子供の頃(昭和時代)
最寄りの駅前に
一軒の大きな建物のなかに、小さなお店がいっぱい入っている所
があって
私の母はよくそこで買い物をしていました。
商店街という感じでもないし
スーパーマーケットでもないし
あの形態って
何と名称されるべきものなんだろう??
と
ずっと疑問に思っていました。
そんなある日の事
辞書を見ていたら
勧工場(かんこうば)
という言葉を見つけました。
勧工場(かんこうば)
明治・大正時代、多くの商店が一つの建物の中に種々の商品をならべて販売した所。今のマーケット。
角川「国語辞典」新版より
そうか
あれは勧工場という物だったのか!
そう思ったので
さっそくネット上で調べてみました
勧工場というのは
第1回内国勧業博覧会で出た売れ残り品を処理するため
1878(明治11年)1月に東京麹町区辰ノ口(現・千代田区丸の内)に造られた東京府営の共同店舗が第1号で
その後、多くの民間勧工場が
日本各地に造られました。
勧工場は、小売商店の集合施設で
青果、なま物以外の物が売られていたそうです。
それ以前の時代の「買い物」事情は
店先には商品が置かれておらず
店員との交渉により売買が成立する「座売り」というやり方が普通だったので
土足のまま、場内に並んだ商品を実際に見て正札で買うことのできる勧工場の登場は
当時の人々にとってかなり画期的だったようです。
勧工場は明治35年頃に最盛期を迎えます。
数が増えるにつれ、質の悪い物を売る店も出てきたりして
勧工場のイメージがだんだん悪くなる一方で
百貨店の出現&発達により
大正時代に入ると勧工場は急激に衰えて行きました。
こうして
関東大震災以後にもなると
勧工場は姿を消していったという事です。
あれ?
勧工場は
昭和になる前に
姿を消してしまったんかい!?
という事は
私が子供の頃に見ていた
アレは一体何なんだ……?
そう思いつつ
もう一度手元の辞書を見てみます。
勧工場
明治・大正時代、多くの商店が一つの建物の中に種々の商品をならべて販売した所。
今のマーケット。
ちなみに、この辞書
1969(昭和44)年12月1日初版発行
1992(平成4)年1月20日389版発行
なので
ほとんど昭和時代の辞書と言っても良いようなシロモノです……
という事は
建物の中に商店がいっぱい並んでいたあの形態は───
すなわち
マーケット
だったんですね!!!!
ちなみに
英語のmarketには
市(いち)、市場(いちば)
(通例、特定の)食料品店、マーケット
(特定の物品・地域の)売買市場(しじよう)
需要、はけ口、販路、市況
※参照「Webilio英和辞典・和英辞典」
という意味があります。
なので
「マーケット」と呼ばれている屋内商店群は
広い意味でのmarketに含まれる ───
って事なんでしょうね。
(つまり、あれはマーケットなんだけれども、marketは必ずしもあれというわけではないという……)
そんなマーケットのイメージ写真を探していたら
写真ACさんのサイトにこんな写真がありました。
どこか外国のマーケットでしょうか?
私が子供のころ行ってたマーケットよりは、かなり大きくて立派な感じです。
さらに写真を探していましたら
川崎にある
小向マーケットの写真が出て来ました。
50年もの歴史を持つという小向マーケットは
この昭和レトロな雰囲気により、多くの人々を惹きつけているようで
色んな方がネットに訪問記をのせておられます。
ここは、規模的には
私の思い出のマーケットに近い感じです。
私の地元(船橋)にあったマーケットは、もっと新しい感じの
高原にあるペンションみたいなイメージでしたが。
こういう感じのレトロなマーケットで
もっと賑やかな所が
鎌倉駅の東急の近くにもあったな~……
そう思い、調べてみましたところ
丸七商店街という名前だということがわかりました。
(ここ楽しいですよ!鎌倉観光にもおすすめです)
道路をはさんで向かいにある
鎌倉市農協連即売所も
素敵な感じのマーケットですよ。
(新鮮な鎌倉野菜がお安く買えるし)
そういえば
上野にあるアメ横も
めちゃめちゃ大きいマーケットですよね。
(ちょっとエキゾチックな迷宮っぽい雰囲気が魅力的)
こう思い出して見ると
マーケットって、現在でも結構あちこちにあるもんですねぇ。
四方を壁に囲まれているせいか
マーケットって
アリの巣っぽいというか
秘密基地っぽい感じがして
ちょっとワクワクしてきますよね。
あの狭さとか
ゴチャッとした陳列とかが却って
ワクワク感を駆り立ててくれるのかもしれませんね。
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