私の好きな洋楽のひとつに
デイヴ・ディー・グループ
(正式名 Dave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tich)
というイギリスのバンドによる
「キサナドゥの伝説」(1968年発表)
という曲があります。
何やらカッコイイ、謎めいた
スペイン語の呟きから始まって
躍動感にあふれたメキシカンテイストの楽曲の合間に
ヒューン!ヒューン!
と、しなるムチの音が炸裂し
冒険活劇チックな
ムードが満開の名曲です。
この曲を聴くたびに私は
映画「インディージョーンズ」風の
わくわくするような冒険世界を思い浮かべてしまうのですが
そのたびに思うのは
「キサナドゥの伝説」って
どんな伝説なんだろう???
という事です。
「キサナドゥの伝説」の曲はコチラ ↓
歌詞の中に
キサナドゥにまつわる
壮大な伝説ロマンが語られているのでは!?
と思ったので
英語の詞を私なりに訳してみました。
それがコチラ ↓
(スペイン語のセリフ)
「これはキサナドゥの伝説だ……」
♪
砂漠を渡る風に乗り
僕の声が届くだろう
キサナドゥという暗黒不毛の地に
君が帰ると決めたなら
忌々しい事に
望みなんか無かった
求めた愛などは
最初(ハナ)から失っていた
キサナドゥで行われた
愛を勝ち得るための決闘では
今はもう
足跡すら残らない
僕らがよく行った所には
影だけがただ動いてる
空のもと吹きっさらしの建造物
ハゲワシの声がこだまする
かつての僕らの愛は
滅び消え去ってしまったのさ
キサナドゥで……
キサナドゥで……
キサナドゥで……
♪
(間奏)
♬
キサナドゥで……
キサナドゥで……
キサナドゥで……
♪
(セリフ)
「君の愛を得るため命を懸けることに
一体どんな意味があるのだろう?
君の澄んだその瞳が
痛みや悲しみの涙であふれる事などあっただろうか?
この広い世界でたった一人の男のために
君がその身を捧げた事などあっただろうか……?
僕を愛してくれまいか
いつの日か君の道を見つけるため
キサナドゥに戻って来てくれないだろうか……」
♬
砂漠を渡る風に乗り
僕の声が届くだろう
キサナドゥという暗黒不毛の地に
君が帰ると決めたなら
キサナドゥ……
キサナドゥ……
キサナドゥ……
どうやら、舞台となっている
キサナドゥという所は
砂漠の中の廃墟みたいですね。
そこで恋人を争って決闘をして敗れたらしい人の、悲しみと未練を歌った歌のようです。
壮大な冒険テイスト溢れる楽曲なんですが
歌詞はこんな感じの
意外とウジウジした内容でした。(-_-;)
伝説に関しては
この歌詞からは
「ようわからん」
という感じですね。
1968年2月20日に
シングルレコードとして発売されたこの曲は
全英チャートの1位を獲得する大ヒットとなり
同年のうちに
日本のグループサウンズバンド
ジャガーズによって
日本語版のカバーが発売されています。
(日本語版作詞・なかにし礼)
「キサナドゥの伝説」
(原題:The Legend of Xanadu)
の中で歌われている
「キサナドゥ」(Xanadu)というのは
中国が元王朝(1271-1368)だった時代に
モンゴル高原南部に築かれ、夏の間使われた避暑のための都
上都(じょうと)の事です。
※夏以外の季節は大都(今の北京)が政務の中心でした。
ちなみに
「上都」の発音は「Shàngdū」
つまり
「Shàngdū」が「Xanadu」になった、って事なんですね。
なるほど~。
「Xanadu」の読みのカタカナ表記は
キサナドゥの他に
キサナドーとかザナドゥ
などと書かれる事も多いです。
この上都の存在がヨーロッパ人に知られるきっかけとなったのは
「東方見聞録」でした。
その中で、この上都の事が
宮殿は大理石で造られ、建物の内部は金で塗られ、鳥獣花木の絵が描かれ……
など
美しくきらびやかな大都会として紹介されていたため
上都はヨーロッパの人達にとって
なんだか素敵な所らしいぞ……
とイメージされる存在となりました。
時は流れ、18世紀末となった
1797年夏───
イギリスのロマン派の詩人
サミュエル・テイラー・コールリッジ(1772-1834)が
痛み止めのために処方されていたアヘンを吸引し
ウトウトしている間に見た夢を
幻想詩としてあらわしました。
その
「忽必烈汗(フビライ・ハン)〜夢の中のヴィジョン。断片」
と題された詩の中で
上都=キサナドゥは
幻想的で美しい歓楽宮として表現されていました。
歓楽宮は巨大な泉と洞窟の間に漂う
波間に漂蕩(ひょうとう)として影をおとしていた。
音の調べがその泉から流れ出、また洞窟からも流れ出て、一つになり、あたりに響いていた。
まさに奇蹟ともいうべき創意工夫の極地であった。
氷の洞窟を擁して太陽に燦(さん)として輝くこの歓楽宮は!
サミュエル・テイラー・コールリッジ「忽必烈汗〜夢の中のヴィジョン。断片」より抜粋
マルコ・ポーロの言い伝えによって漠然と抱かれていた
「素敵な所」という概念に
コールリッジの詩による幻想的なイメージが加味されて
キサナドゥは欧米の人々にとって
伝説上の理想郷
のようなものと
見なされるようになったのでした。
上都の所在地は
現在の
シリンゴル盟 正藍旗の南部
北京から北へ275㎞の所です。
13世紀
モンゴル帝国の時代───
皇帝となる以前のクビライは
キンポウゲ科の花が咲く「金蓮川」という名の草原に移動式の幕営を構え
南宋征服の指揮をとっていました。
彼はこの地で皇帝(カアン)に即位し
末弟のアリクプケ(こちらも皇帝を称している)と帝位をめぐる争いを繰り広げています。
1256年
クビライは金蓮川近郊に王府となる開平府を建設しました。
(ここが後の上都となります)
1264年
アリクブケは降伏し、クビライが単独の皇帝となりました。
1271年
国号を漢語で「大元」と改めます。
1279年
南宋が滅亡すると、クビライは首都をこれまでの臨安(杭州市)から大都(北京)へと遷しました。
そして、これまで彼が拠点としてきた開平府の名を上都と改め
夏の間に避暑しながら政務をとる夏の都としたのです。
元朝の皇帝たちは
毎年春分になると大都を発って上都に向かい
秋分になると大都に戻って政務を行ないました。
ただし……
上都の周囲はただっ広い草原や放牧地ばかりで
交通や物資輸送に使える水路も無く
都市としてはなかなか発展しづらい
不便な場所であったようです。(^^;)
クビライは上都を発展させるため
免税措置などを実施して、人々の上都移住を積極的にすすめたのですが
食糧不足などが続いたために
1293年には城内にいた職人たちがこぞって大都に逃げ出してしまう……なんてこともあったそうです。
元王朝末期の
1358年には紅巾の乱が拡大し
紅巾軍に一時占拠された上都では、宮殿や門が焼き払われたりしました。
1369年
大都に引き続き、上都も明の軍隊に占領され
元朝第11代皇帝・順帝(トゴン・テルム)は北方へと敗走していきました。
元王朝の滅亡です……
元に代わり
明の時代になった当初
上都は再び「開平府」という名に戻され
永楽帝によるモンゴル討伐の拠点として使用されたりしていたのですが
やがて
交通の不便さなども相まって
全く使用されなくなり
打ち棄てられた旧都は
再び草原へと戻って行ったのでした…………
そして現在───
伝説の都キサナドゥ(上都)は
どうなっているのか???
と言いますと……
草原の中に遺された上都の遺跡は
「ナイマンスム(奈曼蘇黙)城」と呼ばれ
(ナイマンスム…モンゴル語で「108の廟」の意味)
2012年からは
ユネスコの
世界遺産に登録されているそうですよ!
\(^O^)/
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