昭和36年6月30日
小さな一艘のヨットが福井県小浜の港を出港し
東へと漕ぎだしていきました ───
そこに乗り込んでいるのは
高校時代の友人達で作った
「冒険クラブ」のメンバーである大学生たち。
それまで主に登山を中心として活動していた彼らは前年の秋
「何かでっかいワクワクするような冒険をやろう!」
と話し合い
その時に決まった目標が
そのころの日本ではまだ前人未踏であった
「ヨットによる日本一周の達成」
だったのです。
けれども
そう決めたのは良いけれど……
そもそもヨットなんてものを
どうやって手に入れたら良いのだろう?
お金はない。
企業にスポンサーになってもらうというのも気乗りがしない。
「そうだ!自分達で作れば良いんじゃない?」
メンバーの中心人物であった大浦君がそう提案すると ───
反応はさまざまだった。
あたまから反対するもの、「自作」という言葉に酔ってしまって、もうすっかり有頂天になっているものもいた。
結局、ヨットが手に入らなければ、ぼくたちで作るまでだ、と有頂天派の勝となった。
─── という事で
翌年の正月から
彼らは京都にある仲間の自宅の庭を借り、
設計や材料集めから、試行錯誤を繰り返しながら
本格的なヨットを手作りし始めたのです!
骨材はすべて檜材を使用した。
硬材は細工がやりにくいうえ、価格がぐんと高くなる。
軟材を使用すると、各自持ち寄りの家庭大工道具だけで細工することが出来る。
元々「山男」だった彼らは、海の事や船の事など
完全にど素人です。
けれども
母校の後輩や山岳部員たちにも檄を飛ばして応援を頼み
ヨット制作を見物しに来る人にも片っ端から手伝わせ
ヨットづくりを着々と進めていきました。
出航を見据え
途中からヨットを京都から
福井の小浜に移動させます。
そこで小浜の街の人々にあれこれ親切にしてもらいながら
ヨットはようやく完成しました!
船の名前を決めるにあたり
彼らはそれを
「ヤワイヤ号」と名付けました。
それは
作業している彼らの周りでチョロチョロしている小浜の子供たちに
「遊んでるんだったらこれ手伝ってよ」
となにかを頼むと
「嫌やわいや!」
と返って来る
その口調からつけられた名前でした。
この世に、一つ新しい単語が生まれたのである。
将来いつの日か、『広辞林』のヤ行の終わりの方にでるとしたら、
「ヤワイヤ号──名詞。日本一周の航海に成功した冒険クラブの自作艇の船名」
とだけ書いてあるだろう。
それ以上の意味も内容も持たないのである。
小浜の人たちの善意に深く感謝し
「どんなに困難な目に遭おうとも
ふたたび小浜に戻って来るぞ!」
と固い決意をして
ヨットは日本海へと乗り出していきました。
それからというもの
ある時には危機一髪の恐ろしい目に見舞われたり
まだある時には風が無く、全く船が進まなかったり
ヨットが壊れたり ───
そんなトラブルに見舞われながらも
乗組員たちはゆく先々の港で
現地の人々と心の交流をしながら
太平洋へと航海していきます。
船長を勤める大浦君と相棒の松岡君以外のメンバーは
停泊地ごとに頻繁に入れ替わります。
(彼らの仲間は全国各地の大学に散らばっていた)
夏の間は乗り込んでくるメンバーには事欠かなかったのですが(大学が夏休み中だから)
秋になった途端
入れ替え要員の仲間たちは
ぱたっと来なくなってしまいました……。
しまいには
何と松岡君までが東京に帰ってしまい……
大浦君が独りぼっちになってしまう事もありました。
(この時の大浦君は精神的にかなり辛そう……)
そんなこともあって
航海は11月に千葉の銚子についた所で
いったん打ち切られるのですが
翌年
「夏休みの期間を利用してガーっと乗り切ろう!」
と計画を立て
今度は北海道大学の河村君を船長にして
7月2日に銚子を出港。
その後、エンジントラブルや台風などに見舞われながらも
高知、九州と船を進め
9月8日
ついに小浜港に戻りつき
日本一周を達成したのです!
冒険談って、読んでいてワクワクしますよね。
こんなに凄い大変な事
自分には絶対に無理!!
そう思いながらも
ああ、いいなあ~
って憧れる所がある。
ヨットの上で
釣りあげた魚を片っ端から塩コショウして
バター焼きにして食べる ───
そんなワイルドな食事風景が
なんと楽しそうで美味しそうな事か!
のんびりと甲板に寝ころんで、星を見ながら、無心に海の音を聞くのはいいものだった。
ぼくは、山歩きのときもいつもそうであったように、星の天井をこよなく愛する者の一人である。
ながい人生のうちでも、こうした心の充実をはかる時間を持つことは、どんなに金を積まれてもできるものではない。
自分の手で、自分の力でかちえたものでなければ、味わえない感慨である。
私が読んだ
「ヤワイヤ号の冒険」は
「ノンフィクション全集12」に
「翼よ、あれがパリの灯だ」
バードの「孤独」
などと一緒に収載されていた物なのですが
どういうわけか
大浦範行さんがお書きになった冒険の前半部分の
小浜~銚子の所しか収載されていなかったので
河村章人さんが書かれた冒険の後半部分の
ゴールするところまで読みたいなあ~
と思いながら
今、本を探しているところです。
また、この話は今
絵本にもなっているようですね。
空想の物語ではなく
本当に成し遂げられた冒険だけに
ワクワクドキドキ感もひとしおですよね!!
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