突然ですが
昔ながらの喫茶店に置かれているメニューって
時々無性に食べたくなりませんか?
私、ナポリタンに目が無いんですよねえ。
自分でも時々作るけど
お店で食べるのとは、なんか微妙に違う……。
トーストみたいに
「パンを焼くだけ」のシンプルメニューでも
お店で食べるのはまるで別物みたいに美味しいのが不思議です。
近頃はスターバックスとかのシアトル系コーヒーショップとか、おしゃれなカフェもたくさんありますが
街歩きをしている時に
古い友達に会ったかのように
ちょっと嬉しくなったりします。
そういう喫茶店の名前には良く
「純喫茶」って冠がついていたりするのですが
「純喫茶」ってどういう事?
って気になったことありませんか?
「純喫茶」なんて、あえて言うからには
「不純喫茶」があるって事なんでしょうか……。?
いやいやいや~。
「純文学」の反対が
「不純文学」じゃなく
「大衆文学(エンタメ)」
であるように
「純喫茶」があるからって
「不純喫茶」があるってわけじゃないんじゃないの~?
そんな風にも思ったのですが
実際の所はどうなんでしょうね。
気になりましたので
今回はそこの所をちょっと調べてみました。
一般客に向けてコーヒーを振る舞う店は
明治の初めごろからポツポツあったらしいのですが
日本での本格的喫茶店第一号は
「可否茶館」だそうです。
外務省を退官した鄭永慶(ていえいけい)が始めたこの喫茶店には
国内外の新聞や書籍が置いてあり
トランプやビリヤードなどを楽しむ娯楽室
シャワールームなども備えられていました。
「コーヒーを飲みながら知識を吸収し、文化交流をする場として広めよう!」
鄭永慶にはそんな志があったらしいのですが
経営は振るわず、残念ながら5年で閉店してしまいました。
その後の
明治44年(1911年)
銀座に
「カフェー・パウリスタ」
「カフェー・ライオン」と
「カフェー」を称する店が相次いで誕生しました。
これらの店にはそれぞれに個性があり
「カフェー・プランタン」は
知識階級の人々のサロンとして流行
「カフェー・パウリスタ」は
文化人だけではなく学生や一般の人々にも愛される庶民的な店
そんなカラーがあったのですが
築地精養軒が出した
「カフェー・ライオン」は
洋酒や洋食を提供し
和服にエプロン姿の若い女給が客の話し相手になる事で人気を博していました。
「カフェー・ライオン」の
はす向かいに
料理も酒も二の次だという
「カフェー・タイガー」という店が出店してきました。
この店は
「美人女給と濃厚サービス」を売りにして
「ライオン」と張り合ったのですが
その後さらに関西から
ユニオン、赤玉などの
エログロ好みの店 (どんなだよ!) が多数進出してきて
「銀座は今や
大阪エロの洪水!」
とまで言われる状態になり
「タイガーのサービスも
おとなしいぐらいに感じるよ~」
などと言われたそうです。
不純だー!
もはやコーヒー全く関係なーい!
(でも当時の文化人の多くが、このような「カフェー」を大変お好み)
これらお色気をメインとした店は
この後「バー」とか「クラブ」とかに発展していくのですが
この当時はこれらの店も
「カフェ」「喫茶店」を名乗っていたので
普通の喫茶店と名称上ゴッチャになってしまっていたのですね……。
その後
酒やお色気を売りにしている店は
「特殊喫茶店」とされ
昭和に入ってから「特殊飲食店取締規則」などで規制されるようになりました。
これらの店と区別をつけるために
コーヒーや甘味を出すという本来の喫茶店を
「純喫茶」と呼ぶようになったんだそうです。
なーるほどーーーー。
「純喫茶」という言葉の裏には
そんな経緯があったんですねえ……。
ブログネタを探しつつ
また一つ勉強になったような気がいたします。
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