TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

唐代の詩人、李益の「江南曲」にも出て来る中国伝統のサーファー「弄潮児」について

先日、私のスマートフォン

THE SURF NEWSというサイト発の

「中国の意外なサーフィン歴史が明らかに」

という情報が入って来ました。

 

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それは

イタリア人で中国のサーフィン代表チームのコーチも務めたことがある

ニック・ザネラ氏が、中国の波乗りの歴史について

「Children of the Tide(潮汐の子供たち)」

という本を著した

 

という記事だったのですが

 

そこに

そもそも、ニック・ザネラ氏が

どうして中国の波乗りの歴史を調べようと思ったのか?

そのきっかけとなった出来事が紹介されていました。

 

2006年、ザネラ氏が海岸から600キロ離れた

雲南省混迷市にある筇竹寺という禅宗寺院を訪ねた時

彼はそこで大きな浅浮き彫りの彫刻を目にしました。

 

そこには、30人ほどの人物が

神話上の動物に乗りながら

大きな波に乗っている姿が描かれていたそうです。

 

「まるでサーフィンじゃないか!?」

と驚くザネラ氏に

僧院の導師は

「それは弄潮児ですよ」

と教えてくれたのだそうです。

 

その記事を読んだ私は

「おや!?」

以前読んだ事のある、

とある漢詩を思い出しました。

 

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 そこで早速、本棚を漁ってみたのですが

目当ての本がどうにも容易には見つかりそうになかったので

その時はそれっきりになってしまったのですが

 

この度、その心当たりの本

唐詩選」が無事見つかりましたので

 

今回はこの中に出て来る

「サーファー」=「弄潮児」

について書こうと思います。

 

 

まずは、この中におさめられている

 

李益(748-827)作の

この詩をご覧ください。

 

 

江南曲 

 

嫁(か)し得たり 瞿塘(くとう)の買(こ)

 

朝朝(ちょうちょう) 妾(しょう)が期を誤る

 

早く潮(うしお)に信(しん)有るを知らば

 

弄潮(ろうちょう)の児(じ)に嫁与(かよ)せしならん

 

 

 

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せっかくお嫁に来たのにダーリンはいっつもお留守でつまんなーい。

 

この詩の現代語訳は

この本の解説をされている深澤一幸先生によりますと

以下のようになるそうです。

 

 

瞿塘峡を往来する商人の嫁になったばかりに、

 

来る日も来る日もお帰りの約束をすっぽかされる

 

潮の満ち引きは時刻をたがえぬと知っていたら、

 

いっそサーフィン野郎に嫁いだものを。

 

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サーフィン野郎!?

 

唐詩選」を読んでいて、まさか

サーフィン野郎

などという語句に出くわそうとは夢にも思っていませんでしたので

 

この現代語訳を初めて読んだとき

私は思わず

えええーっ!?

と驚き、我が目を疑ってしまったのでした。

 

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 この詩は元々江南地方で歌われていた恋の楽府「江南曲」の伝統を受け継ぎ

 

商売のため、長江上流にある瞿塘三峡を抜け、四川の方へ旅立ったまま

なかなか家に戻って来ない夫への想いを、寂しい若妻の立場から歌ったものです。

 

が!!

 

それはともかく

 

気になってしまうのは

唐代(618-907年)という、遥か昔の中国にいたという

「サーフィン野郎」

の存在です。

 

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この詩について書かれた深澤先生の解説によりますと

 

「弄潮児」(=サーフィン野郎)

というのは

 

浙江省杭州の南を流れている

銭塘江(せんとうこう)という川の秋の大潮に

波乗りする若者なのだそうです。

 

 

彼らについては、李益よりも少し後の人となる詩人

元稹(げんしん)(779-831)

 

杭州を去る」

という詩の結びにも

 

波乗り(=潮戸)を生業としている人を歌った

こんな詩句があるそうです。

 

 

 

風を翻し波を駕し 何処(いずこ)をか拍(う)つ、

 

直ちに杭州を指し 上元由(よ)りす。

 

上元の蕭寺は基址在り、

 

杭州の潮水は霜雪のごとく屯す。

 

潮戸は潮を迎えて潮鼓を撃ち、

 

潮平ぎ潮退きて潮痕有り。

 

得得として為に羅刹石(らせつせき)に題す、

 

古来、

独り伍員(ごうん)の冤のみには非(あら)ず

 

 

 

この現代語訳は

以下のようになります。

(深澤先生訳)

 

 

大潮は風を翻し波を進めてどこを直撃するのか、

 

上元から逆流してまっすぐに杭州を目指す、

 

上元ではお寺の基壇ほどの高さ、

 

杭州までくると霜雪の白山のごとく盛り上がる、

 

波乗りは大潮を迎えて太鼓をたたき、

 

潮が収まり退くと潮の痕が残る、

 

念のためここの羅刹石に書きつけておこう、

 

この大潮を起こすのは

 

古来伝わる春秋時代の楚の伍子胥(ごししょ)が

 

無実で自殺させられた恨みだけではない。

 

 

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大潮によってしだいに高さを増して行く波の迫力と

それに挑む潮戸(=弄潮児)たちの高揚感が伝わって来るような詩ですね。

 

ちなみに

この詩の作者元稹

白居易の親友として知られている人でして

 

元稹&白居易の二人で

「元白」と並び称されたりしています。

 

 

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ところで

先ほどの詩の中に

 

「大潮を起こすのは

伍子胥の恨み」

 

のような事が書かれていましたね……。

 

弄潮児たちが
「ヒャッホーーーー!!」
楽し気に波乗りをしている川は

もしかして


実は恐ろしい
オカルトスポット!!


という事なのでしょうか……?

 

 

 

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この辺の所、

なんだか気になってしまったので

ちょっと調べてみました。

 

伍子胥(ごししょ)

(?-BC484)

 

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彼は元々はの名門に生れた人だったのですが

楚の平王により父と兄を殺されたため

復讐の念を抱きながらに亡命し

 

呉王闔閭(こうりょ)の懐刀として

兵法家の孫武(孫子)と共に呉の富強化に尽くしました。

 

やがてが大軍でに侵攻し、その都を占領すると

すでに亡くなっていた平王の墓を暴き

その屍を300回も鞭で打ち、恨みを晴らしたそうです。

(これが「死者に鞭打つ」の語源になります)

 

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「おのれぇぇぇ~!!!」

いや~

激しい人ですね!

 

やがて彼を重用していた闔閭王が亡くなり

その子夫差(ふさ)の代になると

 

「越に警戒を怠りますな!」

と口うるさく言う彼は

次第に新王夫差から疎まれるようになってしまいました。

 

そしてついに

剣を渡されて

自害する事を

命じられてしまったんだそうです。

 

彼は

「私の墓の上に梓の木を植えよ。それが育ったら呉王夫差の棺桶が作れるだろう。

私の眼をえぐって街の入り口にかけて置け。越が呉を滅ぼすのを見届けてやろう」

そう言って自ら首を刎ねて死にました。

 

その言葉を知った呉王夫差が怒ったため

 

伍子胥の墓は作られず

遺体は馬の革袋に入れられて

川に流されてしまいました

 

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これ以後

長江では洪水が度々起こるようになり

 

伍子胥の祟りだと恐れられたのだそうです。

 

(この怨念をしずめるために、人々は川のほとりに祠を立て

川に供養物を流すようになりました。

これがお盆に供養物を流す風習として日本に伝わったそうですよ)

 

 

伍子胥の死から10年後 ───

 

案の定……

に滅ぼされてしまい

呉王夫差

「私は伍子胥に合わせる顔が無い」

と言って自決する羽目になってしまいました……。

 

 

このような話があるために

 長江には

伍子胥の祟りで川が氾濫する!

という言い伝えがあるようですね。

 

そして

弄潮児たちがサーフィンを楽しんでいる銭塘江(せんとうこう)は

 

 隋の時代になってから

大運河によって長江と結ばれております。

 

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さてここで

冒頭の記事に戻りますが

 

「弄潮児」の研究をしていたニック・ザネラ氏は

宋代(960-1279)に書かれた朝廷の文献に

 

中秋の祭りの際に

何百人もの短髪&入れ墨の男たちが巨大な波に向かい

波と踊りながら様々な技を披露して皇帝を喜ばせた。

 

という記述を発見したそうです。

 

大潮時に氾濫して周囲に被害を与える川に

「弄潮児」たちが身をささげる事で

「潮の神」の怒りを鎮めることが出来る。

 

当時の人々には

そのように考えられていたらしいです。

 

また

そのような行事の時以外にも

 

ここでの波乗り行為は

純粋にレジャーとしても楽しまれていたそうですよ。

(「危険だからやっちゃダメ」と禁止された時もあったけど、それでもやっちゃう人はいたそうです)

 

 現在、銭塘江の大波は

「シルバー・ドラゴン」

という名で知られるようになっています。

 

ここは満潮時になると

川が逆流して波が発生するという現象があり

大潮の時には、世界最大級の5メートルもの高さになる事もあるんだそうです。

 

2013年

レッド・ブルがここを舞台に近代初のサーフィン大会を開催して以来

スポンサーの変遷はありながらも何度もサーフイベントが行われ

 

今ではすっかり

人気のサーフスポット

になっているそうですよ。

 

周囲が開発されて大都会の風景になっているため

 

高層ビルを眺めながらサーフィンを楽しめる!

という

その異色さでもまた、受けているみたいですね。

 

 

 

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「戦国策」~蘇秦の合従策と張儀の連衡策

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帝王学の教科書「貞観政要 

todawara.hatenablog.com

 

 

 

 

 

こちらは私の本になります。

よろしくお願いいたします。

 

台風スウェル

台風スウェル

 

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