今回は
チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ(1902-1974)が
1927年5月
世界初のアメリカ~ヨーロッパ間単独無着陸横断飛行を成し遂げた時の事を記した
「翼よ、あれがパリの灯だ」(1953年)
のご紹介をいたします。
1902年
19歳の時、ウィスコンシン大学機械工学科を中退してリンカーン飛行学校に入り
パイロットとしての道を歩み始めました。
この時、化学教師をしている母は彼にこう言ったそうです。
「本当に飛びたいのならそうなさい。
自分の人生は自分で開きなさい。
私はあなたを引き留めることはできません」
飛行や整備の技術をおさめた彼は
その後アクロバット飛行や遊覧飛行で巡業し
22歳でアメリカ空軍予備隊に入り大尉になります。
そして1927年
25歳になった彼は
ロバートソン航空という郵便物の空輸を請け負う会社で
セントルイスとシカゴの間を飛び回る
郵便飛行士となっていました。
会社所有のオンボロ複葉機で空を飛びながら
彼はいつも、こんな風に思っていました。
「こんなオンボロ飛行機じゃなくて、最新式のライト・べランカ機だったら
もっとたくさんの重量を積んで、もっと遠くまで飛んでいけるのに……」
タンクに燃料をいっぱい詰めたライト・べランカ機なら
きっと一晩中だって空を飛んでいられることだろう。
あの最新式のホァールウィンド・エンジンをもってすれば
もしかしたら
ニューヨークからパリにだって行けるかもしれない!
私が大西洋を飛べないというのか。私はもう二十五歳だ。もう二千時間近くも飛んでいるんだ。
いままでに、四十八州の半分以上も空の旅回りをしたし、いちばん条件の悪い夜だって郵便物を運んでいるんだ。
私は航空士官候補生として陸軍航空隊に勤務している間に、航空の基礎を学んだ。私はこれでも、ミズーリ国防軍の第一一〇偵察中隊の大尉だ。
飛行家としてのあらゆる過去の野心、希望、夢は、現実となったのだ。
いまは、もっとそれ以上のことがやりたい。
よし、一念発起、パリまで飛ぼう!
冒険心が勃然と
彼の心に火をともしました ────
─── けれど
若い無名の郵便飛行士に過ぎない彼には
最新式のライト・べランカ機を買うだけの
財力など全くありませんでした。
そこで
彼は地元セント・ルイスの名士一人一人に
この冒険の後援を依頼してまわったのです。
ちょうどこの頃
ニューヨーク~パリ間の
ノンストップ飛行を達成した者には
賞金2万5000ドルを進呈!!
というオーティグ賞が発表されていて
アメリカ国内だけではなく、フランス側からも
「我こそは!」
と意気込む有名パイロットたちが
続々とチャレンジに名乗りを上げている所でもありました。
もしリンドバーグがこれに成功すれば
セントルイスの街にとっても良い宣伝になるに違いない
── という事で
地元の数人の有力者たちが資金の援助を申し出てくれました。
けれども
ライト・べランカ機を買うまでには
まだまだ全く資金不足です。
そこで
リンドバーグはライト・べランカ機の製造元に掛け合ってみたのです。
「そちらの飛行機を使ってニューヨーク~パリ間のノンストップ飛行を成し遂げれば、そちらにとっても良い宣伝になると思うんですよ。
だからもっと安く譲ってくれませんか?」
すると向こうからの返事は
「よろしい。2万5000ドルの所を1万5000ドルでお譲りしましょう」
こうして話はまとまりかけたのですが
「ただし、それを飛ばすパイロットはこちらで選ばせていただきます」
というべランカ側の言い分に
リンドバーグは耳を疑ってしまいました。
「はあ!?」
こうして話は決裂してしまったのです。
リンドバーグは飛行機づくりを
サンディエゴにある
ライアン航空会社
という会社に依頼する事にしました。
この会社は一見小さくてパッとしないように見えながらも
若い社長は誠実な人柄で
主任技師の腕前も十分に信頼できるものでした。
こうして1万5000ドル以内の予算で飛行機を完成する事ができました。
名前は
(セントルイス号)
そうこうしている間にも
横断飛行に名乗りを上げているライバルたちの情報は
新聞を通してひんぱんに目に入ってきました。
大金持ちの百貨店主がバード中佐のために10万ドルを後援してエンジン3発のフォッカー機を作らせた
とか……
シコルスキー社がフランスのルネ・フォンク大尉のために飛行機を作ってあげた
とか……
在郷軍人会がノエル・デーヴィス中佐のために10万ドルも支援して
彼はライト・ホァール・ウィンド・エンジンを3発も付けたキーストン複葉機を作った
とか……
ライバルパイロット達は、あまりに華やかな存在で
後援される資金の額もけた違い……。
そんな彼らが次々に
ニューヨーク~パリ間のノンストップ飛行に挑み続けているので
記録が達成されてしまうのは時間の問題のように思われました。
しかし……
そうこうしているうちに
デーヴィスとウースターは試験飛行で死亡。
バード中佐とその乗員は事故で負傷。
チャンバーリンはベランカ機をぶつけて破壊。
そして
フランスから飛び立ったナンジェッセとコリの「白鳥号」は
海上で行方不明になってしまいました…………。
セントルイス号に乗ってニューヨークにやってきたリンドバーグは
先日壊れたはずのバード中佐の3発フォッカー機「アメリカ号」が早くも修繕を終え、元気に飛び回っているのを見ます。
バード中佐はもう完全復活している様子。
チャンバーリンが壊してしまったというべランカ機の方も
もう立ち直った様子だけれども
こちらはパイロットの選定でごちゃごちゃしている模様。
これまで全く無名の存在だったリンドバーグは
このチャレンジに参加を表明したことにより
いきなりマスコミの注目を浴びてしまい
うんざりするほどの取材攻めに遭ってしまいました。
タブロイド紙は彼に関して
「空飛ぶバカ」
だの
「昔のあだ名はラッキィ」
だのと
興味本位のでたらめ記事ばかり書きまくりました。
いま一つコンディションの悪い
ニューヨーク~パリ間の天気模様
空路の天気の回復を
挑戦者たちは皆一様に
今か今かと待ち構えていました。
そんな5月19日の午後
リンドバーグの元に
「大西洋の上空は晴れてきている。急に天気が変わったようだ」
という情報が入ってきました。
よし
明け方には
離陸できるかもしれない!
飛行場に着いてみると、驚いたことには、バードやチャンバーリンのキャンプには、準備らしい気配が少しも見えていない。
みんな天候好転の確報を待っているらしい。
しかし飛行士は、天気予報の悪いときでもしばしば目的地に到着している──私はセント・ルイス=シカゴ郵便飛行でこれを経験している。
ヨーロッパ全航程にわたる完全無欠な好天候の確報なんか待っていられるもんか。
今こそチャンスだ。よし、明け方に飛び出そう!
出発を決意したリンドバーグはホテルに戻り
少しでも多くの睡眠をとろうと思いました。
─── しかし
寝入りばな
彼は、休息を妨げないようにホールで見張り番をさせていたスタッフの男によって、いきなり起こされてしまいます。
「何……?」
「君が行っちまった後、おれは何をやるんだい?」
意味不明な相談事にムッとした彼は
その後
すっかり眼が冴えてしまい
結局
一睡もできないまま
出発の朝を迎える事になりました。
5月20日早朝
ニューヨークのルーズヴェルト飛行場からセントルイス号で飛び立ったリンドバーグは
チームを組んでいるために迅速な決断が出来ないでいたバードやチャンバーリンに思いをはせながら
「一人きりで飛行するという事は、なんと得な事だろう!」
と感じていました。
一人で飛行することによって、私は時間と自由を得ることができた。
私の決心というものが、他人の生命に責任をもつことで、重圧を感ずることはない。
「セント・ルイス号」を夜明けに出発させる準備の命令を出すのに、だれに相談する事も無かった。
どろんこの滑走路や追い風という悪条件の中で、機上の操縦席にすわっていたとき、
「ええ、やっちまえよ」
「どうもよくないようだ」
などといって、私の判断をぐらつかせる人もいなかった。
また多人数のうるさい問題にからまってしまうこともなかった。
父のいった言葉によれば、私は一人で一人まえ──独立独歩の、ただ一人の──完全な一人前の男なのだ。
ところが……
出発からわずか3時間という頃から
彼は睡魔に襲われ始めてしまいます……。
次第に強くなる一方の睡眠欲求に
頭や体をぶんぶん振ったり
足で床板を踏んだりして抵抗しながら
彼は
「たぶんここは、このあたりだろう」
という推測航法で
パリを目指して飛び続けました。
燃料をたくさん積むために
飛行機の重量を少しでも軽くしておかなくてはならず
そのため
この飛行機には
六分儀や無線などはおろか
パラシュートすらも積んでいなかったのです!
雷雲層の中に突っ込んで飛行機を凍結させてしまったり
惨事を避けるためにルートを迂回したりするうちに
彼は次第に
自分が今どこを飛んでいるのかという確証が得られなくなってきました……。
さらに
烈しい睡魔と戦い続ける彼は
次第に夢うつつの状態になり
操縦席の背後に
幽霊のような人々がひしめいている気配まで感じ始めてしまいます。
──── 飛び立ってから2日目の朝
彼は自らに活を入れるため
飛行機を大西洋上に錐もみ降下させました。
神様どうか力を与えたまえ!
意識を覚ました彼は
ついに
睡魔の呪縛を破り
飛行機を上昇させながら深呼吸をしました。
静かにすわって、あけ放たれた窓の外を見ながら、力と自信をうち立てた。
なんと大洋の美しいことよ!
なんと大空の澄んでいることか!
炎のような太陽!
何事が起ころうと、この瞬間、生きていることでたくさんだ。
やがて
いよいよフランスの海岸線が見えてきました。
夜の帳が下り、世界が闇に包まれた頃
彼の眼は暗い地表の上に輝く町の光を見出しはじめました。
そしてついに
視線の先に
ぽっかりと浮かぶ白い月のように
パリの街の灯が
近づいて来たのです ────
--------
一歩間違えば命さえ落としかねないのに
人はなぜ
冒険に立ち向かっていくのでしょう……。
もしかするとそこには
挑んでみたら
ひょっとしてクリア出来るかもしれない。
そして
それを達成した暁には
自分は今よりも
もっと高いステージに行くことが出来るに違いない。
そんな目算というか
予感のようなものがあって
抑えきれないくらいに
心が駆り立てられるんじゃないかと思います。
(絶対に無理だと思うような事には、挑む気になんかなりませんもの)
自分では到底できないし
やろうとも思えないような大冒険も
本を読んで疑似体験している間は
血沸き肉踊り
ワクワクしてしまいます。
この
「翼よ、あれがパリの灯だ」は私の大好きな物語で
何度読んでも飽きることがありません。
それにしても
この手記を翻訳した佐藤亮一さんによる
「翼よ、あれがパリの灯だ」
という邦題
グッとくるほど
カッコいいですよね!!
(原題は"The Spirit of St.Louis")
私が読んだのは筑摩書房の
「ノンフィクション全集」
というシリーズの巻12なのですが
それが見当たらなかったので
同じ筑摩書房から出ているこちらの本を貼り付けておきます。
現代世界ノンフィクション全集〈第22〉 翼よ あれがパリの灯だ 運命とのたたかい 夜と嵐をついて 地球は青かった (1966年)
- 作者: 筑摩書房編集部
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1966
- メディア: ?
- この商品を含むブログを見る
関連記事のご案内
リンドバーグのライバル、バード中佐が地底人と遭遇していた!?
大学生が手作りヨットで日本一周!「ヤワイヤ号」の冒険
こちらは私の小説です。よろしくお願いいたします。