TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

ジョン・スタインベック「ハツカネズミと人間」の感想とご紹介〜色んな人がいるからこそ人間社会は難しい……。

今回はアメリカの文豪

ジョン・スタインベック(1902-1968)が

1937年に発表した中編小説

「ハツカネズミと人間」について

感想とご紹介を書かせていただきます。

 

こちらの作品は1992年に映画化されています。主人公のレニー役はジョン・マルコヴィッチ

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名作というのは往々にして

何かを深く考えさせてくれるような作品である場合が多いのですが

 

物語(小説、戯曲、映画など)の場合

地の文章や登場人物が発する言葉に、なにか深いもの(人生観や哲学など)が織り込まれている

という形式のものもあれば

物語の筋自体を通して、なにか考えさせられるものがある

という

ざっくり言って二つのパターンがあると思います。

 

この「ハツカネズミと人間」という作品は後者の

話の展開自体が色々と考えさせられる

というタイプのものなので

 

その「考えさせられた部分」を紹介するにあたって、どうしてもネタバレしなければ伝えられないような気もするのですが

 

非常に深く心打たれる物語であり

未読の方にはぜひとも

新鮮な驚きを感じていただきたいと思いますので

 

今回はなるべく

ネタバレしないようにお伝えしようと思います。(^^;)

 

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この物語の主人公は

 

頭の切れる小柄な男ジョージ

知的障がいを持った大男のレニー

 

幼馴染同士の二人は農場から農場を渡り歩いている

貧しい労働者コンビです。

 

レニーの良い所も悪い所も全て知り抜いているジョージは、兄のように、父親のように、常に彼をかばい、守ってやり

 

一方、レニーはジョージに絶対的な信頼を寄せていて、彼の言いつけに背くようなことはありません。

 

二人の心は強い絆で結ばれています。

 

 

レニーは体が人一倍大きく

並外れた怪力を持っています。

そのため、働き手としては優れている面もあるのですが

 

知的障がいのため、力の微妙な加減というものが出来ず

時に、困った事件を起こしてしまう事もあります。

 

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レニーの精神はほとんど

幼い子供同然です。

 

いつも

「小さい動物を可愛がりたい」

と思っているので

 

ハツカネズミなどを見つけると

すぐに掴まえ、可愛がるのですが

 

力加減というものができないために

いつも死なせてしまうのです。

 

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レニーの持つ怪力

本人にも制御できないがゆえに

非常に厄介なものなのですが

 

ジョージだけは彼の扱い方を熟知しているので

レニーも彼の側にいる時だけは安心していられるのです。

 

しかし

ひとたび世間へ出ると

 

事情を知らない一般の人々には

彼のための特別な配慮など期待できません ───

 

レニーと、そして

彼にぴったり寄り添うジョージにも

安住の地はありません。

 

以前いた農場でなにか厄介事を起こしてしまったらしい彼らが

新しい農場に向かう所から

この物語は始まっています。

 

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雑多な人のいる場所では

レニーが幸せに生きるのは難しい……

 

ジョージには

二人の将来のプランがありました。

 

出稼ぎで頑張ってお金を貯めて

どこかに自分たちの自由にできる小さな土地を買い

家を建てて、畑を作り、家畜を養って

そこで仲良く暮らす事。

 

それは二人にとっての夢であり

レニーはそこで、たくさんのウサギの世話をさせてもらえる事を、一番の楽しみにしています。

 

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誰からも余計な干渉をされない安住の地……

 

基本的に自給自足の生活で

 

世間とのやり取りは必要最低限で……

 

こういう生活を理想とする人は

彼らばかりではなく

現代人の中にも多いのではないでしようか。

 

私も時々、そんな暮らしを想う時があります。

 

決して贅沢な望みでは無いから

手を伸ばせばすぐにでも届きそうなんだけれども

その実、本当に実現可能かどうかはわからない夢の暮らし……

 

手が届きそうで、なかなか届かない

桃源郷のような場所 ───

 

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お金を稼ぐため、新天地の農場に到着すると、そこにもやはり、いろんな人々がいました。

 

思慮深い、労働者たちのリーダー格のスリムを始めとして

 

少し冷酷な所があるカールソン

掃除夫のキャンディ老人

勉強熱心な黒人の馬屋係クルックス

 

そして

意地の悪い農場主の息子カーリー

欲求不満を持て余している彼の浮気な若妻……

 

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世の中一般がそうであるように

やはり

良い人もいれば嫌な奴もいます。

 

二人を理解してくれる人がいる一方で

敵意しか向けてこない人間もいます。

 

誰もが「幸せになりたい」と願っているのに

色々な人が混在する人間社会では

色々な人が混在しているがゆえに

その実現は困難を極めます。

 

とりわけ

障がいがあったり、差別されている人々にとってはなおさらの事……。

 

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人間誰しも、いつ何時、弱者の立場に置かれるようになってもおかしくない ───

そう自戒しておくことは大切だと思います。

 

他人への思いやりを忘れないためにも……。

(思いやりが失われた場所は、まず間違いなく殺伐とした地獄と化しますから)

 

この物語を読みすすめるうちに

レニーやジョージや、キャンディ爺さんが愛おしくなり、身内のような心持ちになっていました。

 

それだけに読後感は

心に深く、えぐられるような痛みを感じてしまいました……。

 

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ハツカネズミと人間 (新潮文庫)

ハツカネズミと人間 (新潮文庫)

 

 

 

 

関連記事のご案内

 

 

 ロシアの文豪ゴーリキー作「どん底」……この作品は「ハツカネズミと人間」と相通ずる部分があるような気がします。

todawara.hatenablog.com

 

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

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台風スウェル

台風スウェル

 

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本の紹介「白川静博士の漢字の世界へ」~漢字の成り立ちって結構怖い!

今回は

福井県教育委員会が編集・発行し

平凡社から出ている

小学生向け漢字解説本

白川静博士の漢字の世界へ」

という本のご紹介をいたします。

 

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こちらの本は、福井県が誇る偉大なる漢文学

白川静博士(1910-2006)

古代漢字研究に基づき

 

小学校で習う漢字1006字

それぞれの成り立ちを解説した本になります。

 

福井県の小学校では

2008年からこの本を使った漢字教育が行われているそうで

(※現在発売されているのは2011年刊の改訂版)

 

福井の子供たちは漢字学習において

目覚ましい成果をあげているそうですよ。

 ─── と

そんな事が

この本の帯に書いてあったので

 

うちの子供が小学生の頃

旦那さんが子供の学習用にと買ってきたのですが

 

子供自身は全く見向きもせず放置したまま

小学校時代を終えてしまったので

 

もったいないなあ~と、

今、私がこれを読んで学習しているという次第です。

 

 白川静博士の古代漢字研究における大きな発見

「口」という字を含んでいる漢字の多くで

 

実は、それは顔の中にある、いわゆるの意味で使われているのではなく

 

人が神様に願い事をする際に祝詞を入れるために使った

「さい」

のことであった───という事です。

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たとえば

 

「合」という字は

「さい」の上に蓋をしている形。

「さい(器)」と蓋がぴったり合う所からこの漢字が出来て「合う」という意味になった。

 

「和」という字は

軍門に立てる標識の木を表わした

「禾」(か)と「さい」とを合わせた形

器を置いた軍門の前で休戦協定を交わし、平和な状態に戻す約束をする事から

「やわらぐ、やわらげる、なごむ、なごやか」の意味に使われるようになった。

 

─── という見解です。

(※ただし「口」の字形の多くを「さい」と断定してしまう事には、他の学者さんからの異論もあるようです)

 

 

それ以外にも白川博士は

 

「阝」(こざとへん)

神様が天と地上とを行ったり来たりする際に使った

「はしご」だと考えました。

 

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たとえば

「隊」という字は

 

神様がのぼり降りするはしごの前に、いけにえの獣を置いた形から

天から神が降り立つところを示すようになり

やがて「群れ」「組」の意味にも使われるようになった

 

───ということです。

 

 

このような感じで

1年生から6年生までに習う漢字の成り立ちが

「甲骨文字」「金文」「篆文」などの古代文字と共に説明されているのですが

 

漢字の成り立ちって結構

怖いものが

多いんですよ。(*_*;))

 

 

たとえば

2年生で習う

「方」の字の説明には

このように書いてあります。

 

「方」

横にわたした木に、死者をつるした形。

これをまじないとして他国との境界線に置き、悪霊を追い払った。

「遠くはなれた国、方位、かた、方法、てだて」の意味に使われる

 

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そして

 

3年生で習う「央」の字は、このように説明されています。

 

「央」

首にかせ(刑罰の道具)を加えられている人を正面から見た形。

手や足でなく、体の中央に近い首にかせを加える刑罰なので、「まんなか」の意味となる。

 

そ、そ、そんな〜……

と思いながら

 

同じく3年生で習う

「幸」の字を

この字はさぞかし幸せな由来なんだろうな ♪

な~んて期待しながら見て見ると

 

「幸」

手かせの形。

手かせとは、両手にはめる刑罰の道具である。

死刑などの重い刑罰に比べて、手かせをはめる刑罰は軽かったので、思いがけない幸せであったらしい。

それで、幸に「さいわい」の意味がある。

 

死刑よりはマシだから

「幸せ」だなんて……(T_T)

 

 

こんな感じの

ハード過ぎる由来

 

小学校1年生でもちゃんと読めるように、すべてふりがな付きで書いてあるのですが

 

その優しそうなイメージと

漢字のエグイ由来とのギャップがなんだかちょっと可笑しいです。

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このように

 

漢字の成り立ちには

かなりエグイ由来の物が多いということが

この本によって学習できます。

 

最後に

6年生で習う「勤」という字の由来をご紹介して

締めとさせていただきます。

 

「勤」

音を表わすのは菫(きん)。

 

菫は凶作の時、頭の上に「さい」(神への祈りの文である祝詞を入れる器の形)をのせた神に仕える人が、

両手を前で交差してしばられ、火で焼き殺される形。

 

ききんの時、神に仕える人は、雨ごいをしても雨を降らせることができなかったら、こうして焼き殺された。

 

力は農具のすきの形。

農耕につとめてききんをのがれようと努力することを勤といい、「つとめる、つとまる、いそしむ」の意味に使う。

 

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ああ、恐ろしや。

 

もしウッカリ古代中国に転生したとしても

神に仕える人にだけは絶対になりたくはないですね。(◎_◎;))

 

 

白川静博士の漢字の世界へ

白川静博士の漢字の世界へ

 

 

 

 

関連記事のご案内

 

 

「 虞れ(おそれ)」「魘われる(おそわれる)」について。

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「乎」について。

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大阪の「サカ」について。 

todawara.hatenablog.com

 

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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台風スウェル

台風スウェル

 

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ご提案・童謡「うれしいひなまつり」の歌詞にある問題個所は、2文字変えれば正しい意味になるのでは?

草木が芽吹き始め、桃の節句が近づいてまいりますと、色々な所で

「♬ あかりをつけましょぼんぼりに」

という歌が聴かれるようになります。

 

これは

作詞 サトウハチロー(1903-1973)

作曲 河村光陽(1897-1946)

により作られ、

昭和11(1936)年に発表された

「うれしいひなまつり」

という童謡です。

 

80年近くもの昔から愛され続けている名曲なので

その影響力は大変に大きなものがあり

 

そのため

 

歌詞の二番にある

 

お内裏様とお雛様

二人並んで すまし顔

 

ここのところを

 

この方がお内裏様  ↓ 

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 そして

この方がお雛様 ↓

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 でもって

 

二人並んですまし顔 

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そのように思い込んでしまっている人

実のところ

大変多いのではないでしょうか。

 

ところがそれは

大きな間違い

 

内裏というのは

天皇陛下のお住まいになる皇居とか御所のことなので ↓

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お内裏様というのは

男雛&女雛のペア

(天皇&皇后ご夫妻を模したお人形)

のことなのです。

 

え、それじゃあ

「お雛様」はどれなの?

という事になりますと

 

=鳥の雛の様に小さい人形

という意味なので

 

お雛様

このお人形たち

全員です。 ↓

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この歌の三番

 

すこし白酒めされたか

赤いお顔の右大臣

 

というフレーズが出て来るのですが

 

実は、ときたま赤い顔をしている事がある

こちらのご老人は ↓

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向かって右に飾られているので

左大臣 です。

 

ちなみに

右大臣

若いイケメンです。↓

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彼らは通称として

右大臣&左大臣ですとか

随身(ずいじん)

などと呼ばれている事が多いのですが

 

実の所

こちらの方々は

大臣という程、偉い人ではなく

 

かと言って

隋人よりは遥かに上の身分でありまして

 

「ひな祭り文化普及協会」さんのホームページによりますと

 

正しい身分は

左近衛中将(さこんのちゅうじょう)

   &

近衛少将(うこんのしょうしょう)

なんだそうです。

 

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童謡「うれしいひなまつり」

 

昭和10(1935)年

サトウハチローが愛娘にひな人形を買ってあげた際に作った詞に

河村光陽が曲を付け

 

当時11歳だった河村順子(河村の長女)の歌唱で

昭和11(1936)年2月20日にレコード発売されました。

 

大ヒットしてしまった後に歌詞の間違い(「お内裏様とお雛様」とか「赤いお顔の右大臣」)に気が付いたものの

 

その時にはもう

どうにも直しようがなかったそうです。

 

そのため

サトウハチローはその事を気に病んでしまい

晩年までずっと

この曲を嫌っていたんだそうです……。(-_-;)

 

なんでも

 

佐藤家ではこの曲はタブー扱い

話題にすることも出来なかったとか……。

 

さらには

「曲の権利を買い取って捨ててしまいたい」

とまで言っていたらしいです……。

 

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娘さんに雛人形を買ってあげたときの

優しい気持ちがこめられている詞なのに

 

そんな些細な間違いで

作詞家にとっての黒歴史になってしまったなんて

 

なんだか

気の毒過ぎる

気がします。(T_T)

 

(三人官女の歌詞の部分には、若くして亡くなったお姉さんのイメージも重ねられているそうですよ……)

 

時代を超えて愛され続けている名曲であることには間違いありませんし

歌詞だって、とっても素敵です。

 

しかしながら

 

この曲が流れるたびに

毎度毎度、間違いをほじくり返されるというのも気の毒な話ですし

 

間違いを勘違いしたまま覚えてしまう人が今後増え続ける

っていうのもちょっとどうかな~って感じなので

 

ここはもう、いっそのこと

 

「お内裏様お雛様」

     を

「お内裏様お雛様」

 

「赤いお顔の大臣」

     を

「赤いお顔の大臣」

 

変えて歌ったら

良いんじゃないかな~?

 

なんて思うんですけど

どうでしょうねぇ???

 

右大臣左大臣はホントは違うけど

通称でそう呼ばれてるから

それはもう、それでOKってことでいいんじゃないかと個人的には思うんですが

 

厳密に言えば

「♬赤いお顔の中将さん

ですかね……。(^^;)

 

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童謡「ドロップスの歌」とドロップについて

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 童謡「飴チョコさん」と飴チョコについて

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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台風スウェル

台風スウェル

 

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これからの時代、町内会や子供会やPTAの仕事は、ある程度外注してしまった方が良いのではないでしょうか。

「町内会」「PTA」「子供会」

という言葉で検索を掛けると

下の方にズラ〜〜ッと 

「入らない」「廃止」「いらない」「うんざり」「意味ない」

といったネガティブワード付きのものが表示されます───

 

一体どれだけ多くの人が

この存在に心を悩ませているのか!?

 

その一端が垣間見れる現象だと思います。

 

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「町内会」「PTA」「子供会」

これらの組織が全盛だった昭和の時代

 

主戦力となっていたのは

元気いっぱいの専業主婦たちでした。

 

会社は終身雇用制が当たり前の時代だったので

お父さんが働いて一家の家計を担い

お母さんは専業主婦で後方支援

 

そんな家庭がスタンダードであったからこそ

奥さんたちは、地域や学校のあれやこれやに、比較的無理なく関わる事ができたんだと思います。

 

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しかし

 

バブル崩壊就職氷河期

という

経済的難局に見舞われた末に

 

終身雇用の制度は崩れ去り

正規雇用ばかりが増えて

給与水準はだだ下がり。(それなのに物価や税金はしっかり上昇)

 

現役世代の生活には

かつてのような余裕

もうありません。

 

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夫婦そろって働いて

なんとかやっていける

という家庭がほとんどであり

 

さらには

結婚年齢も年々あがっていますから

育児をしながら

親の介護をしている人だって多いのです。

 

そんな状況ですから

子育てをしている世代の人は

 

地域活動学校活動に関わる余力なんて

無いよ!

 

そう思う人が大多数なんじゃないかと思います。

 

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しかしながら

「役員やりなさいよ」

「ほかのみんなだって我慢してやったんだからね」

という圧力非常に強烈なものがありますから

 

余力のない中、どうにかこうにか時間をやりくりして役員を引き受けている、という人がほとんどなんですよね……。

 

PTAとか子供会というのは

その家の子供の人数分、役を引き受けなければならない

という決まりになっている所が多いですから

 

お子さんの多いご家庭は

ほぼ毎年PTAか子供会(もしくはその両方)の役員を担わなくてはならなくて

 

その心身にかかる負担たるや

大変なものなのではないでしょうか。

 

シングルマザーやシングルファザーでも

例外なくやらされる所も多いですし(非情)

 

その上、町内会の役員まで重なったりすると

ほとんど

地獄の大変さだよ!

と言いたくなる所でしょう。

 

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回数の多過ぎる定例会議とか

ベルマーク集めとか

交通安全キャンペーンのお手伝いとか……

 

有給や半休を取ってまで

手のかかる乳幼児を一緒に連れてまで

目の離せない病人を家に一人で置いてまで

 

そうまでして

やらなきゃならない程の

事なんですか!?

って思っちゃいますよね。

 

そしてまた町内会。

こちらも問題がてんこ盛りですよね。

 

地域の住民が高齢化して

持病を抱えている人だって多いのに

 

80歳、90歳を過ぎても

役員を辞退できないなんて

あまりにも過酷なのではないでしょうか。

 

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地域の伝統行事を守り伝えていくのは大切な事ではありますが

 

そのために

真夏の炎天下、草むしりをやらせたり、交通整理をやらせたりするのは

過労で疲れた現役世代にとっても、ご老人にとっても

 負担危険が多すぎます。

 

共同体の中での人との繋がりって

お互いにあまり深くは干渉し合わず

ゆる~く繋がっている

っていう位が

一番心地よい状態なんじゃないかと思います。

 

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ですから

町内会を完全に廃止して、住民同士の繋がりを無くしちゃえ~

なんて事には賛成できませんけど

 

役員のなり手がいなくて

押し付け合いみたいになっている現状の有様では

 

「私は大変だったけど引き受けたのに、あの人は引き受けないなんてズルい」

とか

「あの人は町内会行事を休んでばかりいる」

なんて感情のわだかまりが生まれてしまい

 

そんな中で濃密に関わり合うのは

むしろ

人間関係的にはマイナスになる事の方が多いような気がします。

 

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 2020年には

 コロナ禍のためにPTA、子供会、町内会の活動も大幅に制限されましたが

 

それによって、本当に最低限必要な作業というものが見えて来た部分もあるかと思います。

 

そういったもののうち

外注できるようなものは外注してしまう!

というのも一つの手なのでは?

と、私はご提案したいです。

 

自治会 運営代行」検索してみると

まるごと引き受けてくれるような業者は、今の所まだ無いようですが

(※2021年2月現在)

個別の業務を引き受けてくれる業者なら色々とあるみたいですよ。

(お祭りをサポートしてくれる会社なんてのもありました)

 

お祭りにしてもイベントにしても

 

「忙しいのに、なんでこんな事やらなきゃならないんだ……」

「体がキツイのに無理やりやらされてしんどい……」

などと不平不満葛藤を抱えさせながら、無理やり住民にやらせるよりも

 

大変な所は業者にやってもらって

住民は楽しく参加するだけ

にした方が

よっぽど地元への愛着も生まれて来るんじゃないでしょうか。

 

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関連記事のご案内

 

「去年は楽だったんだから次も役員やりなさいよ」なんて言っちゃダメ。

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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台風スウェル

台風スウェル

 

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菊池寛「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」の感想~文豪と呼ばれる人の作品はやっぱりズバ抜けています。

本屋さんだけではなく、いまやネット上の世界でも

たくさんの小説に出会える時代となりましたが

 

小説の良し悪しの判断って、

正直ちょっと良くわからない所ありますよね。

 

さすがに

てにをはが滅茶苦茶だとか、誤字や言葉の間違いが多すぎる、なんてレベルだと

「こりゃヒドイ」

ってわかりますけど

 

ある程度、体裁の整った作品になってくるともう

「好みの問題じゃない?」という感じで、

 

それが果たして、作品として何点ぐらいの物なのか

客観的かつ絶対的な判断なんて付けようがありません。

 

たとえ自分にとってはピンと来ない作品であっても

作者や、それを支持する人々が

「これはこういうものなんです。これで良いんです!」

と言うのなら

「そうなんですか」というより他はありません。

 

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それでは一体

どんな小説が「良いもの」なのか???

 

判断基準が皆目わからなくなってしまいそうになる、そんな時───

 

そんな時にはひとつ

過去の文豪の作品を読んでみる事をお勧めします。

 

太宰治にしても

芥川龍之介にしても

谷崎潤一郎にしても

 

一読すればすぐに

恐ろしいほど巧い

ってことが良くわかりますから。

 

芸術性と娯楽性───どちらをとるか!?

なんて事がよく言われますけど

 

この辺の人たちの作品はたいがい

芸術性を満たしながらも

しっかり面白く読ませてくれるように仕上がっています。

 

作品の着想、物語の展開、言葉の選び方、表現方法

すべてが磨き抜かれた超一級。

これぞまさに

文豪の文豪たるゆえん

なのであります。

 

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もちろん

私が尊敬する吉川英治も然りです。

 

大衆小説(エンタメ)としての面白さはバッチリ押さえながら

その文章は詩的なセンスに溢れ、芸術の香気を放っています。

 

文豪と言われるほどの作家の

名作と言われるほどの作品は

 

それが純文学であろうとエンタメだろうと

 

ほとんどが芸術性と娯楽性を兼ね備えていて

読めばしっかり面白いものなんです。

 

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───と

前置きが長くなってしまいましたが

 

なぜこのような事を述べているのかと申しますと

 

今回ご紹介する菊池寛

藤十郎の恋・恩讐の彼方に

という作品集。

 

これを読みまして、私自身が

文豪の凄さ

というものを

改めて思い知らされたからなんです。

 

菊池寛

スゴイわ!!!!

(T∀T)ノ

 

藤十郎の恋・恩讐の彼方に (新潮文庫)

藤十郎の恋・恩讐の彼方に (新潮文庫)

  • 作者:寛, 菊池
  • 発売日: 1970/03/27
  • メディア: 文庫
 

 

こちらの本は

菊池寛自身が自分の初期(31歳〜33歳頃)に書いた自信作のうちから

短編時代小説10編ほどセレクトしたもので

 

初版は忠直卿行状記のタイトルで

昭和23年3月に出版されました。

 

収録されているのは

「恩を返す話」(大正6年発表)

内容:恩返しがしたい恩返しがしたいと強く願っていると、むしろ相手に不幸が起こる事を待ち望んでいるのと同じような心境になってくる……という話

 

忠直卿行状記(大正7年発表)

内容:周囲にチヤホヤされ過ぎて何でも気を使ってもらえるような立場にいると、自分の本当の実力や周囲の人の本当の気持ちがわからなくなってきて、むしろ辛過ぎる、という話

 

恩讐の彼方に(大正8年発表)

内容:どんなに悪い人間でも、時間の経過とともに善人になる事がある。殺してやりたいほど憎い敵と再会した時、彼が以前の過ちを悔いた上でものすごく良い人になっていたらどうする!?という話

 

などの他

 

藤十郎の恋(大正8年)

「ある恋の話」(大正8年)

「極楽」(大正9年)

「形」(大正9年)

蘭学事始(大正10年)

「入れ札」(大正10年)

俊寛(大正10年)

以上の10編です。

 

「形」は、中学校の教科書にも採用されている有名な話ですね。

内容:スゴイ勇士として敵に恐れられているAさんと実力ソコソコのBさん。BさんがAさんの恰好をしてみたら戦場での敵の反応はどうなるのでしょう?そして、無名の戦士の恰好をして戦に出たAさんの運命やいかに……?

 

 

 菊池寛(1888-1948)といえば

 

大正12(1923)年に雑誌「文藝春秋」を発行して

昭和元(1926)年文藝春秋を興し

昭和18(1943)年には映画会社大映初代社長になったりしている

実業家。

 

そして

現代も続いている一番有名な文学賞

芥川賞直木賞を設立した

偉い人。

 

そんなイメージが強いかもしれませんが

この本を読むと

 

文学者としての才能

やっぱり

すごかった!

という事が良くわかります。

 

ここに収められたラインナップをみてみると

ふと感じたある思いをヒントにして、それを深く掘り下げて物語に仕立てて行く

といった形のものが多い印象です。

 

たとえば

忠直卿行状記などは

 

誰からもチヤホヤされている殿様が、自慢の武芸で家臣と試合をし

勝って良い気分になっていた所が

実は、家臣たちが皆、手加減していたということに気付いてしまい

それからというもの

自分の本当の実力だとか、相手の本当の気持ちだとか、全ての物がわからなくなっていって

疑心暗鬼にとらわれた挙句に、次第に狂気を帯びてしまう……。

という話なのですが

 

この着眼点といい、話の組み立て方といい

うまいですよねぇ~。

 

こういうのって、ある程度の地位や人気を築き上げている人には、いかにもありえそうな問題だと思います。

 

偉い人、お金持ち、人気者

なりたーい!

って誰もが思いますけれど

 

こんな話を読んでしまうと

 

偉い人、お金持ち、人気者になる事

必ずしも幸せってわけじゃないんだな~……

と考えさせられてしまいます。

 

時代劇に舞台を借りてはいますが

こういう、いつでもどこでもあり得るような

普遍的なテーマである所がいいですよね。

 

そしてまた

この短編集の物語の順番なんですが

 

これがまるで音楽のアルバムみたいに

絶妙な順番で並んでいるんですよ。

 

特に

大トリに俊寛を持ってくるあたりが

心ニクい♥と思いました。

 

このスッキリ爽快な読後感

まるで年末に聴く

第九のような晴れやかさ!

 

内容はかいつまんで言うと、以下のようになります。

 

驕る平家を打倒せんとの企てが失敗に終り、仲間二名と共に島流しの憂き目に遭っている俊寛 ───

 

 都が恋しい、都に帰りたいとため息ばかりつきながら島暮らしを送っていた彼らの元に、いよいよ都から迎えの使者が、許し状を携えてやってきましたが

許されたのは彼以外の二人だけ。

 

船は彼をあざ笑うように、無情にも島を去って行ってしまいました。

 

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絶望のどん底

もういっそ死んでしまおうとさえ思った俊寛でしたが 

生と死のギリギリの縁で

……自分がおかれているこの環境(南の島)って、そんなに悪くないんじゃない?

という事に気が付くのです。

 

絶望の底から価値観を一変させた俊寛

それから自給自足生活の楽しさに目覚め始め

 

みるみるうちに狩りの得意な

ワイルドなイケメンに大変身していきます。

 

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そんなイケメンは現地の女子だって放ってはおきません。


権力や名誉や富貴などに価値を置く、都人たちからしてみれば

俊寛は完全にドロップアウトした気の毒な人なのですが

本人はそんな事にはもう興味無しで、南の島で幸福に暮らしているという───

 

とても勇気づけられる名作だと思います。

こういう話大好きです!

 

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吉川英治菊池寛と一目置き合う、良き友人同士であったため

彼の随筆中には、菊池寛の話がちょくちょく出て来ます。

 

吉川英治曰く

「菊池氏の人格は

愛すべくして学ぶべからず」

 

菊池さんには人間としていい所がたくさんあった───

人間好きで世話好き。

聡明良識な大常識家。

だが、その一方で

ケタ違いな非常識さも持ち合わせている。

天衣無縫で、とてもスケールの大きな人。

 

吉川英治は随筆「折々の記」の中で菊池寛の人柄についてそのように評し

また、次のようにも語っています。


文学者としても人間としても「立派な大人」だと思った人は、明治以降二人しかいない。一人は幸田露伴翁、もう一人は菊池さん

 

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この本の巻末にある解説は、吉川英治が書いている体になっていますが

実は吉川の名を借りて

菊池寛自身が書いています。

 

戦後間もない昭和22年

菊池寛文藝春秋大映の社長として侵略戦争に協力したと言われ

GHQから公職追放されてしまいました。

 

なんで!?

僕はずっと

昔から一貫して

リベラリスト

ヒューマニストでしたが!?

 

解説文からは、彼のそんな戸惑いと憤懣やるかたなさが伝わってくるように思えます。

彼は訴えています。

「この作品群を読んでもらえば、ぼくがどういう人間だったかわかるでしょう!?」

と……。 

 

終戦後、菊池寛吉川英治に向かい

何度も次のようにぼやいていたそうです。

 

「 自分はいつも中道をあるいているんだ。

だから自然、時勢が極右すると自分の位置が左視され、時勢が左傾し出すと、こんどは急に右視された。これでは中庸も何もあったものじゃない。

正しいリベラリストの節操を保つことは日本では苦行にひとしい」

 

吉川英治「折々の記」から

菊池寛氏と私」

 

まるで右翼や封建主義信奉者だったかのように、一方的に決めつけられ、

いっぺんに気力が衰えてしまった菊池寛

この本が出た昭和23年3月

失意の中、59歳の若さで急死してしまいました……。 

 

 なんとも傷ましい話ですが

 

人の心のちょっとした機微に焦点を当てて、ああいう物語を作り出すことが出来る菊池寛という人は

 

本人自身、そうとう繊細な心を持った

優しい人だったんだろうな……

 

そんな印象を

私は受けています。

 

 

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関連記事のご案内

 

 吉川英治の名作「宮本武蔵」誕生には直木三十五菊池寛が関わっていた!

todawara.hatenablog.com

 

 

 

 

こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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台風スウェル

台風スウェル

 

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神奈川県民だけど知りませんでした(+_+)「由比ガ浜」と「三崎」の発音アクセントは「頭」を高くするのが地元的には正しいそうです。

私は車に乗っているときに、よくFM横浜を聴いているのですが

 

ナビゲーターさんやアナウンサーが鎌倉の由比ガ浜のことを話す時に、

そのアクセントを

いがはま(低低低低)」

と言うのに違和感を持ち

 

「え?そこは、

いがはま(低高高低低)

じゃないの?」

と、長い事訝しく思っていました。

(ぐやひめにがしまと同じアクセントなんじゃないかと……)

 

ところが

調べて見ました所

 

地元鎌倉では昔から

いがはま(低低低低)」

というアクセントで言うのが正しいんだそうです。

(ンブランとかンタゴンと同じアクセント)

 

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先日江ノ電に乗った時、車内アナウンスでは

「ゆいがはま(低高高低低)」

と言っていたのですが

 

これは単に、車掌さんが全国の平均的アクセントに合わせてくれている、もしくは鎌倉出身じゃない、というだけで

 

正しくは(地元ッ子は)

いがはま(低低低低))」

なんだそうですよ。

 

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へー!

知らんかったなあ!

 

なんて思いながら

さらにネットを見てみたら

 

なんと三浦市にある

「三崎」のアクセントも

 

地元では

さき(低低)」が正しいんだそうです。

 

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「みさき」って言うと

つい「岬(みさき)と同じ尻上がりのアクセントかと思ってしまいますが

 

地元の人が使う「三崎」のアクセントは

さき(低低)」なんだそうですよ。

(ンスとかニャンコと同じアクセント)

 

由比ガ浜にも三崎にも

何度となく行った事がありますが

今まで全く知りませんでした。

 

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由比ガ浜」のアクセントは「モンブラン」と同じ

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「三崎」のアクセントは「にゃんこ」と同じ

 

こういう地元ならでは個性って

なんだか面白いですよね。

 

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鎌倉の美味「しらす丼」(イメージ)

 

世界が狭くなってグローバル化すると共に

日本全国津々浦々に

均質化の波も押し寄せて来ていますけど

 

そんな波には流される事無く

この先もずっと存在し続けてほしい

その土地土地の

素敵な個性だな~と思います。

 

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三崎の美味「まぐろ丼」(イメージ)


 

 

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 三浦の秋の味覚「松輪のサバ」

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 おすすめ逗子散歩

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台風スウェル

台風スウェル

 

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「いまだ解けない日本史の中の怖い話」のレビュー&「綿吹き病」のこと。

先日

「いまだ解けない日本史の中の怖い話」

(三浦竜著 青春出版社刊)

という本を読みました。

 

この本では

奈良時代怨霊話から始まり

江戸、明治にいたるまで

 

日本の歴史の暗黒面を怪しく彩る

ドロドロとした怨念話だとか

呪詛、外法などの超能力話だとかがたくさん紹介されていて

 

非常に面白かったです!

 

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その中に

入れ墨入りのお奉行様・根岸鎮衛(やすもり)(1737-1815)が書いた

説話集耳嚢(みみぶくろ)出典の

不思議な病気のお話が紹介されていました。

 

それはどんな話かと言いますと───

 

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根岸鎮衛の先輩

江戸中期に勘定奉行大目付を歴任していた

安藤惟要(これとし)(1714-1792)という人がいるのですが

これは、彼が壮年の頃のお話になります。

 

ーーーーー

ある日彼が屋敷の中で使用人の顔を見た所、

とても人の顔とは思えない

恐ろしい顔をしている事に気が付きました。

 

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「旦那様、お膳の用意が出来て御座います」


彼はビックリしてしまい、他の使用人の顔を見て見ると、

これまたどうした事か、いずれも皆、

この世のものとは思えないような顔をしておりました。

 

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「どうなさいました?旦那様、あっしの顔に何か変な物でも……?」

 

彼は慌てて、お勝手にいる妻の元に走ってみたのですが

なんたることか!

妻までもが恐ろしい顔に変貌してしまっているではありませんか。

 

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「どうなされました……?お顔色がすぐれぬご様子ですが」


非常な混乱に襲われながらも

そこは冷静沈着な安藤惟要。

 

「これはきっと、皆がおかしいのではなく、私の方がどうかしてしまったのであろう。そうに違いない」

 

彼はそう判断し、すぐに横になる事にしました。

 

横になって心を鎮めているうち

やがて

耳の中がズキズキと痛みはじめました。

痛みはずんずんと激しくなる一方……。

 

彼は医者を呼びました。

 

「これはまさしく、痰火(たんか)の烈しいものに違いありませんな」

診察後

医者はそう言うと彼に薬を飲ませました。

 

痰火というのは

体内の火気によって痰が激しく出る病気です。

 

薬を飲んでしばらくすると

 

下を向けていた左の耳から

黒い、煤の塊のような物が大量に出てきました。

 

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耳の奥からゴッソリ……。


夜になり、今度は右の耳を下にして寝ると

またしても黒いものが出てきました。

 

そうこうするうち

やがて

 

耳の痛みは無くなり、

妻や使用人たちの顔も

元通りに見えてくるようになりました。

 

それからというもの

 

元々色覚に異常を持っていた

彼の視界は一変

 

全てが正常な色で見えるようになった 

───という事です。

 

 

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ーーーーーー

 安藤惟要といえば

 

埼玉県の大宮市には

安永4(1775)年 

大宮宿の85軒もが焼き尽くされたという大火の際

 

当時

勘定奉行道中奉行を兼務していた安藤惟要

困っている被災者たちに幕府の御用米御用金を与え助けてくれた!

という逸話が伝えられています。

 

まさに

神様、仏様、

安藤様!

というくらいに

素晴らしい方なのですねぇ。

(T∀T)

 

しかし!

 

それは幕府の許可を得ず

独断でやってしまった事だったために

彼は責任を問われ

切腹することに!───

 

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彼の死を悼む大宮の人々は、そのを後世に伝えるため

墓碑を建てて祀り

大宮宿の南の入り口にあった石橋を

安藤橋と呼ぶようになりました……

 

このように

実に感動的かつ

ドラマチックなお話ではあるのですが …………

 

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「ちょっと待ったーーーッ!!!!」

 

実は安藤さん

切腹なんか

しておりません。

(;^∀^)ノ

 

大宮が大火に見舞われた

安永4(1775)年といえば

安藤さんが61歳の頃の話になるのですが

 

安藤惟要さんは

天明8(1788)年 

74歳になるまで

立派に奉行職をつとめあげ

 

寛政4(1792)年

78歳でお亡くなりになっています。

 

だって

 

老齢になってから後輩の根岸鎮衛さんに

先ほどの奇病の話を

「ワシの若い頃の話なんじゃがの〜」

なんて

話してきかせているんですからねえ。(^^;)

 

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安藤惟要の奇病について

著者の三浦竜さんは、このようにコメントをされていました。

 

 現代人でも、心の病や薬物によって「幻覚」を見ることがある。

惟要の場合は何が原因なのか定かではないが、伝えられるような幻覚を見たことはまちがいないと思われる。

 

そして以下のように続けておられました。

 

「黒い煤のかたまりのようなもの」の存在も否定できない。

現代でも、体から結石などの異物が出てくるし、

綿のような繊維質のものが出てくる「綿吹き病」という症例も、学会に報告されている。 

 

 三浦さんのコメントはこれで終わっているのですが、

これを読んだ私は

 

 綿吹き病!?

なんだそれは!

 

と、その部分が俄然

気になって気になって

しょ〜うがなくなってしまいました。

 

そこで

「綿吹き病」について調べてみることにしました。

 

それはかつて岡山県で発見された

大変不思議な病気でした……

 

昭和32年2月頃から

とある農家の女性(当時42歳)が原因不明の高熱を発し、皮下に小さなが出来るという症状に悩まされ始めました。

 

体のあちこちに次々に出来る瘤はを持ち

それが破けた所から

なんと

綿毛のような繊維

ゾクゾク生み出され続けたというのです!!!!

 

一つの病巣が1年~1年半くらいの間、綿毛を排出し続け

その勢いが無くなるにつれ、潰瘍は次第に治癒していくのですが

 

病巣は次から次へとあちこち(数十か所)に出来るため

この患者さんは、治癒するまでに

10年余りもかかってしまったそうです。

 

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この奇妙な病気は

主治医をしていた田尻保博士によって

昭和35年5月岡山外科学会で発表されています。

 

その後、これに類似した症例は

日本国内で3例、ドイツでも1例発表されているそうです。

 

綿吹き病は発見した博士の名前をとって

田尻病とも言われています。

 

患者さんの体内から生み出されたこの綿は

植物学者による鑑定の結果

間違いなく植物繊維であり、木綿の繊維と区別しがたいものであったそうです。

 

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この最初の患者さんは

皮膚ばかりか尿にまで

同じような綿状の物質が出ていました。

 

10年以上にもわたり

座布団が作れてしまいそうなほど、

大量の綿を吹いていたため

 

綿の吹く箇所が減ってきた時には

もしかしたら死んでしまうのでは……?

と心配されていたそうですが

 

治癒した後には

元気に暮らしていらっしゃったそうですよ。

(良かった~!)

 

それにしても人間の体って

本当に不思議なものですねえ。

 

まだまだ未知な事がいっぱいあって

まさに小宇宙って感じですね……。

 

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 関連記事のご案内

 

 

根岸鎮衛耳嚢」から「お菊虫の話」

todawara.hatenablog.com

 



 

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台風スウェル

台風スウェル

 

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