今回は
明治32(1899)年にアメリカで出版され
世界中の人々に日本人の精神性を理解させる一助となった
新渡戸稲造(1862-1933)の名著
「武士道」
のご紹介をいたします。
新渡戸(にとべ)稲造
と言いますと
1984(昭和59)年から2007(平成19)年までの間
5千円札に載っていた人として良く知られていますが
同時期に1万円札になっていた福沢諭吉
ですとか
千円札になっていた夏目漱石
などと比べ
一体何をした人なのか?
その業績をあまり知らない人も、多いのではないかと思われます。
新渡戸稲造さんという人は
農業経済学、農学などの学者であり
なおかつ
多くの学校で教鞭をとったり、校長先生や学長先生になったりした教育者であり
また
クリスチャンでもあり
アメリカ人の奥さんと結婚をして
アメリカでも仕事をしていた国際人であり
1920(大正9)年、国際連盟が設立された時には
事務次長に選ばれ、その後6年間
国連事務次長を務めたりしたという
大変立派な人なのですが
数多い彼の業績の中でも
何といっても一番知られているのが
この「武士道」という本を
世界に向けて
英語で著したことなんです。
これを書く10年ほど前
新渡戸はベルギーの法学者ド・ラヴレーからこんな質問をされていました。
「宗教教育の無い日本人は、どのようにして道徳教育を授かるんだい?」
彼はまた、妻のメアリー(日本名・万里子)からも、日本人について何度も訊ねられていました。
「どうして日本では、このような思想や道徳的習慣がいきわたっているの?」
そこで新渡戸は
自分の善悪や正義の観念というものは、一体どこから来ているのか?
よくよく考えてみたところ
自分に道徳的観念を吹き込んだのは
武士道だった!
という事に気が付きました。
1862(文久2)年、盛岡の南部藩士の家に生まれた新渡戸稲造は
幼い時から道徳律として
武士道精神を叩き込まれていたのです。
「彼ら外国人に納得のいく説明をするには
封建制と武士道の説明をしなくてはならない」
新渡戸はそう思いました。
明治32(1899)年当時
日清戦争で勝利をおさめた日本は
いっぺんに欧米先進諸国から注目される立場となっていました。
しかし
大国・清を下した極東の新興国日本に対して向けられる眼は
決して好意的なものばかりではなく
野蛮で好戦的な民族だと蔑視するような向きもあったのです。
その頃
病気療養のため、カリフォルニアに滞在していた38歳の新渡戸は
「日本人はそのようなものではない!」
と反発心と愛国心に駆られ
日本民族を正しく理解してもらうために
「BUSHIDO The Soul of Japan」
(日本語タイトル「武士道」)
を著したのでした。
「武士道」は刊行されるやいなや
欧米諸国で絶賛され
大変多くの人に読まれることとなりました。
アメリカだけではなくイギリス、フランス、ドイツ、ポーランド、ノルウェー、中国でも出版され
世界的ベストセラーになりました。
これを読んですっかり親日家となり
そのおかげで
日露戦争終結の際、彼は日露講和条約の調停役を引き受けてくれることとなったのでした。
(あと1か月戦争の終結が遅かったら、日本が負けていた可能性が高かったので
まさに新渡戸の「武士道」が日本を助けてくれたようなものだったんです!)
ちなみにルーズヴェルト大統領は、この講和の斡旋により
ノーベル平和賞を受賞しています。(^^)
「武士道」の冒頭において
新渡戸はこのように語っています。
武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。
それはわが国の歴史の標本室に保存されているような古めかしい道徳ではない。
いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている。
たとえ具体的な形はとらなくとも道徳的な薫りをまわりに漂わせ、私たちをいまなお惹きつけ、強い影響下にある事を教えてくれる。
武士道
それは、支配階級たる「武士の掟」
すなわち
かつての日本における
「高き身分の者に伴う義務」(ノーブレス・オブリージュ)
だと新渡戸は言います。
それは
勇猛果敢なフェア・プレーの精神
であり
仏教から
生に執着せず、死を恐れず、常に心を平静に保つことを
神道から
主君への忠誠と愛国心、祖先への尊敬、親に対する孝心を
儒教から
取り込んだ
成文化こそされてはおらずとも
侍たちの心の中に
深く刻み込まれてきた掟。
《武士道において大切とされていること》
義・・・正義を遂行する精神
勇・・・勇気。ただし、義のために行われるのでなければ無価値です。
真に勇気のある人は、常に穏やかで、心の均衡が乱されることがなく
戦場でも敵と歌のやり取りをするぐらいの余裕がある、とされました。
そのため、侍の子は胆力を鍛えるべく
幼い頃から超スパルタ教育で忍耐する事を訓練されました。
仁・・・優しく柔和な慈悲の心
ただし
武士の情けと言われるサムライの慈悲は、決して盲目的なものではなく
常に正義に対する適切な配慮を含んだ上での慈悲です。
礼・・・他を思いやる心の表れとしての礼儀正しさ
礼の最高形態は
「寛容にして慈悲深く、人を憎まず、自慢せず、高ぶらず、相手を不愉快にさせないばかりか、自己の利益を求めず、憤らず、恨みを抱かない」
という
ほとんど「愛」に近いものです。
誠・・・嘘をついたりごまかしたりしない誠実さ
名誉・・・高潔さに対する屈辱を恥ととらえる感受性
侮辱に対してはただちに怒り
死をもって報復する事もあるほどです。
忠義・・・武士が重んじるのは個人よりも公
わが生命は主君に仕えるための手段に過ぎないと考え
もし主君が間違っていたら
あらゆる可能な手段を尽くしてその過ちをただします。
それでもうまくいかなかった時には
武士は自分の血をもって己の言葉の誠実を示し、最後の訴えをするのです。
これらの他にも、武士の心得としては
金儲けや蓄財を賤しむ
とか
すぐに感情を表に出さない
などといったものがあります。
さて
支配階級の武士たちがこのようにして
彼ら独自の道徳律を守っているのを
一般民衆たちは
「カッコイイ~!」
と好感のまなざしで見ていました。
「源義経と忠臣弁慶」の話
ですとか
「曽我兄弟の敵討ち」の話
のように
芝居や寄席や講談や小説など大衆娯楽の中では
気高い武士たちの姿がヒーロー的に描かれ
いつしかそれは日本国民全体の
「美しき理想の姿」となっていったのでした。
「花は桜木 人は武士」
と歌われたように、武士が大衆のあこがれとなり
武士道の精神は
国民全体の精神となっていったのです。
武士道の日本人にあたえる影響は、いまなお深く力強いものがある。すでに述べたように、それは無意識かつ無言の感化である。
明治時代の日本の空気を
新渡戸稲造はこのように伝えています。
さて
それから100年以上経った
令和の現代
私たちの心の中に
「武士道」は
存在しているのでしょうか?
私は現代の日本人にも
やっぱり武士道の感化は
どことなく残っているような気がしています。
ドラマや映画や
小説や漫画などでも
武士が主人公というものは、今なお人気がありますし
特撮ヒーローの登場シーンなんかでも
ヒーローが長々と名乗りを上げている間
悪役は、攻撃するのを控えてくれてますよね。
(戦隊ヒーローの場合、全員分の名乗り、って結構長い時間だと思うんだけど)
あれなんか、まるで昔の戦で騎馬武者が
「遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ。我こそは○○介の嫡子〇〇太郎なるぞ~」
って名乗りを上げてるのにそっくりだと思います。
ああいう時には攻撃をしちゃ駄目!
ああいう時に攻撃するのは、いくら悪役とはいえ、なんだか美しくない!
この感覚って
武士道っぽい!!と思うんですが
どうですかね?
桃太郎や牛若丸の絵本を読んでチビッコ達が育つかぎり
私たち日本人の中には、これから先もずっと
武士道的な美学は存在し続ける────
私はそんな気がします。
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