彼岸花の美しい季節ですね。
秋のお彼岸の時期(9月半ば過ぎ頃)に咲く事から名づけられた「彼岸花」という名称には
毒草であるために
「これを食べたら彼岸(あの世)に行ってしまう」
ということに由来している
──── と言う説があります。
また
この花が水田の畔や墓地に多く植えられているのには
毒によって害虫や獣などを近寄らせない
という理由もあるのだそうです。
そのため
「死人(しびと)花」とか
「地獄花」とか
「幽霊花」などという
おどろおどろしい別名で呼ばれたりもしていますが
一方では
仏教で「天上の花」という意味を持つ
「曼珠沙華」という
美しい名で呼ばれていたりもします。
彼岸花が咲き始める季節になると
私はいつも
北原白秋のこの詩を思い浮かべます。
夢幻的な美しさと禍々しさが混ざり合った
魅惑的でちょっと怖い詩です。
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曼珠沙華
GONSHAN(ゴンシャン). GONSHAN. 何処へゆく。
赤い、御墓の曼珠沙華(ひがんばな)、
曼珠沙華、
けふも手折りに来たわいな。
GONSHAN. GONSHAN.何本か。
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、あの児の年の数。
GONSHAN.GONSHAN.気を付けな。
ひとつ摘んでも、日は真昼、
日は真昼、
ひとつあとからまたひらく。
GONSHAN.GONSHAN.何故(なし)泣くろ。
何時まで取つても、曼珠沙華、
曼珠沙華、
恐や赤しや、まだ七つ。
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これは北原白秋が26歳の時
明治44年(1911年)に発表した抒情小曲集
「思ひ出」に収録されているものです。
「邪宗門」でデビューした白秋は
それと「思ひ出」の大評判により
詩壇に確固たる地位を築いたのでした。
この詩に出て来る
「GONSHAN」という言葉は
白秋の故郷である福岡県柳川あたりの方言で
良家のお嬢さんという意味とともに
天上の花であるところの彼岸花
という意味もあるそうです。
「邪宗門」と「思ひ出」
この二つの詩集には
白秋が柳川で過ごした幼い頃の不思議な記憶とか
ちょっと怪しげな切支丹文化や異国情緒とか
当時まだ色濃く残っていた江戸時代の空気などが
混然一体となった摩訶不思議な雰囲気が漂っていて
私は大好きな詩集です。
お次に紹介します詩も「思ひ出」からです。
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青いとんぼ
青いとんぼの眼を見れば
緑の、銀の、エメロウド、
青いとんぼの薄き翅(はね)
灯心草の穂に光る。
青いとんぼの飛びゆくは
魔法つかひの手練(てだれ)かな。
青いとんぼを捕ふれば
女役者の肌ざはり。
青いとんぼの綺麗さは
手に触るすら恐ろしく、
青いとんぼの落ちつきは
眼にねたきまで憎々し。
青いとんぼをきりきりと
夏の雪駄(せった)で踏みつぶす。
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踏みつぶさないで~!
と思わず叫んでしまいそうになりますが
何となく愛おしさを感じながらも
次の瞬間には何故かアッサリ殺しちゃうような
こういう残酷さって
幼い時分にはあったりしますよね……。
私もチビッコ時代にはアリさん達に随分ひどい事をしてきました。(^^;)
第三節目からいきなりダークさを増していく展開が
ドキドキしちゃいますね。
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爪紅
いさかひしたるその日より
爪紅(つまぐれ)の花さきにけり、
TINKA ONGO(チンカオンゴ)の指先に
さびしと夏のにじむべく。
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「TINKA ONGO」
というのは
柳川の言葉で「小さき令嬢」という意味です。
爪紅はホウセンカの別名で
昔はその花を揉んで爪を染めたんだそうです。
何となく捨て鉢な気分になって
爪を赤く染めている思春期の少女。
彼女の部屋に夏の夕暮れの日差しが斜めに差し込み
カナカナと鳴くヒグラシの声が聞こえるような気がします。
北原白秋の初期の詩には
美しさと懐かしさと不気味さが混ざり合った
ステンドグラス越しに見る悪夢のような雰囲気を感じます。
悪夢なんだけれども蠱惑的で魅力的で
独特の世界にうっとりさせられてしまいます。
彼岸花の話から大分脱線して
北原白秋の詩の紹介になってしまいましたが
彼岸花の花ことばには
「悲しい思い出」
「あきらめ」
などという
いかにもな感じのものがある一方で
意外な事に
「情熱」
「独立」
「再会」
といったポジティブなものもあるんだそうですよ。
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こちらは私の小説です。よろしくお願いいたします。