼女は兼六園での興行後、疲れからついうとうと寝入ってしまった。
その時。
他に誰もいなくなった楽屋に、出刃包丁を持った大男が五人現われて、彼女を取り巻き凄みながら脅しつけた。
「姉さん、懐にある金を出しな!」
それは「出刃打ち」という、包丁を使った芸をしている連中だった。
「これはやれないよ!」
必死の抵抗をする白糸だったが、さすがに豪気な女でも凶器を持った屈強の男たちにはかなわない。
彼女は傷つけられた上、ついに金を奪われてしまったのである。
「ああ、欣様に渡す金が……」
警察に訴えようか……?
だが、警察に訴えた所で、金が取り返せるかどうかはあやしいものだ。
パトロンはもう、これ以上金など貸してはくれないだろう。
ぐずぐずしていては、欣様親子が食うに困ってしまう。ああ、どうしたら……。
彼女は地面に賊の出刃包丁と、必死の抵抗をした時にちぎった賊の浴衣の袖が落ちていてる事に気が付いた。
包丁の柄を浴衣の切れ端で包み、フラフラと歩きだす。
そんな彼女の目に入って来たのが、兼六園で貸席をしている金持ちの隠居夫婦の屋敷であった。
こんな事をしてはいけない……
いけない……と心の葛藤をしながらも
気が付けば ───
彼女は隠居夫妻を惨殺し
百円の金を盗み出していたのである。
現場に残されていた出刃包丁と浴衣の袖から、出刃打ちの男が殺人容疑で警察に捕まった。
しかし彼は必死になって主張した。
「人殺しなんかしていません!水芸の滝の白糸から金は奪いましたけれど、あの屋敷の前なんか通ってもいません!」
そこで白糸が呼びだされ、取り調べを受けた。
彼女は頑なに
「あたし、金なんかとられてません」
と言い張った。
裁判所での公判の時がやって来た。
人気芸人が関わった凶悪殺人事件というセンセーションで、傍聴人は山のように押しかけている。
毅然とした態度を崩さない白糸。
だが、入廷してきた裁判官たちに続き、いちばん最後に現れた検事代理の顔を見て───彼女は途端に顔が青ざめ、震えだしてしまった。
───それは新任の検事代理としてこの地に赴任してきた
欣弥その人だったのだ。
審理が始まった。
相変わらず白糸は
「あたしは金なんかとられちゃいません」
と主張する。
欣弥はその主張を目を閉じながら黙って聞いていたのだが、やがて声を励ましこう言った。
「其方(そなた)も滝の白糸といわれては、随分名代の芸人ではないか。それが、仮初にも虚偽などを申しては、その名に対しても実に愧(は)ずべき事だ。
人は一代、名は末代だぞ。
また其方のような名代の芸人になれば、随分多数(おおく)の贔屓(ひいき)もあろう。その贔屓が、裁判所において其方が虚偽を申し立てて、それがために罪なき者に罪を負わせたと聞いたならば、ああ、白糸は天晴な心掛けだと云って誉めるか、喜ぶかな。
もし本官が其方の贔屓であったなら、今日限り愛想を尽かして、以来は道で遭おうとも唾もしかけんな。
雖(しかし) 長年の贔屓であって見れば、まず愛想を尽かす前に充分勧告をして、卑怯千万な虚偽の申立てなどは、命に換えてもさせんつもりだ。」
その途端……。
「……そんなら、本当の事を申しましょうか」
白糸はすらすらと凶行を自供しはじめた。
彼女は懐かしい検事代理のために、喜んで罪の告白をしたのである。
検事代理の欣弥は
断腸の思いをこらえながら
大恩人である白糸を殺人犯として起訴した。
そして
彼女が死刑の宣告を受けた夕べ ───
欣弥は自殺を遂げたのだった。
(完)
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「滝の白糸」という言葉は聞いたことがあるけれど、そのお芝居を見たことが無いので
私はこの話を
しっとりしたロマンチックな話なんだろうな~
と、勝手にイメージしていました。
なので
最初にこの小説を読んだ時には正直言って
「なんだこの突飛な話は!!」
と面食らってしまったのですが
ブログを書くために再読してみると
心理描写はかなり丁寧で
白糸が欣弥に貢ぎたいと思う気持ちも、戸惑いながらも殺人を犯してしまう場面も
「なるほど~、そうであれば、まんざらわからないでもないなぁ」
という気持ちになりました。
一度読んだ話でも、再読してみるとまた違う発見があるものですね。
ほとんど知らないような相手に、いきなり
「貢がせて!」なんて迫ったり、殺人を犯したり
欣様が自殺しちゃったり。
そんなエキセントリックな所はまさに
鏡花ワールド
炸裂!!
といった感じなのですが
不自然な展開を
読みやすい文体や丁寧な心理描写によって
「うんうん、わかるよ~その気持ち」
と思わせてくれる所などは
かなーり紅葉先生の手が入っている事を思わせます。
これはもはや
鏡花&紅葉の師弟コラボ作品と言った方が良いかもしれません。
当初、鏡花が書いた原稿では
欣弥は裁判長だったそうですが紅葉先生によって検事代理に直され(そんなにすぐに裁判長になんかなれませんよね)
裁判の場面では
欣弥は証拠品の包丁を自分の両目に突き立て、血を吹き出しながら
「こうして盲目になった以上は、もはや知り合いとか言っても『眼中』に無い!」
と言って、その場で死刑宣告までしちゃってたらしいのですが
それも紅葉先生によって直されています。
ガッツンガッツン思いっ切り添削しながら紅葉先生
「なにこのグロ展開!こんなんじゃ全然読者の共感得られないからね!」
とか突っ込み入れてたんでしょうか。
鏡花のこのぶっ飛んだ発想
私は結構好きですけれども
とりあえずこの作品に関しては
直してもらって
大正解だったね!!
と思いました。
「義血侠血」はこちらの本に入っています。
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こちらは私の小説です。よろしくお願いいたします。