奈良時代の末に編まれた
わが国最古の和歌集
「万葉集」
そこにおさめられた4516首もの歌の中には
遥か遠い時代に生きていた人々の
哀歓や息遣いが
タイムカプセルの様に封印されています。
(ロマンですねえ~……)
今回は
その膨大な歌群の中から私が
「素敵だな~」
と思った歌を5首セレクトして
ご紹介しようと思います。
なお
ここにつけている現代語訳は
きっちりとした逐語訳ではなく
多分にムードを重視した
意訳気味のものになっておりますことを、ご了承ください。<(_ _)>
まず最初にご紹介しますのは
巻の二におさめられた
弓削皇子(ゆげのみこ)の歌です。
巻二 №.122
大船(おほふね)の
はつる泊(とまり)のたゆたひに
物思ひ(ものもひ)やせぬ
人の子ゆゑに
大船が泊まるあたりの水のよう
ゆらゆら
悩んで揺らめいて
すっかり
やつれてしまったよ
ああ
あの人は
他人の恋人……
この歌は
弓削皇子が
紀皇女(きのひめみこ)を想って作った恋歌
4首のうちの一つです。
二人の経歴には不明な所が多く
この恋の詳細もよくわかっていないため
現在、様々な説が推測され、語られたりしているのですが
紀皇女は人妻でしたので
弓削皇子は、もしかすると
苦しく切ない、片思いをしていたのかも知れませんね……。
実を言いますと
弓削皇子と紀皇女は二人とも
天武天皇を父としている
異母きょうだいなんです。
ですから
現代の感覚からすると
不倫もまあ道ならぬ恋
という感じではあるんですけれど
血縁同士という方が
よっぽど禁断
って感じがしますよねえ……。
(「人の子ゆえに」って……悩むのソコか!?みたいな)
ところがどっこい
この時代は
異母きょうだい同士でも
恋愛や結婚はアリだったんだそうですよ。
(びっくり!!!!)
とはいうものの
この後この恋が幸せに成就することは
やっぱり無かったようです。
弓削皇子は
699(文武天皇3)年に
27歳という若さで亡くなっています……。
ーーーーー
お次は巻の四から
旅立つ人に向けて、道中の安全を祈る歌です。
巻四 №.549
天地(あめつち)の
神も助けよ草まくら
旅ゆく君が
家に至るまで
天の神よ 地の神よ
道中お守り 願います
旅行くひとが やすらかに
その家に帰りつくまでは
これは
神亀5(728)年
太宰少弐(大宰府の次官)として筑前国(現在の福岡県)に赴任していた
石川足人(いしかわのたりひと)朝臣という人が
任期を終えて奈良の都へ帰って行く時に
同僚たちが餞別として贈った歌です。
この時代
大路(たいろ)として整備されていました。
およそ16キロメートル間隔で駅家が置かれ
そこで宿に泊まったり、駅馬を使ったりすることが出来ました。
(朝廷の偉いお役人限定ですが)
石川足人さんは地位的にも
駅家を使える身分の人ですから
一般庶民よりは、かなり恵まれた旅路だったろうとは思いますが
途中には船坂峠などの難所もあり
また
盗賊の横行などもあった時代です。
(大宰府に向かう貴族が襲われて殺される、なんて事もあるくらい物騒)
現代に比べると
やはり格段に危険で恐ろしく
命懸けの旅だった事でしょうね……。
(>_<;)))
ーーーーー
お次にご紹介するのは
巻の四から
大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が詠んだ恋の歌です。
巻四 №.660
汝(な)をと吾(あ)を
人ぞ離(さ)くなる
いで吾君(わぎみ)
人の中言(なかごと)
聞きたつなゆめ
あなたと私の仲を
引き離そうとしてるのよ
だからね あなた
噂話なんか 聞かないで
「万葉集」を編纂した大伴家持の叔母さんにあたる人です。(父・旅人の異母妹)
さらに
彼女の娘の大嬢(おおいらつめ/おおひめ)は家持の妻───ですので
大伴坂上郎女は家持にとって
お姑さんであったりもします。
名門・大伴一族を取り仕切る
ゴッドマザー的な存在の女性です。
穂積皇子、藤原麻呂、大伴宿奈麻呂といった人々との間に婚姻歴があり
色んな男性と恋歌を交わし合っているために
「恋多き女」
というイメージが非常に強い彼女ですが
それら恋の歌の全部が全部
実際の恋愛というわけではなく
中には
社交上のものだったり
フィクション的性格を帯びたものもあったりするようです。
「万葉集」には
女性歌人としては最多となる
84首もの歌が採用されています。
彼女の名前に付けられている「坂上」には
奈良の佐保川のほとりにあったという
坂上(さかのうえ)の里に住んでいたから
という
由来があるそうですよ。
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お次は
同じく巻の四から
世間の人々の無理解を嘆きながらも
「自分をしっかり保とう」
という思いを詠んだ歌です。
巻四 №.1018
白珠(しらたま)は
人に知らえず
知らずともよし
知らずとも吾し知れらば
知らずともよし
真珠がここにあることを
誰もがわかっちゃいないけど
わからなくたって構わんさ
誰にも知られていなくても
おのれがわかっているならば
誰もが理解しなくとも
どうでもいいってことなのさ
この歌は
奈良の元興寺にいたお坊さんが
さとりを得、学識も高かったにもかかわらず、いまひとつ世間的に認められていなかったために
人々から軽々しい扱いを受けていた ───
それを嘆いて作ったものだそうです。
「軽々しい扱いを受けて悔しく思う」
「そんなプライドを捨てきれない」
という点で
本当に宗教的なさとりを得たお坊さんなのだろうか?
と
思ったりもするのですが
(本当に悟ったお坊さんなら、他人からの扱いなど心にも留めず、もっと飄々としているもんなんじゃないかと……)
宗教家ならぬ
一般人の気持ちとしては
こんな事を呟きたくなる場面って
結構、多いんじゃないでしょうか。
自分を過信し己惚れて、周りが見えなくなってしまっては問題ですけど
自分で自分の良い所を認める
って大切な事ですよね。
自分の人生においては
主人公は自分自身!
自分自身が全ての基盤なわけですから
自分の良い所は、しっかり認めてあげて
自信を持っていきましょう!(^o^)/
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最後は巻の七から
メルヘンチックな香りのする
こちらの歌をご紹介します。
巻7 №.1068
天(あめ)の海に
雲の波立ち月の船
星の林に
こぎ隠る見ゆ
天空の海にさざめく 雲の波
月の船は 星の林の中へと
漕ぎながら
隠れていくよ
ピアノやバイオリンで曲を付けてもらいたいくらい
ロマンチックで可愛らしい感じのする歌ですよねえ。
詞書(ことばがき)によりますと
この歌は柿本人麻呂の歌集にあるそうです。
柿本人麻呂といえば
「歌聖」と言われているほどの人なのですが
生没年も不詳で
その身分や経歴なども謎に包まれています。
平安時代後期以降しだいに神格化されていき
「和歌の神」として崇められるばかりではなく
「人麻呂」→「ひとまる」→「火止まる」から
防火の神様
「ひとまる」→「人産まる」から
安産の神様
としても信仰されるようになりました。
彼を祭神としている
かつては「人丸神社」という名前だったため
地元では「人丸さん」と呼ばれ
人々に親しまれているそうですよ。
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