TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

ダシール・ハメット「マルタの鷹」~ハードボイルドは男の美学!

今回は

アメリカのハードボイルド・ミステリー作家

ダシール・ハメット(1894-1961)1930年の作品

「マルタの鷹」

のご紹介をいたします。

 

 

 

内容をかいつまんでいいますと、こんな感じになります。(ネタバレ無し)

 

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主人公サム・スペードは女好きでニヒルなサンフランシスコの私立探偵。

 

彼の元に美人の依頼人ブリジッド・オーショーネシーがやってきて、ある男の尾行を依頼した。

 

サムと共に働く相棒のマイルズ・アーチャー(※彼も大の女好き)が

「よしきた」

とばかりにそれを請け負うのだが

その晩に彼は

あっけなく射殺されてしまった。

 

相棒を殺したのは一体誰なのか……?

 

この事件に警察が動き出す中

間もなく第二の殺人事件が起こる。

 

さらに、ブリジッド・オーショーネシーとサムの身辺に、窺うように現れる不審な若い男……。

 

やがて新たなる依頼人(※うさんくさい男)が現れ

「黒い鷹の彫像を取り戻す手伝いをしてほしい」

というのだが ───

 

いつしか事件は

ブリジッドとサムを大きく巻き込んで

とてつもないお宝であった鷹の像をめぐる、命懸けの争奪戦となっていく───

 

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─── と

そんな感じの物語なのですが

 

主人公のサムは、依頼人ブリジッドとの間に

一脈の恋愛感情みたいなものが芽生えてはいるのですが

 

証言を二転三転させ、手の内を全て明かし切らない彼女に対しては

どうしても100%は信じ切れないような所があるんです。

 

このブリジッドが

果たして聖女なのか

 

 

それとも、本当は

とてつもない悪女なのか

 

容易に掴み得ない───それゆえに、事件の全貌もなかなか明らかにならない───

そんな所がミステリアスで面白かったですね。

 

 

作者のダシール・ハメット

1894(明治27)年

メリーランド州セント・メリーズ郡に生れました。

 

家が貧しかったために13歳で学校を中退

少年時代は新聞売りなど

いくつもの職を転々としたそうです。

 

1915年 21歳の時から

全米各地に事務所を置いていたピンカートン探偵社に入り

探偵として働きはじめました。

 

第一次大戦は探偵業を一時休職して

陸軍で働いたのですが

結核を患い入院。

 

そこで出会った看護婦ジョゼフィン・アンナ・ドーランとのちに結婚し、子供をもうけます。

(「マルタの鷹」の扉には、「ジョウス(ジョセフィン)に捧ぐ」と、彼女の名が書かれてあります)

 

探偵業を退いた

1922年 (28歳)から

雑誌向けに短編推理小説を書きはじめました。

 

なんでも彼は、当時流行していた探偵小説を読んでみて

「なんだ、所詮は空想じゃないか。

俺の方が圧倒的にリアルな探偵小説が書けるぜ」

と思ったために、小説家になったんだそうですよ。

 

 

結核を患っていた彼は

パルプ・ライターとして大活躍───とは言っても

血を吐きながらの執筆だったそうです。(*_*;))

 

1929年(35歳)の時に、雑誌『ブラック・マスク』で連載された「マルタの鷹」

ハメットの代表作とされ

1931年(37歳)の時に著した「ガラスの鍵」とともに高い評価を得ています。

 

作家として絶好調時代を迎えた彼は

女性と浮名を流すようになり

作家(音楽家)のネル・マーティンと付き合ったりしたのですが

 

どういうわけか

1934年(40歳)以後

突如としてスランプに陥ってしまい

全く作品が書けなくなってしまいました……。

 

(とはいえ、これまでの作品の印税や映画化権のおかげで収入はたんまり……)

 

 

1938年(44歳)に、妻と正式に離婚

 

その後の彼は

女流劇作家のリリアン・ヘルマンと共に過ごすようになります。

 

貧しかった少年時代や

社会の暗黒面に触れることの多かった探偵時代を通じて

社会のありように対し、色々と思う所があったのでしょうか

 

いつの間にか左翼活動にのめりこむようになっていた彼は

1937年(43歳)の時に

アメリ共産党に参加しています。

 

第二次世界大戦には

陸軍に志願してアリューシャン列島で従軍したりしていましたが

 

戦後の

1947年(53歳)の時には

急進派市民会議の発起人になっています。

 

 

 

ところが

 

まもなく冷戦が始まると

マッカーシズムによる赤狩り(共産勢力排除)の嵐が、全米中に吹き荒れはじめたのです。

 

アメリカ下院非米活動委員会

大衆への影響力の大きいハリウッドに狙いをつけ

 

映画業界人たちに向けて

共産主義者密告して

協力した者は無罪放免

拒否した者はブラックリスト入りで

職場を追放

と言い渡しました。

 

1951年(57歳)

査問会に召喚されるも

断固証言を拒否したダシール・ハメット

法廷侮辱罪に問われ

6か月間の服役に処せられてしまいました。

 

 

出所後の1952年にも再び召喚されましたが

またしても証言拒否

この時はなんとか投獄は免れました。

 

この時期の彼は

世間からまるで「非国民」のような扱いを受け

著作物は焚書の憂き目に遭い

 

所得税滞納との名目で財産も差し押さえられ

経済的にひどく困窮させられたそうです……。

 

そんな調子で

1950年代はまるで隠者のような生活を送り

 

1961年 ニューヨークの病院で肺癌のため死去しました。享年66歳。

 

 

 

 

 

「マルタの鷹」につけられた序文によりますと

登場人物たちにはそれぞれ、実在のモデルがいるそうです。

 

でも

主人公のサム・スペードだけにはモデルがいないんです。

 

サム・スペードにはモデルがいない。

私と同じ釜の飯を食った探偵たちの多くがかくありたいと願った男、少なからぬ数の探偵たちが時にうぬぼれてそうあり得たと思いこんだ男、という意味で、スペードは夢想の男(ドリーム・マン)なのである。

 

(中略)

 

彼は、いかなる状況も身をもってくぐりぬけ、犯罪者であろうと罪のない傍観者であろうと、はたまた依頼人であろうと、かかわりをもった相手に打ち勝つことのできるハードな策士であろうと望んでいる男なのである。

 

 

このサム・スペードにこめた思いといい

彼自身の後半生で

全財産を失おうとも、他人を陥れるような証言を断固拒否した姿勢といい

 

「たやすく屈服したりしないぜ!」

っていう

生き方に対する美学が感じられますよね。

 

 

「マルタの鷹」の映画化では

ハンフリー・ボガードが主演した1941年の作品が有名です。

 

私の個人的な思い入れと言えば

 

サディスティック・ミカ・バンド

ダシール・ハメット&ポップコーン」

っていう曲が

スタイリッシュでめっちゃカッコ良くて、大好きなんですよ!

 

皆さんも、良かったらぜひ聴いてみて下さい。(^_^)

 

 

 

 

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