今回は
吉川英治の初期の長編伝奇小説
「江戸三国志」
のご紹介をいたします。
この作品は英治35歳の
1927(昭和2)年10月から
1929(昭和4)年春までの間
報知新聞(当時はスポーツ紙ではなく一般紙だった)に連載され
連載中から映画が作られるほどの
大人気作となっています。
駆け出し作家だった吉川英治が
1926(大正15)年秋から大阪毎日新聞に連載していた
「鳴門秘帖」が
空前の大ヒットとなり
それに注目した東京の報知新聞が「鳴門秘帖」の連載終了直後
「ぜひうちで書いてください!」
と依頼し、連載の運びとなったのが
東京(江戸)周辺を舞台とする本作
「江戸三国志」です。
この時、高円寺の吉川邸に依頼交渉にやって来たのは
後に「銭形平次捕物控」で人気作家となる
野村胡堂でした。
(この当時、彼は報知新聞の学芸部長だったんです)
内容
簡単にまとめますと、以下のようになります。
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時は江戸の正徳〜享保ごろ
七代将軍家継から八代吉宗に移るあたり
江戸小石川小日向にあった
宗門同心としてここに務め暮らしている
今井二官は
姿は侍だがイタリア人である。
「転び伴天連」となり、幕府に仕えるようになった彼の身の上は
元はといえばローマの貴族。
そんな彼には、今は亡き日本人の妻との間に
お蝶という非常に美しい一人娘がいた。
幕府に仕える父の元
一応は「武家のお嬢さん」としてそれなりに遇されているお蝶だが
当時において、極めて稀な存在である混血児ということもあり
「普通の婚姻は難しかろう……一生を切支丹屋敷の中で終える事になるやもしれぬ……」
と、子煩悩の二官は胸を痛めていた。
ところが
当のお蝶ときたら
父の前では良い娘を装いながらも
実はグレまくっていて
切支丹屋敷の敷地内にある蔵の中から
異国渡来のお宝をコッソリ盗み出しては売り払い
こずかいに替えて
贅沢三昧を楽しんでいるという有様。
抑圧された特殊な環境下
彼女はもはや
手が付けられないほどの悪女に育ってしまっていたのである。
お互いに深い愛情で繋がれていながら
ふとした過ちから
最愛の父を殺害してしまうお蝶……
切支丹屋敷を飛び出し、逃亡しようとした彼女に
終身牢の中から呼び止める者があった。
「お蝶様!」
キリストの教えを捨てないために、ずっとここに閉じ込められているイタリア人、ヨハンである。
「お蝶様!実はあなたの御父上二官様は、ローマ王家の血筋を引くお方。あなたはお姫様なのです。
遠い昔、慶長の頃、あなたのご先祖ピオ様は王家の印である夜光の短刀を携えてこの国にやって来たものの、鎖国、禁教の令に遭い、不遇のうちにどこかでお果てになられてしまいました。
あなたの御父上は、お家を存続させるため、夜光の短刀を探しに日本にやって来たのですが、今、志半ばの内にお果てになられてしまいました。
かくなる上は、お蝶様、あなたが夜光の短刀を探し出し、ローマに持ち帰らねばなりません。
あなたが帰らないと、王家は血統が絶えて潰れてしまうのです。
ご先祖ピオ様は、ローマにいる頃から鶏血草(けいけつそう)という花を愛しておられました。
おそらくその最期を遂げられた場所には、鶏血草の真っ赤な花が咲いているはずです───」
こうして
行く当てもない流浪の身となってしまったお蝶は
鶏血草の真っ赤な花を目当てに、どこかにあるという家宝・夜光の短刀を探すこととなったのだが───
「夜光の短刀ならどんなに大金を積んでも買うよ!」
オランダ船のカビタンがそう言うほどのお宝であるため
これを狙っているライバル達は
実は他にも
わんさかいるのであった。
夜光の短刀を探している面々は
石牢のヨハンが密かに連携し
市井に散らばっているキリシタン達(=お蝶の味方)ばかりではなく
・天下の大泥棒日本座衛門(歌舞伎「白波五人男」のモデルにもなった実在の人物)を頭に仰ぐ
超プロフェッショナル泥棒軍団
・金と権力には事欠かない尾張徳川家の七男坊
徳川万太郎とその家臣
・晩年のピオと交流のあった
武蔵野の大豪族にして朝鮮系移民の末裔
狛(こま)家のご隠居様とその家臣団
その他にも
・一匹狼的ベテラン泥棒
道中師の伊兵衛&相棒の占い師馬春堂
これらの勢力が入り乱れ
宝剣探索の乱闘や駆け引きが繰り広げられる。
さらに
夜光の短刀をめぐって各陣営が小競り合いをしている合間にも
日本座衛門が万太郎に対しての嫌がらせとして
尾張徳川家の家宝にして将軍家から拝領された「出目洞白の鬼女面」を盗んたあげく、どこかに散逸させるという事件が発生する。
万太郎の忠臣相良金吾(イケメン)が決死の覚悟で
それ(鬼女面)を探しに出たものの
日本座衛門の愛人お粂(悪女)に惚れられてしまい
側に置いておくために
毒を盛られて半病人にされた挙句
強引に駆け落ちをさせられてしまう。
恋人に裏切られた形となった日本座衛門は
手下たちに命じ
彼女と金吾の行方を追わせ……(その後色々)
───とまあ
そんな具合に
登場人物たちそれぞれの運命を翻弄する
波乱万丈・奇想天外の物語が
うねり狂う大波のごとく
次から次へと展開していくのである!
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この「江戸三国志」という小説は
群像劇という形をとっているので
特定の主人公はいないのですが
1956(昭和31)年に東映で映画化された時には
どうやら
主人公は尾張家のお坊ちゃま
徳川万太郎になっているようですね。
(主演は大川橋蔵)
破天荒でやんちゃな七男坊、徳川万太郎は
尾張家当主・徳川義通(よしみち)の弟という設定なのですが
彼は架空の人物です。
兄「義通」のモデルは
実際の吉通は六代将軍家宣から「次の将軍は彼が良いのでは」と言われるほどの大変な名君でしたが───
25歳で毒殺かと思われるような、不審な亡くなり方をしています……。(>_<;))
(トップ争いに絡んでくるような偉い人の立場って、なんだか気の毒なものがありますね)
映画も、主人公を変えて別の視点から作ったら
全く違う感じの作品になりそうですよねぇ。
私が監督だったら
小悪魔的な薄幸の美少女
お蝶を主人公にしてみたいですね!
また
作中で悪の魅力をたっぷり振りまいている
日本座衛門(男前)を主人公に据えてみたら
なんだか「ルパン三世」っぽくて
これまた面白い映画になりそうです。
(実際、昭和3年に日活で作られた作品は日本座衛門が主役だったようですよ)
実は、吉川英治の作品には
「治郎吉格子」とか
「雲霧閻魔帳」とか
泥棒を主人公にしたものも結構多いんですよ。
(いわゆる「白波モノ」ってやつですね)
最晩年の作品「新・水滸伝」でも
梁山泊に集う盗賊や泥棒達の姿が
いかにも楽し気に、生き生きと描かれています。
(未完なのが惜しい!)
ところで
「江戸三国志」とタイトルに付けられた
「三国」って
何を指しているんでしょう?
作中、特に
コレとコレとコレ!
って書かれていないので、ちょっと不明なのですが
日本とイタリアと朝鮮……?
それとも
「徳川」VS「泥棒軍団」VS「切支丹」
ですかねえ……?(^^;)
ともあれ
吉川英治がこの物語を書こうと思った端緒には
武蔵野のあちこちに残る
古代朝鮮移民の遺跡や伝説に
創作意欲の刺激されるところがあったようです。
野村胡堂との雑談の中でも
「武蔵野に残る朝鮮移民の中から、いろいろな伝説やロマンをひろってみたい」
と語っていたそうですよ。
遥か遠い昔
奈良時代───
朝鮮半島から渡来した人々が
武蔵野の大地にやってきて
生活の根を下ろしました。
歴史書「続日本記」には
712(霊亀2)年に「高麗(こま)郡」
758(天宝宝字2)年に「新羅(しらぎ)郡」が
武蔵国に置かれたと、記録されています。
高麗郡は
およびその周辺
新羅郡はやがて
新座(にいくら)郡と名が変わるのですが
およびその周辺と
に該当するそうです。
作中に出て来る真っ赤な花
ローマの貴人ピオが愛したという
鶏血草(けいけつそう)という植物───
「お蝶さま、それは羅馬(ローマ)のペトロ院の庭や、カピトルの岡にたくさん咲く、めずらしくない花の種子(たね)です。
色は王妃の舞踏服のように真ッ赤で、なぜかこの草を折ると茎から血がしたたると昔から申します」
この花はおそらく
架空の花だと思われますが
埼玉県日高市の
高麗川に囲まれた所にある
(彼岸花の一大名所ですよね)
これが私の中では
イメージとして非常に重なってくるんですよねえ……
この巾着田もやはり
8世紀に高句麗からやってきた人たちが開墾し
稲作を伝えて定住していた所なんですが
昭和40年代に
当時の日高町の所有するところとなり
昭和50~60年代に掛けて草藪の草刈りをしたところ
このような彼岸花の群生が
次第に出現するようになったんだそうです。
なので
「江戸三国志」が書かれた昭和の初めには
存在していなかったスポットなのですが
それにしても
場所といい、花といい
あまりに物語世界にピッタリはまり過ぎている感があるので
なんだか不思議な気がします…………。
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