TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

空調は「空気調和」の略でエアコンとは別のモノ!?

暑~い夏

寒〜い冬

近ごろなんだか、気候が極端になって来たような感じのするこのニッポンで

暮らしに欠かせないのが、クーラーなどの

空調設備。

 

 

最近は

ジャケットと扇風機が一体化した

空調服なんてものも

大分普及してきましたよね。

 

 

さてこの

「空調」という言葉

一体、何の略だと思いますか?

 

 

調

 

ノンノン

 

 

調

エアコンの英語表記

air-conditioningは日本語訳では

「空気調節」「空気調節装置」

 

ですからまぁ

 

それもあながち間違いだとは言い切れない所があるんですけど

 

実は空調って

空気調和の略なんです!

 


空気調和なんて言葉

皆さん知ってました?

 

自慢じゃありませんが

私は全っぜん

知りませんでしたよ。(^^;)

 

ちなみに

Wikipediaにはこんな風に書かれていました。

 

空気調和(くうきちょうわ、空調、くうちょう)とは、

人間の快適性の向上目的や、生産、管理、貯蔵といった物品を扱う上での産業目的で、ある場所の空気の温度や湿度、清浄度、気流などを調整することである 。

総合的に快適な環境を目指す点で、エアコンディショニングと 同義とされる。

 

「エアコンディショニングと 同義とされる」

ここではそう書かれてあります

 

が 

 

────実はですね

 

ここで言うエアコンディショニング」というのは

英語のair-conditioning

つまり、日本語でいう所の

「空気調節」「空気調節装置」

の事でありまして

 

それは必ずしも

コレの事を指しているわけでは無いのです。

 

 

つまりどういうことかと言うと

 

衝撃の事実なんですが

 

厳密に言うと

「空調設備」と「エアコン」は違うって事なんです!

 

 

空調設備っていうのは

エアコン(個別に設置され室内の温度調整をする装置)よりも

もっと大掛かり

機能も多様なものをあらわしているんだそうです。

 

ビルとか大規模な施設に設置され

中央集中的に温度や湿度、気流を調整したり

空気をキレイにしたりするような。

 

建築物衛生法上でも

エアコンは空調設備の機能として定義されている

「空気の清浄化(換気)」

を含んでいないので

単体では「空調設備」には分類されないんだそうな。

 

 

ということで

これまでの所をまとめますと

 

「空調設備」の「空調」

「空気調和」の略。

 

英語で言えばair-conditioning

「空気調節」「空気調節装置」とも言うが

家電のエアコンとは違って

もっと大掛かりな装置の事

 

という事になります。

 

……ふう、

なんだかややこしいですね。(-_-;)

 

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古書はなかなか捨てがたい……

先日、沢野ひとしさんのこちらのエッセイを読んで、

私も部屋を片付けなければ!

と思いたちました。

 

 

我が家の場合、一番大変なのは

日々とどまることなく

増殖し続ける本

これが悩みの種なんですよねえ……。

 

もとより

本というものは

我々に知識を授け、想像力を助けてくれる

素晴らしいモノ。

 

であるからし

それ自体なにか、リスペクトすべきムードのようなものを帯びていて

ちょっと、ぞんざいに扱ってはいけないような感じがあります。

 

 

……なんですけど

 

本って

物理的に場所を取られるのが困るんですよねぇ……。

 

気が付けば、本棚に収まりきらず

あちこちに積みあがっている本の山、山……

 

 

なので最近は

新刊で電子書籍化している本は

なるべく電子書籍で買うようにしているし

読み終えた本は

なるべく古書店に売るように心がけているのですが

 

いかんせん

処分するペースよりも、増えて行くペースの方が断然早いので

なかなかスッキリできないという次第です。

 

私最近、YouTubeコワ~い動画見てしまったんですよ。

 

膨大な量の本にマンションの部屋という部屋、空間という空間が

風呂場からトイレまで、隈なくギチギチに埋め尽くされてしまい

そこで暮らしていた人が

玄関先のほんの僅かなスペースで

不意の病気で孤独死してしまったという話……

 

いやはや

慄然としてしまいました……

 

人生を豊かにしてくれるはずの本に

生活の質をあれほど脅かされてしまうなんて……

 

いくらそれ自体「善い物」であるとしても

人間様の居住空間を圧迫してくるとなると……

 

これはもう本末転倒もいいところです。

 

 

一度読んだ本って

よほどの思い入れがあるもの以外は

あんまり読み返したりはしませんよね。

 

なので、読んでしまった本で

「これはもう読み返さないかな」

っていうものは、思い切ってバシバシ売ってしまおう

(今までもボチボチ売ってはいたけど)

売るペースを、今まで以上に

どんどん上げて行こうと思いました。

 

本にしても、記念品的に飾られ続けられるよりは

新しい読み手がついてくれた方がきっと幸せだろうと思いますし。

 

ところが

 

売ろうにも売れないようで困ってしまうのが

付箋を貼ってしまった本

なんですよ~……

 

 

私の場合

感動した所だとか、おや、と思った所に付箋を貼ることが結構あるんですけど

 

これを剥がそうとすると

付箋の粘着面が紙の表面にくっ付いている時があって

文字が削れてしまったりするんですよね……。

 

それに

膨大な量の付箋が張ってある本の場合

全部剥がすのは労力的にも

あまりに面倒くさすぎて無理。

 

しかたがない。

 

捨てるには忍びないけれど

紙ごみの日にまとめて捨てようと思いました。

 

ところが────

 

その日は、朝から

あいにくの雨。

 

 

……さすがに、さすがに

 

読み込んで付箋まで貼り付けた本たちを

ざらしにするのは可哀想すぎる気がしましたので

やめにしました。

 

う~~~ん

 

本を捨てるというのは

かくも悩ましいものですね……。

 

 

 

 

 

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トンキニーズの抜け毛事情

我が家の飼い猫ココ(雌2歳)はトンキニーズです。

トンキニーズという猫種は、周囲を見渡してみても他に飼っておられる方がほとんど見当たらないくらい、今のところ、ちょっと珍しい存在です。

 

可愛いし、人懐こいし、賢い

とっても飼いやすい猫種なんですけどねぇ。

 

ということで

 

今回は我が家の

トンキニーズの抜け毛事情

について書こうと思います。

 

 

猫の被毛にはよく言われております通り

二種類の生え方があります。

それが

ダブルコートシングルコート

 

超々ざっくりと言いますと

 

触った感じ

フワフワしている子は

堅い上毛に柔らかい下毛がセットで生えている

ダブルコート

 

それに対して

スベスベしている子は

一種類の毛(かたい上毛のみか柔らかい下毛のみ)だけが生えている

シングルコートであることが多いです。

 

ご先祖様が南国(タイやミャンマー)出身である

トンキニーズの被毛

触り心地はシルクのようにスベスベな

シングルコートです。

 

 

ですので

 

トンキニーズ

毛がいっぱい生えているダブルコートの猫ちゃんに比べれば

抜け毛は少ない方なんじゃないかと思います。

 

ちなみに

我が家の先代猫のミータ君は

ダブルコートロシアンブルーだったので

抜け毛はそりゃもう大量でした。

 

ご先祖様が酷寒のロシア出身とあっては

被毛もたくさん必要だったでしょうからね……(^^;)

 

 

とはいえ

 

冬から春へ、春から夏へと気温が暖かくなってまいりますと

さすがに

シングルコートのトンキニーズと言えども

やっぱりそれなりに毛は抜けまして

 

綿菓子製造機のようになってしまうのは、猫としての哀しきさだめ……

 

そこで重要なのが

ブラシとなってくるわけであります。

 

 

びっしり毛の生えつまった

ダブルコートの猫ちゃんには

こういう感じの 

ワサワサ抜け毛を梳いてくれるようなハイテクブラシが良いのでしょうが────

 

 

すべすべシングルコートで短毛の猫さんだったら

そこまで立派なものは必要無いと思います。

 

ラバー(ゴム)ブラシで充分。

我が家ではこんなの を使っています。

 

 

これで軽く

ワシャワシャしてあげるだけで

 

4月の今などは

たちどころにこんなに抜け毛が取れてしまいます。

 

毎日毎日こんなに抜けてるのに

よくもハゲないものですよね……

換毛期恐るべし。

 

 

ブラッシングすると

毛がフワフワ舞い上がったり、静電気が起こったりするので

それを抑えるために

我が家ではこんなスプレーも使っています。

 

多分、本来は猫にスプレーするんでしょうけど

私はブラシの方に2~3回プッシュしてからブラッシングしています。

 

 

換毛期で毛が抜けやすくなると

毛づくろいの時に

猫ちゃんが毛を飲み込んでしまって

 

お腹の中で詰まってしまったり

ウンチの切れが悪くなって(毛で繋がってしまって)

トイレ以外の場所にウンチを振り落とされてしまったりする────しかもそれに飼い主が気づかず、踏んでしまったりする────ので大変ですよね。

(え?そんな事態になってるのは、もしかして我が家だけ…?)

 

そんなことになっては大変なので(もう本当に地獄で、キッチンマットとスリッパは捨てる羽目になりました)

猫ちゃんには毎日

愛情込めてブラッシングしてあげましょうね!

 

「アタシは何にも悪くないもーん」

 

 

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読売新聞朝刊連載小説・多和田葉子さん「研修生(プラクティカンティン)」の感想

読売新聞の朝刊紙上で連載されていました

多和田葉子さんの

「研修生(プラクティカンティン)」

が先日、完結しましたので

今回はその感想を書こうと思います。

 

 

ドイツ在住の多和田葉子さんは、日本語とドイツ語両方で小説を書き

世界中で非常に高い評価を受けている作家さんなのですが

 

この「研修生(プラクティカンティン)」

ドイツに渡ったばかりの、20代の頃のご自身を投影された話────

しかも

どのようにして小説家になろうと決心したのかが窺い知れる作品となっていますので

ファンの方にとっては、大変に興味深い内容なのではないかと思います。

 

 

内容

多和田さんの若い頃の体験同様

1980年代にドイツに渡り、向こうの書籍取次会社で研修生として、色々な部署を体験しながら働いている

大学出たての若い女「わたし」の一人語りとなっています。

 

本屋の娘として育ち、目下、書籍の取次会社で働いている彼女が、本について───その他、目に入る物、交流する人など、あらゆる事に関して────感じたり考えたりする、その感覚や思考

自分自身のものとはだいぶ違うので、それゆえに、非常に面白いと感じました。

 

他人になりきり、他人の視点でものごとを見たり考えたりするっていう

現実世界では絶対に叶わないはずの事が、小説だとできてしまうのですから

小説と言うか、言葉って、もの凄いですよね。

 

主人公の「わたし」は、日本語とドイツ語両方を使い分けしている事から、言葉について色々と思いを巡らせるのですが

「ドイツ語話者のモノゴトの捉え方」

みたいなところなどは

日本語しか知らない────ゆえに、日本語的な思考回路しか持っていない私にとっては、新鮮な驚きがありました。

 


その他、物語的な所で言えば

 

親友と言うか恋人というか

微妙な存在であるところのマグダレーナとの仲が

接近し過ぎて甘えの感情が出てしまうのか、はたまた、うざったく感じてしまうのか

お互いに傷つけあう感じが、なんともリアルでした。

 

こういう事って人間関係上

親しくなれば親しくなるほど

なんか、あるんですよね~……。

 

「わたし」の語りで、視点が現代にうつり

彼女がその後どうなったか知らされるくだりがあるのですが

それを知ってしまうと

若き日のマグダレーナの姿が、なんとも切なく感じられてしまいます……。

 

 

切ないと言えば……

 

この物語は1980年代を舞台にしているのですが

 

ある時、日本から来た同年代の女の子を連れて、ドイツの町を案内することになった「わたし」が

その女の子のいささか傲慢にも感じられる一流ブランド嗜好に辟易してしまう場面があって

「ああ、この時代って、確かにそういう人多かったよなぁ……」

一直線に上り調子だったバブル時代を思い返して、なんだか懐かしいような切ないような気分になってしまいました。

 

あの頃は、日本人の誰もが

日本の将来は輝かしいものに違いない!って

信じていたんですよねえ……。( ;∀;)

 

 

国や所が変わると

人々の考え方や生活習慣も

自分の身に沁みついたものとは全然違ったりするので

 

これまで持っていた固定観念が崩されて

視野が開けてきたりしますよね。

 

ドイツという

日本人にとってはあまり馴染みのない、遠い異国での生活を

日本人研修生の「わたし」目線で疑似体験することができて

 

この小説を読んでいる間

私は毎日

なんだかちょっと楽しかったです。(^_^)

 

 

 

 

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イラストレーターも始めました! (^_-)

このブログを書くにあたって

イメージにピッタリ合ったイラストが欲しい

でも

自分で描くのはメンドクサイ

 

「そんな時にはフリー素材!」


────って時に、ちょくちょくお世話になっている

「イラストAC」さんで

 

わたくし、このたび

イラスト投稿を始めました!

 

小説家名義は「戸田蕨」イラストレーター名義は「とだわらび」でやんす。

 

かねてから何となく

やったら面白そうかなぁ……

と、気になっていたし

 

春だし

 

何か新しい事をしたかったんですよねえ。(#^^#)

 


「イラストAC」さんは
下手っぴいな私なんかが、気軽に参加できてしまうほど

間口は極めてオープンなんですけど

 

すでにそこで描いておられるイラストレーターさん達の作品を見渡してみると

「え?これ無料でダウンロードして良いの!?」

って思ってしまう程

総じてレベルが超~高いです。

 

それもそのはず

 

始めてみてからわかったんですが

実はここ

イラストを投稿すれば、すべて無条件に掲載してもらえる

ってほど甘くはなく

 

イラスト一点一点に対して

非っ常~に厳格なる審査があるんですよ!!(@_@;)

 

 

イラストを描いて投稿してから、審査にかかる期間も結構長く

だいたい1週間ぐらいかかるかな……。

 

挙句

結構な割合でダメ出しをくらうんです。

 

しかもその理由は

具体的に明確には教えてくれません。

(自分で考えてね、って感じ)

 

基本のルールとして

著作権違反のもの商標が入っているもの

写真をトレースしただけのもの……などなどはダメ

決まりは色々あるのですが

 

それらに全く当てはまっていない絵だって

余裕でダメ出しされまくります。

 

この(下の)チャイニーズガールの絵なんかも

「ダメ」って言われてしまったうちの一つなんですが

 

恐らく

雑過ぎると判断されて却下されてしまったのかも……。

 

めげずに何度か再投稿したんですが、それでもダメでした。

個人的には結構気に入ってたんだけどなあ……。

 

これは却下されたけど色違いの青バージョンは何故かOKでした。

 

自分のブログではいつも

60×60とか80×60くらいのサイズで描いているので

自分自身ちょっと良くわかってなかったんですが

 

投稿用のサイズ(1600×1200)だとなにぶんデカいので

アラが目立つ!!

(;・∀・)

 

それ以外にも

他の方の情報などを見るに

 

ダメ出しの最多原因となるのは

検索されるときのキーワードとなる

タグ付けみたいですね。

 

私もこれには現状

かな~り苦戦しております。

 

タグ付けって

その絵に関連する語句を5つ以上登録する、って決まりになっておりまして

 

この語句の数が多ければ多いほど、検索に引っかかる可能性が高くなりますから

みなさん、なるべく多くの言葉をタグ付けしよう────とするんですけど

 

これが

 

あんまり絵と関係ないとか

言葉の意味が重複しているとか

言葉が文章になっている

 

などなどで

駄目出しされっちまうんですよ~。

 

なので私は

もう絶対に絵の中にある要素だけに絞りに絞って

ほぼ最低限の五つぐらいしかタグ付けしない事がほとんどなのですが

 

それでもなお

ダメ出しされる事が多々あります。( ;∀;)

 

いや~

打たれ強くならざるをえませんねえ。

 

 

それと

 

イラストACさんは

商標関係にはかなり敏感な感じがしました。

商標が付いたイラストは✖というのがルールです。

 

これは実際に存在するかどうかは多分関係ないようで

下の栄養ドリンクの絵は

まったく架空のネーミングなんですけどダメでした。

「ビタビタ」は、さすがに名前につける会社無いだろ~と思ったのですが……。

 

下の温泉タオルも。

「ナントカ温泉」なんて温泉は、今のところどこにも無いけど……

 

たぶん

現状、今のところ世の中に存在していない架空の商標だとしても

将来的に出現する可能性がある

っていう点で、もう危ういんでしょうね。

 

確かに

将来的にそんな事態が起こったら

結構メンドクサイことになりそうですもんね……。

なんか少し勉強になりました。

 

なので

下のスパイの絵なんかも

新聞名(架空)が入っているので

ペケ。

 

 

────とまあ

このように

何もわからない状態でヨタヨタと飛び込んでみたんですが

 

イラストを描く時のモードと、ブログを書く時のモード

それに、小説を書く時のモードってそれぞれ結構違っていて

脳みそや感覚の使いどころも全然別なので、なんか面白いです。

 

 

拙い絵&文章ではありますが

 

今後とも

イラスト、ブログ、小説の方

ぼちぼち頑張って行きますので

 

皆々様におかれましては

ご愛顧のほど

よろしくお願いいたします。<(_ _)>

 

 

 

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読売新聞夕刊連載小説・戌井昭人さん「おにたろかっぱ」の感想

読売新聞の夕刊で連載されていた

戌井昭人さんの「おにたろかっぱ」が完結しましたので

今回はその感想を書こうと思います。

 

終わってしまった事が悲しくなってしまうくらい、愛おしい物語世界でした。

私の好みのズバッど真ん中です!!

 

ここ数か月間、夕刊を開くたびに笑いを提供してくれた、あの魅力的でハチャメチャな面々に、もう会えないというのが寂しいよ~……。

 

 

物語の主人公は

中年ミュージシャンの父ちゃん

 

イラストレーターの妻・母ちゃんと三歳の息子タロの三人家族で

三浦半島の海辺の町にある、中古の一軒家に引っ越してきました。

 

 

父ちゃんは昔一回だけ、スマッシュヒット的に曲が売れたことのあるミュージシャンなのですが

現在はそれほど仕事が忙しくも無いため、もっぱらタロの世話を担当しています。

 

幼子と過ごす日常は、ほのぼのとして、穏やかで、幸せではあるのですが

 

決して万人受けはしそうもない、アングラっぽく尖った(でもトボけた)作風を持ち味とする父ちゃんは

 

このまったりとした日常に埋没してしまっている感じに

微かに己の音楽性への不安と言うか、才能への疑問と言うか、そんなものを感じ始めてしまっています。

 

 

そんな父ちゃんが、ひょんな事から

タロを連れてのドサ回りの旅に出かける事になりました。

 

横須賀からフェリーに乗って、九州、広島、京都などへ大遠征。

 

その旅先でのあれやこれやのエピソードが、父ちゃんの性格的に、またその独特な音楽スタイル的に

かなりのコメディタッチになるんですね。

胸がホンワカ暖かくなったり、爆笑させられたり。

 

さらには

脇役として現れて来る人々の個性が、揃いも揃って強烈で可笑しいんですよ。

 

特に

尾道の住職

ものすごく良かったよ!!

(涙が出た)

 

多々玲子さんのイラストの魅力もあいまって

可愛らしくも愛おしい、素敵な作品世界でした。

 

 

子供が小さい時って

親はどうしても、子供を人生の中心部分に据えざるを得ないところがあって

自分のアイデンティティがグラついてしまう事がありますよね……。

 

でも、子供がコドモである時期って

長い人生からしてみれば、ほんの短い一瞬。

 

なによりも

 

手が掛かる小さい時分の子供は、その分、無垢で可愛くて

こちらが気づかないような、ハッとするような気づきを沢山与えてくれる。

 

そんな時期を一緒に過ごせたのは

親にとってもかけがえのない、貴重な経験だったなあ……

────と

 

子供がすっかり大きくなった今、私はしみじみと思ったりします。

(あぁ、あの頃が懐かしい……)

 

 

 

 

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かつて栄えたあの場所も今ではもう幻…哀愁を誘う漢詩「黍離(しょり)」のご紹介。

漢詩っていうと、難しそうで

言い回しも

「ワレ」だの

「イワンヤ」だのと

やたら堅苦しかったりして

なんだか取っ付きにくいと思われてしまいがちですが

 

数百年────

────ともすると、二千年以上も昔に生きた人々の

その時々のふとした感情が、現代にそのままそっくり伝わってくるなんて

結構ロマンチックじゃありませんか?

 

ということで

今回は私が

「良いなあ……」と感じた漢詩

一つご紹介いたします。

 

 

それは

中国最古の詩集である詩経

「国風」という章の中の

「王風」というところにある

「黍離(しょり)」

という詩です。

 

 

中国の歴史の最初の方に

という国がありましたよね。

その殷の次に

周(西周)という国が天下を治めるのですが

 

その西周が衰えて都を洛陽に移し(紀元前770年のこと)

諸大名並みの勢力しか持てない

東周という国になってしまい

こうして中国は群雄割拠の春秋戦国時代へと突入していきました。

 

王風というのは

この東周に伝わる歌ということです。

 

 

※現代語訳は私の意訳です。

「黍離(しょり)」

 

 

 

彼黍離離

彼(か)の黍(しょ) 離離(りり)たり

かつての都に 

モチキビは穂を垂らし

 

彼稷之苗  

彼の稷(しょく) 之(こ)れ苗(びょう)す

ウルチキビは苗を出している

 

行邁靡靡

行き邁(ゆ)くこと靡靡(びび)たり

とぼとぼと 私は歩き

 

中心搖搖

中心(ちゅうしん) 搖搖(ようよう)たり

心はゆらゆら 揺らめいている

 

知我者

我を知る者は

私を知っている人は

 

謂我心憂

我が心 憂(うれ)うと謂(い)う

「憂いているのですね…」 

というけれど

 

不知我者  

我を知らざる者は

私を知らない人は

 

謂我何求  

我何をか求むると謂う

「何を求めて歩いているのですか?」 

というだろう

 

悠悠蒼天

悠悠たる蒼天

悠々と広がる青空よ

 

此何人哉

此れ何人(なんびと)ぞや

ここをこんな風にしてしまったのは

いったい何者なんですか

 

 

彼黍離離  

彼の黍 離離たり

モチキビは穂を垂らし

 

彼稷之穗  

彼の稷 之れ穗(ほ)いづ

ウルチキビも穂を出した

 

行邁靡靡  

行き邁くこと靡靡たり

とぼとぼと 私は歩き

 

中心如醉 

中心 醉(よ)えるが如し

心は まるで

なにかに酔っているかのよう

 

知我者   

我を知る者は

私を知っている人は

 

謂我心憂  

我が心 憂うと謂う

「心が沈むのですね…」

というけれど

 

不知我者  

我を知らざる者は

私を全然知らない人は

 

謂我何求  

我何をか求むると謂う

「何を探しているのですか?」 

というだろう

 

悠悠蒼天  

悠悠たる蒼天

悠々と広がる青空よ

 

此何人哉  

此れ何人ぞや

ここをこんな風にしてしまったのは

いったいどこの誰なんですか

 

 

彼黍離離  

彼の黍 離離たり

モチキビは穂を垂らし

 

彼稷之實  

彼の稷 之れ實(みの)れり

ウルチキビも実を付ける

 

行邁靡靡  

行き邁くこと靡靡たり

とぼとぼと 私は歩き

 

中心如噎

中心 噎(むせ)ぶが如し

胸は塞いでいくようだ

 

知我者   

我を知る者は

私を知っている人は

 

謂我心憂  

我が心 憂うと謂う

「悲しいですよね…」

というけれど

 

不知我者

我を知らざる者は

私を全然知らない人は

 

謂我何求  

我何をか求むると謂う

「何を求めているのですか?」

というだろう

 

悠悠蒼天  

悠悠たる蒼天

悠々と広がる青空よ

教えて下さい

 

此何人哉

此れ何人ぞや

ここをこんな風にしてしまったのは

いったいどこの誰なのでしょう……

 


この詩の背景をご説明いたしますと

 

落ち目になった周王室が、都をそれまでの鎬京(こうけい)から東の洛陽(洛邑)へと遷して、しばらくたった後

 

ある人が、かつて都があった鎬京の地へと赴いたところ

そこはすでに

 

都だった面影はすっかり消え失せており

一面のキビ畑となり果てていました……。

 

そんな栄枯盛衰の哀しさ

憂いて詠んだ歌だと言われています。

 

 

かつて慣れ親しんでいた光景が

いつの間にか

見る影もなく荒れ果てた廃墟と化してしまった ────

 

そういう事って

現代でも、わりと良くありますよねえ……。

 

 

思い出の場所は、

思い出の時のまま、鮮やかに

ずっと存在し続けて欲しいと願うのに 。

 

 

昔友達と遊びに行った遊園地が潰れ ────

 

家族で訪れていたショッピングセンターも、いつのまにか姿を消し ────

 

時の流れって

無情で非情。

 

 

何とも言えない

寂寥感が胸に迫ってくるような詩ですよね……。

 

 



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