ところで
私などもまあ
小説本をkindleから出したりしているわけなのですが(完全なる無名作家です)
文芸などの活動をされている方はプロアマ問わず
「無名のくせに」
なんていう言葉に
カチンと来た経験を
大なり小なりお持ちなのではないかと思います。
でもですよ?
日本の文芸って昔から
無名の愛好家がたくさんいたからこそ
豊かだったんですよね。
(だから「無名」を馬鹿にしちゃイケナイ)
おびただしい数の
「よみ人知らず」の歌たちは
遥かな時を超越して
今もなお、私たちの心を震わせ続けています。
(無名バンザイ)
という事で
今回は「古今和歌集」から
私がグッときた
「よみ人知らず」の歌を
6首ご紹介させていただきます。
まず1首目は
いつの世も変わらない
恋のもどかしさを詠んだこちらの歌。
われを思ふ
人を思はぬむくいにや
わが思ふ人の
われを思はぬ
(巻第19 雑躰 1041)
私の事を好いてくれる人を
好きにならない報いなのでしょうか?
私が好きなあの人が
私を好きになってくれないのは
こういう事ってありますよねぇ……。
好きになってくれる人を
こちらが好きになるとは限らず
好きになった人は
こちらを振り向いてくれない。
「星の数ほど男(女)はいるよ!」(^O^)
なんて言いますけど
両想いになる人っていうのは
実際のところ、そうそう簡単には出会えないものですよね……。(-_-;)
素敵なラブロマンスが
ドラマや映画みたいにゴロゴロ転がってたら良いんですけどね~。
お次は
切ない晩夏の片思いを詠んだ歌です。
来めやとは
思うふものから
ひぐらしの
鳴く夕暮れは
立ち待たれつつ
(巻第15 恋歌5 772)
来ないだろうな……とは思いながらも
ひぐらしが鳴く夕暮れ時になると
つい、立ち上がって
あの人を待ってしまう……
ヒグラシのカナカナ……という声に切なさを感じるのは
千年昔の人も一緒なんですねえ。
夕暮れ時や木の下影に聞こえてくるイメージがあるせいか
ヒグラシの声って
郷愁とか、寂しさとか、人恋しさを感じますよね。
私はこの歌
舞台は現代にして
神社の鳥居あたりに夕暮れ方に佇んで
「好きな人が通らないかな」
って待っている女の子(男の子でもいいけど)を想像してしまいます。
キューンとくる切ない青春ラブストーリー!
(誰か書いてくれませんか?)
お次もまたまた
切ない片思いの歌です。
(片思いばっかりや~)
恋ふれども
逢ふ夜のなきは
忘れ草
夢路にさへや生ひしげるらむ
(巻第15 恋歌5 766)
こんなに恋しく思っているのに
現実の夜ばかりか
夢の中でさえ逢えないというのは
夢路にまで忘れ草が生い茂っていて
私の事が忘れ去られているからでしょうか
「♪夢でもし逢えたら 素敵な事ね~」
って歌、ありますよね。
せめて夢の中だけでも逢えればいいのに
恋人はこちらの事を
すっかり忘れ果ててしまったのでしょうか。
哀しい~……。
ここに歌われている「忘れ草」というのは
青い小花を付けるワスレナグサではなく
古代中国で
「この花に願いを託せば憂いを忘れることが出来る」
と言われていた事から
「忘れ草」と呼ばれるようになったんだそうですよ。
辛い事が忘れられるのは良いんですが
試験前には……ちょっと
遠ざけておきたいような気がしますね……。
お次は
ちょっと不思議な歌ですが
誰もが一度はこんな事を考えたことがあるのではないでしょうか?
世の中は
夢かうつつか
うつつとも夢とも知らず
ありてなければ
(巻第19 雑歌下 942)
世の中は
夢なのか?それとも現実なのか?
現実とも夢ともわからない。
存在しながらにして
無いものなのだから。
自分の周りの世界が
実は全部造り物なんじゃないか?
とか
自分の妄想なんじゃないか?
なんて思ったことありませんか?
(私は子供の頃、しょっちゅうそんな事を考えてました)
平安時代の人も
こんなSFちっくな事、考えてたんですねえ……。
(そういえば「竹取物語」もSFっぽいですしね)
お次は
「生きてると、辛い事いっぱいあるよねえ」
という事を詠んだ歌です。
世の中の
うきたびごとに身を投げば
深き谷こそ
浅くなりなめ
(巻第19 雑躰 1041)
「世の中が辛い」と
思うたびごとに身を投げていたら
深い谷だって浅くなってしまうだろうよ
辛い事があるたびに深い谷に(同一人物が)身投げして
そのボディで谷が浅くなる……
って、結構スゴイ発想ですよね。(;'∀')
想像すると怖い!!
「辛い事、ホント多すぎるよね~」
と言っているようにも感じるし
「いちいちどっぷり落ち込んでたらキリが無いよ!」
と励まされているような感じもします。
最後は
年を取るたびにしみじみと実感されてくる
こんな歌です。
さかさまに
年もゆかなむ
とりもあへず
過ぐる齢やともにかへると
(巻第17 雑歌上 896)
さかさまに年月が流れて欲しい
掴まえられずに過ぎ去ってしまった年齢が
ともに還って来てくれるだろうから
中年になってから
ホント、この気持ちわかります!
時は金なり
光陰矢の如しですね~
しかし、過去を振り返ってクヨクヨしていても仕方がありません。
いくつになっても
これから先の人生においては
今が一番若い時!
(過去には戻れませんからね)
先々
「あの時、もっとああしていれば良かった」
と後悔する事の無いように
今を大切に生きていきましょう!
こうしてみると
心をつかむ歌というものには
やっぱり
どんな時代の人間にも訴えて来る
普遍性があるように感じますねえ。
「よみ人知らず」とは
作者が不明
または匿名である事をあらわしています。
作者が本当にわからない
という場合や
作者が身分の低い人や庶民
という場合も多いのですが
それ以外にも
皇室関係者や政争失脚者などで
名前を出すのがタブーの人
だったり
「和歌集を編纂しなさい」と勅令を発した
また
特定の人の歌ばかりが多くなり過ぎた時などにも
編集の都合上、いくつかの歌が
「よみ人知らず」にされたりする事があったそうです。
「古今和歌集」では実に
約4割もの歌が
「よみ人知らず」となっているんですよ。
こうなるともう
「よみ人知らず」
あってこその
「古今和歌集」!
って感じですよね。
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