TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

サン・テグジュペリ「戦う操縦士」から「人間と絆」について。

私は先日

サン・テグジュペリ(1900-1944)の

「戦う操縦士」(1942年刊)

を読みました。

 

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「星の王子様」で有名なフランスの作家

サン・テグジュペリによるこの本は

 

第二次世界大戦が始まって2年目の

1940年5月

 

ドイツ軍に侵攻され、敗色濃厚なフランス軍

偵察飛行部隊のパイロットとして軍務についていたサン・テグジュペリ

 

戦場の最前線で体験した事

任務を遂行するにあたってめぐらせた思考

などについて記したものです。

 

生と死とが隣接したギリギリ極限の状況下において

 

今、自分がしているこの行動に

どんな意味があるのか?

 

自分はなんのために

一体なぜ命を懸けているのか?

 

そういった事に対し

彼自身が体感を通して導き出していくの中に

思わずハッとさせられるようなものがたくさんあって

非常に深い、哲学的な印象を受けました。

 

その中でも

人間にとって大切なもの

として彼が覚った事

とても強く心を動かされましたので

それをここに書き留めておこうと思います。

 

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1940年5月23日

出撃した者は、そのほとんどがドイツ軍によって撃墜され、生きては還れないという状況下

サン・テグジュペリは最前線の街アラス上空の偵察任務を命じられます。

 

軍組織自体がまともに機能していない今

「自分たちがやっているこの行動にどんな意味があるのか」

と釈然としない思いを抱えながら、彼は二人の部下を乗せて任務に赴き

 

敵の激しい攻撃をかわしながら

色々な事を考えます。

 

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試練。

私は試練というものを、この肉体に対する試練だとみなしていた。この肉体に加えられるものと考えていた。

私が身を置く視点は、必然的に肉体そのものの視点となっていた。

 

平時の時、私たちは

「自分」=「この体」であることに、疑いを持ちません。

 

しかしそんな風に思うのは平時の場合だからこそ ───

 

目下、戦闘状態の渦中にあるサン・テグジュペリは、やがて次のように思いはじめます。

 

「怒りが激しくなったり、愛情が昂揚したり、憎しみがわだかまったりすると、肉体が自分自身だという考えはもはや無くなってしまう

 

 「もし自分の息子が火災に巻き込まれたら、誰が引き留めようとも火に飛び込むだろう?───たとえ自分が火傷を負ったとしても」

 

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肉体と言う着古した衣など、喜んで差し出す。

そして気づくのだ。

かつてあれほど大事だと思っていたものは、実は執着の対象では全くなかったという事に。

 

自分というものは、肉体ではなく行為そのもののなかに存在している。

己の行為こそが自分なのだ。

それ以外のところに自分はいないのだ!

 

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戦火は肉体の価値を失墜させただけでなく、同時に肉体に対する無条件の崇拝をも失墜させた。

人間の関心はもはや自分個人には向けられない。

自分が結ばれているもの、それだけが重要なのだ。

 

ここで彼は、ずっと昔の少年の日に

最愛の弟を看取った時の事を思い出します。

 

まだ幼かった弟は、いまわの際に

「兄さんに遺言を頼みたい」

と言って

自分が大切にしてきたオモチャのことを遺言書に書いてくれと頼みました。

「忘れないで、みんな書いておいてね……」

 

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肉体が崩れ去ると、本当に大切なものがあらわれてくる。

人間はさまざまな関係の結び目だ。

関係だけが人間にとって重要なのだ。

 

 

その人が心から大切にしている物 ───

 

それは人間だけではなく

 

オモチャや時計などのモノだったり

忘れられない風景だったり

自分が属している共同体だったり……

 

そういった諸々の物との間に出来た

結び目こそが人間。

 

人間の「人となり」を形成しているのは

その人に繋がっている全ての絆 ───

 

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そのこそが「愛」なのだと彼は覚りました。

 

だがわれわれは、それが愛であることに気づかない。

普通考えられている愛は、もっと激しい感動をともなうものだからだ。

しかしこれこそが本当の愛、

つまり、たえず新しい自分を作り出すことを可能にしてくれる、複雑に絡み合ったさまざまな絆なのだ。

 

一人の人間は、無数の絆によって形作られている。

 

を別の言葉であらわすとすれば

「愛情」とか「愛着」あたりになるのでしょう

人により時により

それは

「しがらみ」だと感じられる事があるかもしれないな……と私は思いました。

 

戦争ばかりではなく

なにか大変な境遇にあった時に、

何も知らない部外者は

「そんな所、逃げちゃえばいいじゃん」

とか

「どうして逃げないの」

などと言いますけれど

 

そう簡単な訳にはいかないよ!

というその理由は

このあたりにある事が多いのではないでしょうか?

 

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絶体絶命の危機をなんとか潜り抜け、ボロボロの機体と共に基地に帰還したサン・テグジュペリ

その後、この手柄によって戦功十字勲章を授けられることとなりました。

 

 しかし

6月14日にはパリが陥落……。

23日にドイツとの間に結ばれた休戦協定と共に、フランスは降伏することになりました。

 

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動員解除を受けた彼はアメリに渡り

なんとかアメリカに参戦を促すべく、この「戦う操縦士」を執筆します。

しかし

亡命フランス人達の間に起こった、くだらない派閥抗争に

彼はほとほとウンザリさせられてもいたのでした。

 

1941年12月8日 真珠湾攻撃を受けてアメリカが参戦

 

その二か月後に出版された「戦う操縦士」アメリカでベストセラーになったものの、ドイツ占領下の母国フランスでは発禁処分とされてしまいました。

 

1943年

「星の王子様」を刊行した彼は、戦列に復帰します。

 

サン・テグジュペリには

「自分は傍観者ではありたくない。行動していない者には偉そうに口を出す権利なんかない」

という想いが常にありました。

(そのため、彼の文学は「行動主義」だと言われています)

 

1944年7月31日

コルシカ島のボルゴ基地からフランス本土への偵察飛行に出た彼は

そのまま、ふっつりと消息不明に───

 

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人が死ぬことができるのは唯一、それなしでは自分が生きられないもののためだけだ。

 

 

それから54年もの歳月が流れ ───

 

1998年 

彼が身に着けていた銀のブレスレットが

マルセイユ沖で漁師の網に掛かって発見されました。

 

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その2年後

ダイバーがマルセイユ沖に沈む戦闘機を発見し

その製造番号から、彼の搭乗していたライトニング機であることが確認されました。

 

 

AFP通信2008年3月17日のニュース記事によると

 

この飛行機を撃墜したという元ドイツ軍パイロットの男性は

取材に対し、このように語っていたそうです。

 

「もしその飛行機に乗っていたのがサン・テグジュペリだと知っていたなら、私は絶対に撃たなかったでしょう。

サン・テグジュペリは好きな作家の一人でした……」

 

 

戦う操縦士 (光文社古典新訳文庫)
 

 

 

 

 

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 リンドバーグ「翼よ、あれがパリの灯だ」

todawara.hatenablog.com

 

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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台風スウェル

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