以前、島崎藤村の詩のご紹介記事を書いた時に
「この詩が、ものすごくドラマチックで良いんですよぉぉ~!」
と言っておススメしたものの
ブログに引用して載せるにはちょっと長すぎるかなあ?
と思ったため
タイトルだけのご紹介になってしまっていた
「鶏」という詩
を、今回はここでご紹介したいと思います。
この詩は島崎藤村が
1897(明治30)年
25歳の時に出した抒情詩集
「若菜集」に収録されております。
鶏(にはとり)
花によりそふ鶏の
夫(つま)よ妻鳥(めどり)よ燕子花(かきつばた)
いづれあやめとわきがたく
さも似つかしき風情あり
姿やさしき牝鶏の
かたちを恥づるこゝろして
花に隠るゝありさまに
品かはりたる夫鳥(つまどり)や
雄々しくたけき雄鶏の
とさかの色も艶(つや)にして
黄なる口嘴(くちばし)脚(あし)蹴爪(けづめ)
尾はしだり尾のながながし
問ふても見まし誰(た)がために
よそほひありく夫鳥(つまどり)よ
妻守(も)るためのかざりにと
いひたげなるぞいぢらしき
画にこそかけれ花鳥(はなとり)の
それにも通ふ一つがひ
霜に侘寝(わびね)の朝ぼらけ
雨に入日の夕まぐれ
空に一つの明星の
闇(やみ)行く水に動くとき
日を迎へんと鶏の
夜の使(つかひ)を音(ね)にぞ鳴く
露けき朝の明けて行く
空のながめを誰(たれ)か知る
燃ゆるがごとき紅の
雲のゆくへを誰か知る
闇もこれより隣なる
声ふりあげて鳴くときは
人の長眠(ねむり)のみなめざめ
夜は日に通ふ夢まくら
明けはなれたり夜はすでに
いざ妻鳥と巣を出(い)でて
餌(ゑ)をあさらんと野に行けば
あなあやにくのものを見き
見しらぬ鶏の音(ね)も高に
あしたの空に鳴き渡り
草かき分けて来るはなぞ
妻恋ふらしや妻鳥を
ねたしや露に羽ぬれて
朝日にうつる影見れば
雄鶏(をどり)に惜しき白妙(しろたへ)の
雪をあざむくばかりなり
力あるらし声たけき
敵(かたき)のさまを懼(おそ)れてか
声色(いろ)あるさまに羞(は)ぢてかや
妻鳥は花に隠れけり
かくと見るより堪へかねて
背をや高めし夫鳥(つまどり)は
羽がきも荒く飛び走り
蹴爪に土をかき狂ふ
筆毛のさきも逆立ちて
血潮にまじる眼のひかり
二つの鶏のすがたこそ
是おそろしき風情なれ
妻鳥(めどり)は花を馳け出でて
争闘(あらそひ)分くるひまもなみ
たがひに蹴合う蹴爪には
火焔(ほのほ)もちるとうたがはる
蹴るや左眼(さがん)の的それて
羽に血しほの夫鳥(つまどり)は
敵の右眼(うがん)をめざしつゝ
爪も折れよと蹴返しぬ
蹴られて落つるくれなゐの
血潮の花も地に染みて
二つの鶏(とり)の目もくるひ
たがひにひるむ風情なし
そこに声あり涙あり
争ひ狂ふ四つの羽
血潮(のり)に滑りし夫鳥の
あな仆(たふ)れけん声高し
一声高く悲鳴して
あとに仆るゝ夫鳥の
羽は血潮の朱(あけ)に染み
あたりにさける花紅(あか)し
あゝあゝ熱き涙かな
あるに甲斐なき妻鳥は
せめて一声鳴けかしと
屍(かばね)に嘆くさまあはれ
なにとは知らぬかなしみの
いつか恐怖(おそれ)と変りきて
思ひ乱れて音(ね)をのみぞ
鳴くや妻鳥(めどり)の心なく
我を恋ふらし音(ね)にたてて
姿も色もなつかしき
花のかたちと思ひきや
かなしき敵とならんとは
花にもつるゝ蝶あるを
鳥に縁(えにし)のなからめや
おそろしきかな其(そ)の心
なつかしきかな其の情
紅(あけ)に染みたる草見れば
鳥の命のもろきかな
火よりも燃ゆる恋見れば
敵のこゝろのうれしやな
見よ動きゆく大空の
照る日も雲に薄らぎて
花に色なく風吹けば
野はさびしくも変りけり
かなしこひしの夫鳥の
冷えまさりゆく其(その)姿
たよりと思ふ一ふしの
いづれ妻鳥の身の末ぞ
恐怖(おそれ)を抱く母と子が
よりそふごとくかの敵に
なにとはなしに身をよする
妻鳥のこゝろあはれなれ
あないたましのながめかな
さきの楽しき花ちりて
空色暗く一彩毛(ひとはけ)の
雲にかなしき野のけしき
行きてかへらぬ鳥はいざ
夫(つま)か妻鳥か燕子花(かきつばた)
いづれあやめを踏み分けて
野末を帰る二羽の鶏(とり)
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あぁぁ…………
夫鶏があまりにも不憫過ぎて
思わず泣けて来てしまいます……。
(´;ω;`)
ニワトリ達のお話とはいいながら
騎士物語さながらに
ドラマチック&ロマンチックですよね!
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