今回はフランスの作家
ギュスターブ・フローベール(1821-1880)によって書かれ
リアリズム(写実主義)文学の先駆け的な作品と言われている名作
「ボヴァリー夫人」
の感想とご紹介を書かせていただきます。
この小説の内容を簡単にまとめてみますと
以下のようになります ──
主人公は、開業医シャルル(少し気弱な好人物)の後妻として嫁いできた農家の一人娘エンマ(知的な美人)。
彼女は幼い頃から本を読むのが大好きで、ロマンチックな空想にふける癖がある。
常にロマンチック&ドラマチックである事を渇望してやまない彼女──
結婚した途端、甘く夢みたいな恋の幻想が消え去り、ごく普通で平凡な日常生活が始まると
夫のシャルルがつまらない俗物のように見えてきてならなかった。
キラキラ輝いていない地味な毎日は、自分の理想とは程遠く、
なんだか、自分がとてつもなく不幸であるかのような気分になってしまった。
そんな彼女の前に、色事師の男やロマンチストな年下青年などが現れ、彼女に愛を囁くと
エンマはたちどころに、彼らとの恋愛にのめりこんで行った。
この恋を、より一層キラキラしたステキなものにしたい──
そんな風に思う彼女は、身の丈以上の浪費を重ね
夫の知らない所で借金は雪だるま式に増えて行く……
夫のシャルルはお人好しで、男女の機微などにはかなり鈍い人なので
エンマの気まぐれやワガママにブンブン振り回されつつも
彼女の不貞などはちっとも疑う事無く
「いい奥さんをもらって、ぼくは幸せだ~♡」
という気分でいます。
彼女の金遣いの荒さなども
口達者なエンマに上手いこと言いくるめられ
「そうなのか~」
と納得してしまう有様。
強烈に気が強い実母(エンマにとっては目の上のタンコブみたいな姑)が嫁の浪費を非難しても
彼は結局、愛する妻の肩を持ってしまうんです。
とにかく私は
シャルルが
気の毒でなりませんでした。
(T_T)
人をコケにするのも
たいがいにせぇよ!
(-_-メ)
って
エンマに張り扇くらわせてやりたい気分です。
読みながら何度エンマを
「クズ!クズ!クズ中のクズ!」
と罵った事でしょう。
しかしながら
エンマの凄まじい自己中っぷりなども含めて
小説としては
大変に面白かったです。
(^_-)ノ☆
特に
エンマと浮気相手の恋愛シーンにみられる
ロマンチックな情熱や感傷に浸りきった描写と
シャルルを含む、脇役の人々の
ガサツな日常生活の描写
その違いが
あまりにもクッキリと際立っているので
その対比っぷりが
まるでコメディの様に
可笑しくてなりませんでした。
そのため
私はてっきり、この作品は
ロマンチックを夢見るあまり
周囲に迷惑を掛けて憚らない主人公のことを
かなり突き放した、冷笑的な観点から描いた作品なのかな……と思っていたのですが
実は
作者フローベールの思いは
それとは全く違う所にあったと知り
ちょっと驚いてしまいました。
この作品は
「ロマン主義的な憧れが、平凡な現実に敗れ去る様子を、徹底した客観描写によって描き出した傑作」
といわれています。
「敗れ去る」だなんて大袈裟な……。
(-_-;)
ロマンチックな憧れを持つのは別にいいけど
もうちょっと現実と折り合いをつけりゃぁ良いじゃないの。
なーんて
私なんかは思っちゃいますが
フローベールという人は実は
根っからのロマンチスト
であったため
自分自身の想いをエンマの身の上に投影し
彼女に非常に肩入れするような気持ちで
この物語を書いたんだそうですよ。
フローベールの友人
マキシム・デュカンの
「文学的回想」によりますと
1849年9月
28歳のフローベールは、書き上げたばかりの
「聖アントワーヌの誘惑」という幻想的な作品を
マキシム・デュカン、ルイ・ブイエという友人達に読んで聞かせた所
ケチョンケチョンに貶されてしまいました。
「そんな作品、火に投げこんじまえ!」
デュカンはそう言って
「この次はもっと平凡な主題を選んだ方が良い」
とアドバイスをしました。
ブイエが言いました。
「なんでドラマール事件を書かないのさ」
ドラマール事件というのは
ルアン市の市立病院長をしているフローベールの父(名医)にドラマールという弟子がいて
そのドラマール氏は、リーという村で開業医をしていたのですが
その妻が愛人を作った後に大借金をこしらえ、挙句の果てに自ら命を断ってしてしまった──
そんな事件が前年の1848年にあったんです。
友人達のこのアドバイスにより
──と
そのように、マキシム・デュカンの「文学的回想」には書かれているのですが
ただし近年
この証言の信憑性はちとアヤシイと言われています。(^^;)
※デュカンが自分の手柄を大きく吹かしてるのかも……という話
とはいえ
華麗で素敵で美しいものを表現するのが好きな
ロマンチストのフローベールは
その欲求を苦心惨憺
血のにじむような思いで抑制して、現実を描く事に徹し
「ボヴァリー夫人」を
4年半かけて完成させました。
1856年、35歳の春の事でした。
同年
フローベールが全身全霊をかけて書き上げた大作
「ボヴァリー夫人」は
デュカンの口利きで雑誌「パリ評論」に6回に分けて掲載されました。
(大胆描写にビビった主筆が大幅カットを要求したりして一悶着あったものの、フローベールが妥協してやっとこさ一件落着)
しかし
連載が終わった
1857年1月
「良俗を害し宗教を穢した」
というかどで
起訴されてしまいました。
セナール弁護士の奮闘により無事、無罪の判決が下り
この裁判騒ぎによって
一躍世間に知られる事となりました。
しかし
こんなスキャンダル騒ぎのお蔭で作品が有名になる事は、彼にとって
不愉快以外の何物でもありませんでした。
「私は芸術の周囲に異物が混入するのを好まない」
知人にあてた手紙の中でそう語る彼は
「この小説を単行本にするかどうかもためらっている」
というに文に続けて
「もう何も発表したくない。噂も聞きたくない」
とこぼしています。
苦労して書き上げた大事な作品が
妙な色眼鏡で注目されてしまい
さぞかし悔しく、悲しかった事でしょうねえ……。
とはいえ
単行本はレヴィ書房から出版されるや
あっという間にベストセラーになりました。
それまで文学界の主流を占めていたロマン主義に代わる
「リアリズム(写実)文学の最初の傑作!」
と言われ、大絶賛されます。
しかし
根がロマンチストのフローベールは
自分がこんな風に
リアリズムの旗手扱いされるのが
嫌で嫌でたまりませんでした。
「もし自分に大金が出来たら、流布している全部の本を買い取って火の中に投げ入れたい」
彼はそんな風にまで言っていたそうです。
その後
などの作品を世に送り出し
死後には未完の「ヴーヴァールとペキュシュ」が出版されましたが
結果として
「ボヴァリー夫人」は
彼の代表作となりました。
この作品が社会に与えた影響は大きく
実際の自分とはかけ離れた自己の理想像を思い描き
それが実現できない事に苛立ち
漠然とした欲求不満に苦しむ様
として
ボヴァリスム
(bovarysme 英語表記は bovarism)
などという言葉まで生み出してしまいました。
フローベールは人から
「ボヴァリー夫人のモデルは誰ですか?」
と訊かれた時
「ボヴァリー夫人は私です」
と答えたそうです。
美しさや熱情や憧れを追い求めながらも
味気ない現実によって打ち砕かれてしまったエンマ
そんな彼女を自分自身に重ねていたフローベールは
同情と愛おしさをこめて、このようにも言っていたそうです。
「今この時、フランスの多くの村々で、ボヴァリー夫人は泣いている……」
読者の私としては
「シャルルの方が
よっぽど泣いとるわい!」
と
ツッコミ入れてやりたい所ですけどね……。(^^;)
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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。