TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

吉川英治には小説以外にも、素敵な詩歌がたくさんあるんですよ。

今回は

私が最も尊敬している小説家

吉川英治の作った詩歌

をご紹介いたします。

 

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吉川英治と言えば

宮本武蔵

三国志

「新・平家物語などの

大河小説を書いた作家として有名ですが

 

彼の文芸創作への入口となったのは

幼い頃から親しんでいた俳句でした。

 

そして、小説家になる以前の青年期には

吉川雉子郎という名の川柳作家でもありました。

 

そのため

吉川英治は生涯にとてもたくさんの俳句川柳詩歌などを作っているのですが

 

今回はその作品集から

私の好きなものをいくつかご紹介しようと思います。

 

 

さかづきの底に澄みたり秋の雲

 

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酒にはあまり強くはなく、舌を洗う程度にとどめていた吉川英治でしたが

酒と、酒の場の雰囲気はとても好きだったそうです。

 

父親の酒乱が原因で、子供時代には大変な苦労を舐めさせられたため

 

「酒は日本刀を液体にしたようなものだ。間違うと人も斬る、自分も斬る」

 

と語る一方で

 

「僕自身は酒の害など考えた事も無い。

もし酒が無かったら、人生、どれほど味気ないことか」

 

とも語っています。

 

 

この先を考へて居る豆の蔓

 

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豆のツルが手先を伸ばしながら

 

「どこかに掴まるものはないかなあ……」

 

なんて思案している様子が

まるで動物みたいで、なんだかユーモラスじゃありませんか?

 

 

厳かに春待つ父や梅の花

 

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英治がまだ幼かった時分

父の事業がまだ順調で裕福だった頃の話です。

一家は横浜で暮らしていました。

 

磯子区の杉田という所には、かつて大きな梅園があって

英治は父と二人きりで

そこに梅を見に行ったことがありました。

 

その時、山の茶店で茹で玉子を買ってもらい

その余りの美味しさに英治は

「もっと食べたい」

と思ったのですが、玉子はそれでもう品切れ。

 

父は

「何でも、ものはもう少し欲しいという所が良いんだ。足らなかったから、なお茹で卵がうまかったろう」

と言いました。

その言葉が英治の心の中に、強く印象を残したそうです。

 

帰り道

父は蕎麦屋かどこかで酒を飲み、ぐでんぐでんに酔っぱらってしまいました。

 

ヨロヨロ歩きながら梅の枝を担ぎ、時折帽子を落としたり座ってしまったりして、

幼い英治をほとほと困らせてしまいました。

 

しかし、父の印象として、なつかしく、今も思い出してうれしくおもうのは、なぜか、その日の父である。 

 

「折々の記」

 

英治が11歳の時

 

父の事業が行き詰まり

一家は貧乏のどん底に突き落とされてしまいました。

 

それまで経済的な苦労を何一つ知らなかった母が、

幼い子供たちを大勢抱え、家族を養うため、

奮闘せざるを得なくなりました。

 

優しい母が大好きだった長男の英治は、

子供ながらに大黒柱の代わりとなって働きに出て

 

共に一家を支えるべく

より一層、母との連帯感を強めていきました。

 

ほんとに忘れられない「愛」は母の「愛」だと思う。

母の愛だけは、特に思い出そうとしなくても、何かの生活にふれる度にフッと思い出す。

そしてそのことを考えている間は、自分は童心に帰り、青年期の夢、励み、希望を思い出して、一つの力となり人生の生甲斐となっていることが多い。

 

「窓辺雑草」

 

 

母あらばなど想ふ日の梅うらら

 

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母について書いた川柳にはこんなものもあります。

 

 

こんな事書くかと思ふ母の文

 

 

「こんな事書くか~!?」

って思うような、お母さんからの手紙って

一体どんな事が書いてあったんでしょう……?

 

なんだか、最近話題になった

「おかんメール」(お母さんから届いた笑えるメール)

を思わせるところがありますよね。(^_^;)

 

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「えぇぇぇぇ~!?」



 

 おふくろは俺におしめもあてかねず

 

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英治が28歳か29歳の頃になります ───

 

ある真夏の暑い午後、

突然、夕立ちがやってきました。

 

ザーザーと降りしきる雨を見て爽快な気分になった英治は

浴衣を脱ぎ捨て、裸で庭に飛び降り、頭から雨を浴びていい気持ちになっていました。

 

すると

母は慌てて裸足で庭に飛びおりてきて

息子の手首をつかみ、ぐいぐい家に引っ張り上げ

 

「雨にあたるのは体に毒ではないか。馬鹿が!」

 

そう言って、ぴしゃぴしゃと滅茶苦茶にひっぱたきながら、彼の顔を見据えたといいます。

 

普段とても優しかった母なだけに、それは非常に恐ろしく、今も忘れることが出来ない

英治は後年、随筆「窓辺雑草」に記しています。

 

 

淋しさは叱つてくれる人がない

 

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自分に、ほんとに、書けるのは、骨肉愛だと思っている。又、それを、心がけている。

父性愛、母性愛、兄弟愛、そういう或る場面の描写に熟してくると、創作者の立場にありながら、書きつつ、涙が出て、あとで、自分でも、おかしく思うことがある。

作家の態度としては、一種の、感情混線で、自分では、いけないと思っているが、僕は、非常に、ゆたかな、両親の愛に育まれて来た人間なので、そういう時に、感傷的になるのは、どうにも、やむを得ない。

 

「春日書斎開放」

 

 

 

梅の香や四十初惑とおもひしに

 

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四十の頃の自分の父を想像すると、気難しい老成人であり、折目正しい五人の子女の厳父であった。

いつの間にか、その四十の境を自分も踏み出している。

そして、どうして自分はこう稚気なのか、いつまで大人にならないのかと、年に対しての疑惑をもつ。

 

「草思堂随筆」

 

吉川英治ほどの人でも自分の事を

「年のわりに精神年齢が幼いかも……?」

なんて思うんですね。(^^)

 

人生100年なんて言われるようになった現代では

40歳は不惑どころか

まだまだ

だいぶヤング寄りって感覚ですけどね……。

 

 

子供のころ、貧しさゆえに苦労してきた英治は

良い家庭を築きたい、と思いながらも

最初の結婚は性格の不一致から失敗してしまいます。

 

しかしその後

昭和10年(「宮本武蔵」連載中)

運命の女性となる文子さんと出会い

 

その後、2男2女に恵まれ

温かな家庭を築くこととなりました。

 

 

 

わすれめや学びの庭のつくしんぼ

 

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これは昭和22年春

子供が二年間通い慣れた分教場から、本校に移る事になった際に

お世話になった先生に贈ったものだそうです。

 

子供の卒園、卒業 、成人───

 

子供の人生の節目って

親にとってもひとしお感慨深いものがありますよね……。

 

 

 

奥多摩やむらさきとんぼ赤とんぼ

 

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凧々々良い子悪い子なかりけり

 

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子に甘く女房に甘くあられ酒

 

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自分の家族と

そして、こども一般に対しての

暖かく優しいまなざしが感じられ

ホンワカした気持ちになるような句ですね。

 

 

お次に紹介しますのは

 

昭和36年

長女の曙美さん(当時20歳)が

 

「恋人と結婚します」

 

と決意を告げた軽井沢の雨の夜

 

色紙に書いて娘に与えた詩2編です。

 

 

童女般若心経

 

心といふ字に似た花が

わたしのうちに咲きました

のぞけば神がかがんでる

青金色にかがやいて

いいえ顔さへ上げぬのは

露の精かもしれません

そこでそうつと

おまへはたれときいたらば

愛の蕊(しべ)だといひました

 

 

 

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むすめに与ふ



倖せ何とひと問はば 

むすめはなにと答ふらん

珠になれとはいのらねど 

あくたとなるな町なかの

よしや三坪の庭とても 

たのしみもてば草々に

人生植ゑるものは多かり

 

 

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この晩の父は本当に多くの話をしてくれました。
いつの間にか母も私もベソをかき、そして父までもが眼を赤くして……夜の深い静けさの中で、心の触れ合う事の出来る両親に囲まれ、私はどんなに倖せに思ったことでしょう。

吉川英明著「父、吉川英治」から「曙美の回想」

 

 

翌、昭和37年の2月

娘の結婚式を見届けた後

 

7月に病に倒れ

9月7日に吉川英治は亡くなりました。

 

 

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小説にも、詩歌にも

 

 

吉川作品の根底には

「人間に対する愛」

が流れているように思います。

 

聖職者が掲げる

「人類愛」みたいな

崇高でキラキラしたものではなく

 

人間の悪い所も

どうしょうもないような所も全部ひっくるめて

 

冷たく突き放してはおけない

「人情深さ」のような優しさが。

 

その核となっている部分に

 

さんざん苦労を掛けられながらも

どうしても憎みきれない父を始めとした

 

肉親や家族に対しての骨肉愛があるように

私は感じました。

 

 

いや~~~~

それにしても

 

多感な十代の青春期を家族のために犠牲にしながら

 

全く恨みに思わない!

 

というところが吉川英治のスゴイ所ですね。

 

(私だったら多分、一生恨んじゃうと思います)

 

 

最後に

吉川英治の精神的な強さにあやかって

 

色々と大変な事はあるけれども

七転び八起きで

逞しく生きて行こう!

 

ということで

 

こちらの句をご紹介しておきます。

 

 

 

 

 ふまれてもふまれても菊咲いてゐる

 

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

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台風スウェル

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