今回は
一遍上人の教えをまとめあげた
「一遍上人語録」と「播州法語集」の感想
を書かせていただきます。
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《一遍智真上人の生涯》
1239年(延応元年)
伊予の国松山に生まれました。
生家は瀬戸内海きっての有力水軍河野家ですが
彼が生まれた頃にはすでに没落していました。
母の死を機に10歳で出家
(この時付けられた名は随縁)
当初は天台宗を学んだものの、やがて浄土宗に転向。
名前を智真と改めます。
1263年(弘長3年)
智真が25歳の時、父が世を去ったため実家に戻ります。
彼は還俗して妻を娶り、武士としての生活を送りました。
その後一族同士のゴタゴタがあったりして
いい加減うんざりしてしまったようです。
1271年(文永8年)
32歳で再び出家。
それから修行の果てに
「全ての人が極楽浄土に往生できる」
という意味の
「十一不二の偈」
を感得しました。
その後
超一(妻)、超二(娘)、念仏坊(下女)を伴って
念仏布教の旅に出ます ────
紀伊の国に赴いた時
とある僧侶に、念仏を書いた札の受け取りを拒否され
智真はショックを受けてしまうのですが
そんな時……
────熊野権現からお告げがありました。
「信・不信をえらばず、浄・不浄をきらわず、その札を配るべし」
お告げに動かされた彼は、それまで札に書きつけていた
「南無阿弥陀仏」
の文字に
「決定往生六十万人」
という言葉を加え、それを配り歩く事を決意し
妻子と別れ
名前を一遍と改め
再び布教の旅に出たのです。
その後彼は、弟子や信者を増やしながら各地を旅(遊行)していきます。
信濃の国の佐久伴野荘に行った時から、彼の布教は踊りながら念仏を唱える
「踊り念仏」
のスタイルを取り始めました。
1282年(弘安5年)
鎌倉入りをしようとしたものの拒絶される、と言う憂き目に遭いながらも信者は続々と増加。
1284年(弘安7年)
京都で説法した際には、念仏札を受けに来た大群衆で押すな押すなの大騒ぎ。
その後も各地で遊行を続けた一遍上人ですが、疲労の蓄積は甚だしく
1289年(正応2年)
摂津の国の兵庫津和田岬の観音堂で51歳の生涯を終える事となりました……。
死期を覚った上人は、持っていた聖経の一部だけを書写山の僧に託し
残りは全て阿弥陀経を唱えながら自らの手で焼き捨て
「一代の聖教皆尽きて、南無阿弥陀仏になり果てぬ」
と、後には何も残さなかった ──── ということです。
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この両書は
各地に遺され、伝えられていた、一遍上人の手紙や法語などをまとめ
江戸時代に刊行されたものです。
現代語訳でない上に宗教的な教えについて語られている事なので
自分の解釈が果たして本当に合っているのかどうか自体が、はなはだ不安な所なのですが
それでも、読んでみて色々と思う所がありました。
「南無阿弥陀仏」
と唱えることにより、誰でも極楽往生することができる ───
この教えは
戦乱や飢饉や疫病などに常に脅かされ
この世がまさしく
「穢土(えど=汚れた所)」
であるとしか思えなかった昔の人々にとっては救いであり、
心の平安をもたらしてくれたことでしょう。
けれども
平和の時代を生きる私たちにとっては
今一つピンと来ない感覚なのではないでしょうか?
仏の世界である極楽浄土に行く ───
ということは、すなわち
解脱して輪廻転生のループから外れる
という事になるのですが
私など
「出来る事なら、再びこの世に生まれ変わりたい!」
と思っているクチなので
極楽浄土に行く事になると
かえって困ってしまうんですよね……。(^^;)
そもそも
極楽浄土という所は
万人にとって無上の場所だと言い切れるほどの
そんなに良い所なんでしょうか?
──── こんな風に考えるのって
きっと私だけじゃないですよね。
ただ
今回これを書くにあたって色々ネットで調べてみましたところ
とあるお寺さんの説明に、こうありました。
極楽往生には
「死後の極楽往生」と
「生きている間の極楽往生」の二種類があり
「生きている間の極楽往生」と言うのは
「心が安らかで明るい状態」なんです
─── と。
なるほど
それだったら納得出来ます。
だって
いくら極楽があると言われたところで
死後の世界が本当の所どうなっているのかなんて
結局の所は誰にもわからない。
そんなものは
理念と願望の賜物にすぎないじゃないか!
───と思ってしまうけれど
今自分が生きてるという事は
絶対的な現実。
「宗教」とか何かの「教え」というものは
生きている人間の心を
今、ここで救ってくれる。
力になってくれる。
そういうものでなくては、全然意味がないですからね。
「死後に極楽往生するために、生きている今は地獄をひたすら耐え忍べ」
そんな教えであるとしたら
本末転倒もいい所です。
そのような意識をもって臨んでみますと
この本には実際の処世にも応用できるような
示唆に富んだ、興味深い言葉がたくさんありました。
繰り返し繰り返し頻繁に出て来るのが
「つべこべ考えるのはやめなさい」
「ただ無心に南無阿弥陀仏を唱えなさい」
ということです。
一人一人の人間の主観にはどうしたって偏りがあるから
絶対的な客観性なんてものは、到底持ちえない。
だから小さな一個人が
ああだこうだ心を悩ませて考えた所で
真理になど
たどり着けるものではない。
そんなことより
頭を空っぽにして
無心に念仏を唱えながら
大きな力にポーンと身を委ねればいい。
ものすごくザックリした解釈ですが
そんな風に言われているような気がしました。
また、それ以外にも
一遍上人は
極楽往生を成し遂げるために
修行や学問を頑張ったり
善行を積んだりする事を
「そういう事をしていると、むしろ極楽往生は難しくなる」
と言っているのですが
その理由を
「頑張っている人とか困難な事を成し遂げたような人は、どうしてもそれを自ら誇りに思ってしまい、いつしか他の人を蔑むような驕った心になってしまうから」
だと言うんです。
なるほどなあと思いました。
「下手に学問などをして、上から目線の傲慢な人間になる位だったら、学問なんかしない方がよっぽどマシだ」
というような事が書いてあったのですが
この言葉は、ちょっとそれに通じるような気がします。
向上心を持つ事
頑張る事
自分に自信を持つ事
これらが悪い事だなんて、私は全然思いませんが
これらの事と
驕った心になってしまう事
というのは
ものすごく近接しているから
よほどな自制心を持たないと避けるのは難しい。
驕りの心というものは
知らず知らず、態度や口ぶりに現れるから
えてして人に感づかれ
反感を持たれてしまう。
怖いですよね……。
私自身まだまだ未熟者なので、一遍上人の言葉には必ずしも全面的に同意出来るわけではないのですが
色々と気づかされる事は多かったです。
こういう本というのはきっと
サッと一読するだけでは
深い所まで到底理解する事はできないから
折に触れ何度も開いてみて
一言一言、じっくり玩味するべきものなのでしょうね。
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