TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

「いまだ解けない日本史の中の怖い話」のレビュー&「綿吹き病」のこと。

先日

「いまだ解けない日本史の中の怖い話」

(三浦竜著 青春出版社刊)

という本を読みました。

 

この本では

奈良時代怨霊話から始まり

江戸、明治にいたるまで

 

日本の歴史の暗黒面を怪しく彩る

ドロドロとした怨念話だとか

呪詛、外法などの超能力話だとかがたくさん紹介されているのですが

 

今まで知らなかったビックリするような話が満載で

大変に面白かったです!

 

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その中に

入れ墨入りのお奉行様・根岸鎮衛(やすもり)(1737-1815)が書いた

説話集耳嚢(みみぶくろ)出典の

不思議な病気のお話が紹介されていたんですけど

 

それはどんなお話かと言いますと───

 

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根岸鎮衛の先輩

江戸中期に勘定奉行大目付を歴任していた

安藤惟要(これとし)(1714-1792)

という人がいるのですが

 

これは、彼が壮年の頃のお話になります。

 

ーーーーー

ある日彼が屋敷の中で使用人の顔を見た所、

とても人の顔とは思えない

恐ろしい顔をしている事に気が付きました。

 

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「旦那様、お膳の用意が出来て御座います」


彼はビックリしてしまい、他の使用人の顔を見て見ると、

これまたどうした事か、いずれも皆、

この世のものとは思えないような顔をしておりました。

 

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「どうなさいました?旦那様、あっしの顔に何か変な物でも……?」

 

彼は慌てて、お勝手にいる妻の元に走ってみたのですが

なんたることか!

妻までもが恐ろしい顔に変貌してしまっているではありませんか。

 

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「どうなされました……?お顔色がすぐれぬご様子ですが」


非常な混乱に襲われながらも

そこは冷静沈着な安藤惟要。

 

「これはきっと、皆がおかしいのではなく、私の方がどうかしてしまったのであろう。そうに違いない」

 

彼はそう判断し、すぐに横になる事にしました。

 

横になって心を鎮めているうち

やがて

耳の中がズキズキと痛みはじめました。

痛みはずんずんと激しくなる一方……。

 

彼は医者を呼びました。

 

「これはまさしく、痰火(たんか)の烈しいものに違いありませんな」

診察後

医者はそう言うと彼に薬を飲ませました。

 

痰火というのは

体内の火気によって痰が激しく出る病気です。

 

薬を飲んでしばらくすると

 

下を向けていた左の耳から

黒い、煤の塊のような物が大量に出てきました。

 

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耳の奥からゴッソリ……。


夜になり、今度は右の耳を下にして寝ると

またしても黒いものが出てきました。

 

そうこうするうち

やがて

 

耳の痛みは無くなり、

妻や使用人たちの顔も

元通りに見えてくるようになりました。

 

それからというもの

 

元々色覚に異常を持っていた

彼の視界は一変

 

全てが正常な色で見えるようになった 

───という事です。

 

 

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ーーーーーー

 安藤惟要といえば

 

埼玉県の大宮市には

安永4(1775)年 

大宮宿の85軒もが焼き尽くされたという大火の際

 

当時

勘定奉行道中奉行を兼務していた安藤惟要

困っている被災者たちに幕府の御用米御用金を与え助けてくれた!

という逸話が伝えられています。

 

まさに

神様、仏様、

安藤様!

というくらいに

素晴らしい方なのですねぇ。

(T∀T)

 

しかし!

 

それは幕府の許可を得ず

独断でやってしまった事だったために

彼は責任を問われ

切腹することに!───

 

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彼の死を悼む大宮の人々は、そのを後世に伝えるため

墓碑を建てて祀り

大宮宿の南の入り口にあった石橋を

安藤橋と呼ぶようになりました……

 

このように

実に感動的かつ

ドラマチックなお話ではあるのですが …………

 

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「ちょっと待ったーーーッ!!!!」

 

実は安藤さん

切腹なんか

しておりません。

(;^∀^)ノ

 

大宮が大火に見舞われた

安永4(1775)年といえば

安藤さんが61歳の頃の話になるのですが

 

安藤惟要さんは

天明8(1788)年 

74歳になるまで

立派に奉行職をつとめあげ

 

寛政4(1792)年

78歳でお亡くなりになっています。

 

だって

 

老齢になってから後輩の根岸鎮衛さんに

先ほどの奇病の話を

「ワシの若い頃の話なんじゃがの〜」

なんて

話してきかせているんですからねえ。(^^;)

 

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安藤惟要の奇病について

著者の三浦竜さんは、このようにコメントをされていました。

 

 現代人でも、心の病や薬物によって「幻覚」を見ることがある。

惟要の場合は何が原因なのか定かではないが、伝えられるような幻覚を見たことはまちがいないと思われる。

 

そして以下のように続けておられました。

 

「黒い煤のかたまりのようなもの」の存在も否定できない。

現代でも、体から結石などの異物が出てくるし、

綿のような繊維質のものが出てくる「綿吹き病」という症例も、学会に報告されている。 

 

 三浦さんのコメントはこれで終わっているのですが、

これを読んだ私は

 

 綿吹き病!?

なんだそれは!

 

と、その部分が俄然

気になって気になって

しょ〜うがなくなってしまいました。

 

そこで

「綿吹き病」について調べてみることにしました。

 

それはかつて岡山県で発見された

大変不思議な病気でした……

 

昭和32年2月頃から

とある農家の女性(当時42歳)が原因不明の高熱を発し、皮下に小さなが出来るという症状に悩まされ始めました。

 

体のあちこちに次々に出来る瘤はを持ち

それが破けた所から

なんと

綿毛のような繊維

ゾクゾク生み出され続けたというのです!!!!

 

一つの病巣が1年~1年半くらいの間、綿毛を排出し続け

その勢いが無くなるにつれ、潰瘍は次第に治癒していくのですが

 

病巣は次から次へとあちこち(数十か所)に出来るため

この患者さんは、治癒するまでに

10年余りもかかってしまったそうです。

 

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この奇妙な病気は

主治医をしていた田尻保博士によって

昭和35年5月岡山外科学会で発表されています。

 

その後、これに類似した症例は

日本国内で3例、ドイツでも1例発表されているそうです。

 

綿吹き病は発見した博士の名前をとって

田尻病とも言われています。

 

患者さんの体内から生み出されたこの綿は

植物学者による鑑定の結果

間違いなく植物繊維であり、木綿の繊維と区別しがたいものであったそうです。

 

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この最初の患者さんは

皮膚ばかりか尿にまで

同じような綿状の物質が出ていました。

 

10年以上にもわたり

座布団が作れてしまいそうなほど、

大量の綿を吹いていたため

 

綿の吹く箇所が減ってきた時には

もしかしたら死んでしまうのでは……?

と心配されていたそうですが

 

治癒した後には

元気に暮らしていらっしゃったそうですよ。

(良かった~!)

 

それにしても人間の体って

本当に不思議なものですねえ。

 

まだまだ未知な事がいっぱいあって

まさに小宇宙って感じですね……。

 

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 関連記事のご案内

 

 

根岸鎮衛耳嚢」から「お菊虫の話」

todawara.hatenablog.com

 



 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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台風スウェル

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