ギリシャ生まれの作家
小泉八雲こと
ラフカディオ・ハーン(1850-1904)
彼が1894(明治27)年に著した
「知られぬ日本の面影」(Glimpses of Unfamiliar Japan)
という本の中には
その当時、日本各地に伝えられていた
さまざまな神話や伝説が収録されているのですが
日本人の私たちでも知らないような話がたくさんあって
非常に興味深いものがあります。
そこで
今回はその中から
「鳥取の布団」という怪談話
をご紹介しようと思います。
これは、1891(明治24)年の夏
ハーンが新婚の妻・セツとともに、山陰地方を旅していて、伯耆の国(現在の鳥取県)にある浜村温泉に泊まった時
宿の女中さんから聞いたお話です。
「これからどちらへおいでになられるんですか?」
とたずねる女中さんに、妻が
「おそらく、鳥取まで足を運ぶことになると思います」
とこたえた所
「まあ、鳥取!そうでございますか?そこには『鳥取の布団』という古い話があるんですよ」
そう言って
彼女は次のような話を聞かせてくれました ────
それは、ずいぶん昔の事になります。
鳥取の町のとある宿屋に、旅の商人が宿をとりました。
それは開業したばかりの新しい宿屋だったので
宿の主人は心を尽くし、手厚く客をもてなしました。
元手があまり無かったので、家具や調度品は古道具屋から仕入れて揃えたものがほとんどなのですが
それでも、こざっぱりと、心地よい感じに整えられておりました。
客の商人は美味しい料理に舌鼓を打ち、気分良く酒を飲み
やがて
布団に横になり、ウトウトしはじめました。
──────その時……。
「……あにさん、寒かろう」
「……おまえ、寒かろう」
部屋の中のどこからか
そんな風に言い合っている、幼い子供たちの声が聞こえてきたのです。
やれやれ。
他の客の子供たちが、部屋を間違えて入ってきてしまったのだろう。
そう思った商人は
「これこれ、おまえたち、部屋を間違えてしまったのかい。この部屋はおまえたちの部屋ではないよ。自分の部屋にお戻り」
と、優しく声を掛けました。
すると
子供たちの声はしばらく聞こえなくなったのですが
やがてまた
「……あにさん、寒かろう」
「……おまえ、寒かろう」
幼い声が、か細く聞こえてきました。
彼は布団から起き上がり、枕元の行灯(あんどん)に火をともして部屋中を見回してみました。
しかし、誰の姿も見えません。
障子も襖もぴったりと閉じています。
押し入れを開けて中を見回しても、子供の姿などありません。
訝しく思いながら、灯りをそのまま点けっぱなしにして
客は再び横になりました。
するとふたたび
「……あにさん、寒かろう」
「……おまえ、寒かろう」
耳元のすぐ近くから、悲しげな子供の声が……
繰り返し聞こえて来るその声の元をたどると、どうやら布団の中
……掛け布団の中から聞こえている……?
ゾクッと身を震わせた客は、大急ぎに荷物をまとめると、階段を駆け下り、宿の主人を叩き起こしました。
かくかくしかじか、かくかくしかじか……
部屋で起こった事の次第を青い顔で話す客に、主人は怪訝な面持ちで
「多分、お酒のせいで悪い夢でもごらんになられたんでしょう」
客は宿代を払って
「別の宿をさがす!」
と出て行ってしまいました。
次の日
別の客がこの宿に泊まる事になり
いよいよ夜も更けわたったころ ────
主人はまたも客から叩き起こされ
昨夜と同じ話を聞かされることとなりました。
今度の客は、酒を飲まない素面のまま────
もしや……これはうちの宿屋を潰そうとする悪だくみなのでは……?
そう疑った主人は、いささかムッとした様子で言いました。
「縁起でもない事を!この宿は手前どもの生きる術なんでございますよ。どうか、そんなありもしないこと仰らないでください」
これには客も怒ってしまい
大声で悪態をつきながら宿を出て行ってしまいました。
その後、主人は
ひょっとして、本当に変な事があるのかも……?
と思いなおし
例の部屋へと様子を窺いに行ってみることにしました。
部屋に入ってみて、しばらくすると
子供の悲しげな声が聞こえてきました。
──── お客さん方の言ってたことは本当だった……!
そう思いながらよく見ていると
どうやら声は、掛け布団の中から聞こえてきているように思えます。
宿の主人はその布団を自分の部屋まで運んで行き
思い切って、それを掛けて、寝てみることにしました。
「……あにさん、寒かろう」
「……おまえ、寒かろう」
結局、その声は一晩中続き
主人は一睡もすることが出来ませんでした。
こんな怪異現象をおこす布団とは……
その布団の由来が気になってきたので
宿の主人は、それを買い入れた古道具屋に、出元をたずねに行きました。
「私も別の店から買ったものだから……元の持ち主はわからないねえ……」
古道具屋の主人が言いました。
そこで、布団を仕入れた前の店、そのまた前の店……というように、次々出所を辿って行くうちに
ついに、布団の元の持ち主を突き止める事ができました。
この布団の持ち主は、大変に貧しい一家で
布団は家族に家を貸していたという、大家が売ったものらしい ── との事でした。
どこかよその地方からこの地に流れ着いたという、この家族には、六歳と八歳の男の子が二人おりました。
母親は病に臥せっており、父の稼ぎは非常に乏しかったといいます。
ある冬のこと。
頼みの父親が、突然の病に倒れて急死してしまい、それから間もなく、母までもが後を追うようにして息を引き取ってしまいました。
こうして
幼い兄弟だけが二人ぽっちで
家に取り残されることとなってしまったのです。
近くには、助けてくれるような身寄りも知り合いもありません。
二人が食べていくためには、手元にあるものを何でも売り払って、お金に換えていくしかありませんでした。
死んだ両親の着物に自分たちの着物
数少ない家財道具
食器や日用品……
最後の最後に
一枚の掛布団だけを残し
その他には
家中見回してみても
もう何ひとつありませんでした。
食べられるようなものは何もなく
もう家賃も払えません……。
冬の寒さは日ごと冷えまさり
降り出した雪は、ずんずんと
家の周りにうずたかく積みあがって行きました。
火の気の全くない、隙間風がスースーと吹き込む寒い家の中
二人は一枚の布団にくるまりながら、お互いに声を掛け合っていました。
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
しかし
そこへ、大家が乗り込んで来て、冷酷に言い放ちました。
「さあ、坊主たち、今月分の家賃を払ってもらおうか。なに?払えない?それなら、とっとと出て行ってもらうしかないな」
大家は子供たちから布団をはぎ取ると
二人を雪の中に叩き出し
家に錠をかけてしまいました。
薄い着物一枚で、凍えそうな雪の中に放り出された兄弟は
大家が立ち去るのを見届けると、家の裏側に行き
二人でじっと寄り添いながら、身を潜めていました。
この近くには、観音様をまつるお寺があったのですが
積もった雪が深すぎて
小さな二人がそこまで行くというのは、到底無理な事だったのです。
ぎゅっと寄り添う二人は、やがて
寒さのために
とろとろと深い眠りに落ちて行きました。
眠りについた子供たちに
神様は純白の布団を、ふわり、とかぶせてくれました。
もはや寒さを感じなくなった兄弟は
幾日もそこで眠り続けました……
数日後
永眠した二人が発見されると
彼らを不憫に思った人が
千手観音様のお寺の墓地に
二人の新しい寝床を作ってあげました。
──── この話を聞いた宿の主人は
布団をお寺に寄進して
子供たちのために、お経をあげてもらいました。
それ以来
この布団から声が聞こえる事はなくなった、という話です。
(完)
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