みなさんには
これ無しでは自分が自分ではなくなってしまう!
というようなものってありますか?
それは時に
「生き甲斐」と言ったり
「天命」と言ったり
「アイデンティティ(自己同一性)」
と言ったりするものなのでしょうが
人によって
それが職業と直結している場合もあれば
必ずしも職業と呼べるほど、お金を生み出しているわけではなく
趣味のように見えている場合もあります
私の場合は
小説やブログを書いたり、イラストを描いたりする事が、それになっているわけなのですが
私と同じように
文芸方面の創作をしている人や
絵を描いたり、漫画を描いたりしている人や
音楽をやっている人なども
特に世間的に
職業として認知されていない場合
「これがアイデンティティなんだ!」
と言うほどの重さには
他人からは、なかなか認識してもらえないところがあって
苦しくなってしまう時がありますよね。
どうせ趣味なんでしょう?
単なるお遊びでしょう?
って軽~く思われてしまったりして。
さらに
その他人と言うのが
家族や恋人や親しい友人だったりするとなおさら
これが自分にとっては
命ほど大切なものだという事を
どうして
わかってくれないんだ!!
って
歯がゆく感じたりしてしまいますよね。
家族や恋人や親友と言えども
所詮は他人ですから
理解してもらえない事自体は
仕方が無いのかもしれません。
けれども
自分が大切にしている事に対して
身近な人から
あまりにぞんざいな扱いなどを受けたりすると
悲しくなってしまいますよね。
私自身のことで言えば、基本的には
自分にとって納得いくものが作り出せて
それを、ごく少数でもわかってくれる人がいてくれれば
もう、充分幸せ。
と思っているのですが
理解してくれない人から小説やブログに対し
ゾンザイな、塵芥みたいな扱いをされたりすると
誰から見てもスゴイと認識できるような
富や名声(賞)などを追いかけないと駄目なのか!?
なんて事を考えてしまったりもします。
でも
それを追いかけた先にあるのは、多分
自分の描いている理想像とは
ちょっと違うような気がするんですよね……。
心が苦しくなるのは
ものごとに執着しているからだ。
一切の執着から離れれば
心は平らかに、
穏やかにいられるようになる。
仏教の教えなどではこのように説かれ
それは、ほんとうにその通りなんだろうと思います。
けれど
自分が「これと決めた道」に対する、愛着やこだわりを消し去ってしまい
心が平らかになったところで
それで
「自分の人生を生きている」という
実感は得られるのでしょうか?
「すごく好き」という愛着をことごとく消し去ってしまい
全てが「どうでもいい」ものになってしまえば
きっと
心に波風が立つことは無くなり
常に平常心でいられることでしょう。
それはそうかもしれないけれど
それって
生きていて楽しいのでしょうか?
私には、どうも、そうは思えません。
ですから
心が苦しくなることがあっても
私は、アイデンティティは捨てたくないんですよねえ。
これを捨てたら
自分が自分でなくなってしまうので。
でもこれが、あんまりお金にならないと
周囲から
「どうせ趣味なんだから、
そんなのもう、どうでも良いじゃん」
なんて軽く見られて……
だから私にとっては
どうでも良くないんだよー!
と言うのですが……。
(以下、堂々巡りです((+_+)))
これまで、1か月あたり10記事くらいを目安に更新していたのですが
色々とままならない事情(今回の記事に関連するようなことで)が出てきまして
もしかしたら
暫くの間、更新頻度が激減してしまうかもしれません……。
ですが
ブログをやめちゃうような事はありませんので
これからも末長くお付き合いお願いします。<(_ _)>
こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。