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戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

牛車の乗り心地は結構悪い~「今昔物語集」から頼光四天王の面々が牛車で酷い目に遭った話

平安時代の貴族などが使っていた

牛車(ぎっしゃ)

という乗り物がありますよね。

 

なんとなく

まったり・のんびりしたイメージがありますが

実際の所乗り心地はどうだったんでしょう?

 

現代のようにきちんと平らに舗装されているわけではない

平安時代のボコボコ道ですので───

 

───と

 

その辺りの所が窺い知れるエピソードが

平安時代の説話集

今昔物語集にありましたので

今回はそちらのお話をご紹介しようと思います。

 

 

こちらは

今昔物語集第24巻の第56話

に収録されているお話です。

 

平安時代の中期に

源頼光(みなもとのよりみつ)という

英雄的な武人がおりました。

 

清和源氏の三代目にあたり

摂津源氏の祖でもある頼光は

時の権力者藤原道長に仕え、勢力を伸ばしておりました。

 

大江山にいた酒呑童子(しゅてんどうじ)という酒好きで誘拐犯な悪い鬼を退治したり

土蜘蛛という巨大な蜘蛛の化け物を退治したり

といった武勇譚のある人で

 

中世文学のなかでは

坂上田村麻呂藤原利仁藤原保昌らとともに

伝説的武人ベスト4のうちの1人とされています。

 

 



その頼光には

四天王と呼ばれる

いずれ劣らぬ剛勇な部下たちがおりました。

 

そのメンバーというのが以下の4人。

 



四天王の筆頭格嵯峨源氏の末裔

京都の一条戻り橋の上で茨木童子(酒呑童子の子分の鬼)の腕を切り落としたことがあるイケメン武者の

渡辺綱(わたなべのつな)

 

 

弓の名手。糸で下げた針をも射ることが出来てしまう。

川で産女(うぶめ)という女妖怪に出会ったこともある

卜部季武(うらべのすえたけ)

※平季武(たいらのすえたけ)ともいう

 

四万温泉を発見したり、碓氷峠で巨大蛇を退治をしたり、足柄山で金太郎をスカウトしてきたりした

碓井貞光(うすいさだみつ)

※平貞道(たいらのさだみち)ともいう

 

幼い頃は金太郎として山で熊と相撲の稽古。

その赤ら顔にちなんで、えんじ色の食べ物が「金時」と呼ばれるようになり(例・宇治金時)、息子の金平(かねひら)は「金平(きんぴら)ごぼう」の語源にもなっている

坂田金時(さかたのきんとき)

 

 

先にお話ししました

酒吞童子土蜘蛛などといった化け物

源頼光はこの部下たちと力を合わせて退治しております。

 

 

 

───で

 

今昔物語集」第24巻・第56話のお話に出て来るのは

この四天王の中から渡辺綱を除いた

 

卜部季武(平季武)

碓井貞光(平貞道)

坂田金時

御三方となっております。

 

 

いずれも堂々としたルックスは申し分なく

武芸に優れ、胆力も知力も思慮深さも兼ね備えた

非常に立派な勇士たち。

 

そんな三人が

ある年の四月

 

賀茂神社の祭礼の二日目に大行列が行われるんですが、それを

「われらも見に行こうじゃないか ♪」

って事で、盛り上がっていたんです。

 

 

「でもなあ、馬で連れ立って行くってのも、なんだか無骨すぎて野暮ったいし、顔を隠して歩いて行くってのもダサいし……。さて、どうしたらよかろう?」

 

「俺が知り合いの坊さんから牛車借りて来るよ。それで行ったら良いべ!」

 

「いやいやいや。俺ら風情が牛車なんか乗って、途中でお偉い殿上人なんかに出くわしてみ?武士風情が無礼千万!とかなんとかイチャモン付けられて引きずり降ろされかねないぞ。あげく、蹴り殺されでもしたらとんだ犬死にだぜ」

 

そうだ!牛車の内側に絹の布を垂らして、いかにも女車です~♡って感じにして見物したらいいんじゃないか?」

 

「おお、そいつは名案だ!」

 

ということで

 

早速知り合いの僧侶から牛車を借りて来て

簾の内側に目隠しの布を垂らし

ヨレヨレの水干&袴姿で乗り込んだ三人でありました。

 

自分達の袖などは外に出さないように、極力気を付けたので

見た目だけはなんだかちょっと

奥ゆかしい女車みたいに見えたのでありました。

 

 

さあ、いよいよ

行列を見物するために

紫野(京都市北区)へGO!

 

ところが

 

なにせ三人とも牛車に乗るのは初めてだったので

この後、大変な騒ぎとなってしまいました。

 

実は

牛車に乗る時には

左右の横板に付けられた窪みの部分を握って、体を安定させなければならないのですが

 

そんな事は全く知らない面々ですので

牛車の中でゴロンゴロンゴロンゴロン転げまわってしまいました。

 

 

横板に頭をしこたまぶつけたり

お互いにゴッツンゴッツンぶつかり合って仰向けにひっくり返ったり

うつむいて目をグルグル回したり……

 

そんな風に

車の中でさんざん揺さぶられているうちに

三人はもう完全に車酔い。

 

出入口の踏み板にゲーゲー吐くわ

烏帽子も落とすわという

惨憺たる有様。

 

 

しかも車を引いている

体力抜群のツワモノだったもんですから

ぐわらんぐわらん

車は速度を増して進んでいきます。

 



 


「そったら速ぐ行ぐんじゃねぇ~!」

 

東国なまり丸出しで叫ぶ、その大騒ぎを聞いて

後からついてきている他の車の人々や、そのお供たちは

 

「あの女車に乗ってるのは、どんな女房なんだろう?まるで東国の雁が鳴き合っているように騒がしいなあ。……いやしかし変な車だね。東国の娘たちなのかな?……声は男みたいに野太いけど」

 

怪しむことしきりです。

 

 

そうこうしているうち

やっとのことで紫野へ到着

 

ところが

着いたのがいささか早すぎて

行列が来るまでには、まだまだだいぶ時間がありました。

 

車酔いですっかり参ってしまっていた三人は

尻を持ち上げる変な姿勢でうつぶせに臥せったまま

いつのまにか眠り込んでしまいました……。

 

 

やがて

きらきらと美しく飾りたてた祭りの行列が賑々しくやってきます。

 

ところが

三人の武士たちはぐっすりと眠り込んでしまっていたために、それには全然気が付かないまま

行列は通り過ぎて行ってしまいました……。

 

 

見物を終えた周囲の車が帰り支度を始める物音で、三人はようやく目を覚ましました。

 

けれども

相変わらず具合は悪いままだし

行列は見過ごしてしまったし

腹が立つやら悔しいやらで

気分は最悪。

 

「これでまた帰り道で猛スピード出された日にゃ、とても生きて帰れる気がしねえ。

千人の敵のまっただ中に馬で飛び込む、なんてのはへっちゃらだけど、貧乏くせえ牛飼い童一人にこんな酷ぇ目に遭わされるなんて、堪ったもんじゃねえ。

このまま他の連中がすっかりいなくなるまで待っていて、人がいなくなったら、牛車を降りて歩いて帰るべ」

 

こうして彼らは

周囲に人気の無くなったあと、車だけを先に帰し

烏帽子を鼻先までズリ下げた上で、扇で顔を隠し

スゴスゴと頼光公の屋敷まで歩いて帰ったのでありました。

 

後日

季武はこんな風に話していたそうです。

 

「どんなに勇敢な武者だって牛車には敵わんよ。

もうあの一件ですっかり懲りたから、俺はもう牛車の近くには一歩たりとも近づかないようにしてるんだ」

 

いやはや……。

 

勇気や思慮分別を兼ね備えた立派なお侍さん方でも

一度も乗ったことが無い牛車に乗ったら

こんなに悲惨な事になるんですね。

 

 

───となむ

語り伝へたるとや。

 

平安時代末期に成立したと考えられる「今昔物語集」ですが、編者はわかっておりません。仏教界にいた人なのではないかとか、宇治大納言源隆国とか、その子の鳥羽僧正だとか、その編者には色々な説がささやかれています。

 

 

 

 

 

 

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