先ほど
ラフカディオ・ハーン(1850-1904)の
「怪談」を読み終えたのですが
翻訳者の
平井呈一(イギリス文学者1902-1976)による解説を読んでいる時
思いもよらぬ字に
躓いてしまいました。
それは
ハーンの「怪談」が、その辺によく転がっている怖い話とは違い、
非常に高い文学性を持っている
ということについて語った
次の文章の中にありました。
茲(ここ)に注意すべきは、ハーンが『怪談』の粉本となしたものは、多くは江戸の通俗的怪談本である。
いずれもそれは『雨月』の如き高い文学的価値をもったものではない。ハーンはそれらの巷説的説話に
醇乎たる創作的生命を吹き込んだ。
それと同時にハーン自身の文学精神は日本──或いは広く東洋といってもいい──から貴重なる何物かを摂取したのである。
「醇乎」
この字の読み方がわかりませんでした。(>_<)
「醇」の字は
「芳醇(ほうじゅん)」の「じゅん」だからわかるのですが
醇 … 混じりけのない旨い酒。混じりけのない。「純」に書きかえられる時もある。
「乎」ってどう読むんでしょ??
読み方が浮かばなかったので
「平」に似た漢字とか
「五画」で検索してみたのですが
なかなか答えが出てきませんでした。
(スマホじゃなくて漢字辞典で引けって話なんですけどね)
そこで
「呼」の右側
と入力して検索してみたら
ようやく答えがわかりました。
「呼」が「コ」と読むとおりに
「乎」は
「コ」と読むのでした。
そう言われれば
「断乎として」とか
「確乎たる」なんて時には
私も普段からたいして意識せずに
普通に入力変換して、この字を使っていました。(;'∀')
簡単に入力変換できてしまえるから
今までほとんど注意を払う事無く
使えてしまっていたんですねえ……。
手書きにする時には恐らく
「断固」
「確固」
と書くでしょうから
(言葉の意味は同じ)
「乎」という字には
全く意識が及んでおりませんでした。
「乎」という字は
「コ」と読んで、語調を強めるために使われたり
漢文の中では「か」「や」「かな」「を」として
詠嘆、疑問、反語の助字として使われています。
「もうお終いだ~!!」
という意味の
「やんぬるかな」は
「已矣乎」と書きます。
「乎」の部首は
「ノ」で「の」とか「はらいぼう」というそうです。
「乎」の字は
漢検の級では準1級に出て来るレベルだそうで
単純な字の割には難度高いですねえ……。
読めなかった悔しさから
どうせどマイナーな漢字だろう
なんて思っていたのですが
実は
この字の変形が
片仮名の「ヲ」になったという
意外とメジャークラスの漢字でした。
ハーンはそれらの巷説的説話に醇乎たる創作的生命を吹き込んだ。
ですから
この文章の「醇乎たる」は
「じゅんこたる」で
意味は「100%純粋な」だったんですね。
「断乎」「確乎」は
「断固」「確固」とも書くのですが
似たような響きでも
「頑固」は
あんまり「頑乎」とは書かないようですね。
「とても頑な」という意味で使うぶんには
間違いではなさそうなんですけどねえ……。
「怪談」
私が読んだのはこちら
岩波文庫の「怪談」だったのですが
落ち着いた中にも情感の漂う、洗練された文章が実に素晴らしかったです。(さすが名作!)
「耳なし芳一」の
怨霊が芳一を探し回る場面などは
芳一が、音と空気の動きで怨霊の動きを感知している様子が絶妙な巧さで表現されていて
芳一と同化したこちらまで、恐ろしさにゾクゾクしてしまいます。
これって
ハーンの文章力が卓越している、というのはもちろんでしょうが
翻訳した平井呈一の文章力もスゴイんでしょうね。
「むじな」の話は
赤坂の紀伊国坂(港区元赤坂1丁目。外堀通りの赤坂見附交差点から新宿通りを四谷方面に登る坂)に
むじな(タヌキとかアナグマとか)が出て
のっぺらぼうに化けて人を化かすという話なのですが
結構有名なのっぺらぼうの話が
こんな東京のど真ん中を舞台にしていたなんて知りませんでした。
近年、東京都心でもタヌキの目撃情報は結構あるらしいですから
今でものっぺらぼう、
出ちゃうのかもしれませんよ~!?
関連記事のご案内
ハーン「知られぬ日本の面影」より、怪談「鳥取の布団」のご紹介
東京の怪談と言えば「四谷怪談」
「料る(りょうる)」なんて言葉があるの、知ってました?
こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。