私は今、作曲家マーラーの妻
アルマ・マーラーが書いた
「グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想」
という本を読んでいます。
アルマ・マーラー(1979-1964)
と言えば
すっごい美人で
めちゃめちゃ才女で
少女時代から才能ある芸術家たちからモテまくり。
グスタフ・クリムトとも、なんか恋っぽくなっていたし
31歳で夫マーラーと死別した後には
建築家のヴァルター・グロピウスと恋仲でありつつも、画家のオスカー・ココシュカとも付き合ったりして
そのうち、振られたココシュカが
ちょっと変になってしまったり……
などという
ドラマチックな
エピソード満載
のお方です。
(ココシュカがおかしくなってしまった時のエピソードはコチラ↓)
音楽の巨匠マーラー
建築の巨匠グロピウス
文学者のフランツ・ヴェルフェルと
生涯で3度結婚した彼女が
1939年 60歳の時に最初の結婚を振り返って書いたのが本書です。
19歳も年上の、気難しくて面倒くさい大作曲家との愛と苦悩に満ちた結婚生活は
非常に読みごたえがあり、大変に面白いので、いずれこの本のレビューは別の記事でしっかり描きたいと思っているのですが
かなり分厚い回想録なので、本筋とはやや外れたような所にも、ちょいちょいその時代の面白エピソードが描かれておりまして
これを取り上げないのは、なんだか惜しいような気がしました。
ということで
今回はアルマの書いた
「グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想」から
その中に書かれている
ちょっとオカルトちっくなエピソード
をご紹介させていただきます。
まずは1907の年末か1908年の年頭あたりのこと。
マーラー夫妻(グスタフ47歳アルマ28歳)がニューヨークで
レオン・コーニング
(James Leonard Corning 1855-1923)
という脳外科医の屋敷を訪問した時のお話です。
脊椎麻酔の創始者として知られる彼は当時52、3歳。
すでに医学界の重鎮となっておりました。
無口で物静かでありながら、鋭い眼光。
百万長者だというのに、とんでもなくドケチだという世間の噂。
そんなコーニング博士とマーラー夫妻は
マーラーの公演中に心臓発作を起こして倒れたアルマを、近くにいたコーニング博士が介抱してくれたことから知り合いになっていたのでした。
食事に招かれ、案内されて入った博士の書斎は
まるで中世の錬金術師の部屋のようだったそうです。
天井からぶら下がった針金が、縦横に張りめぐらされていた。
上にあがる階段と下に降りる階段とがあり、下のほうには鉄製の絞首台その他の古道具がのぞいていた。
彼の先導で私たちは狭いドアをあけて鉄張りの地下室に入った。
ここで患者は液体空気を吸って感覚を麻痺させられる。
寝台があり、枕は人の頭の跡でへこんでおり、床には開いたままの本が置いてあった。
部屋はひじょうにせまくて私たちは立っているのが精一杯だった。
すべてこれ妖怪じみていた。
夫人は黒い喪服のようなものの裾をひきずって、しずしずとついてきた。
彼女の眼はうつろで顔はデス・マスクのようだった。
その後案内された音楽室にはピアノが3~4台置いてありました。
そこで、いきなり陽気になったコーニング博士はフルートを吹きながら歩き回りはじめたのですが
マーラー夫妻はドン引きしたままでした。
夕食は彼の義弟夫婦も同席し、
小さな四角い部屋で供された、とのこと。
小さな蝋燭から蝋がテーブルの上に落ちて来るのでたびたび吹き消さねばならず、おかげでお互いの顔もろくに見えなかった。
あやしげな電燈の光がかすかに薄明の中に点って見えた。
小さな皿には、これまた小さな得体の知れぬ食物がのっていた。
私たちのためにシャンペンが半分ほどあけられ、めいめい雀の涙ほどの配給があった。
めいめいの皿の横に、それぞれブロンズの小物が置いてありました。
マーラーには指揮台、アルマにはピアノ。
これには、アルマも少しほっこり気分にさせられたようです。
しかし、博士の夫人は一言も言葉を発しませんでした。
喋ろうとすると、博士が怖い顔をして睨みつけ、黙らせてしまうのです。
(なんでだよ~)
博士の義弟が、アルマに小声でささやきました。
「どうしてここへ来られました。あの人は病的にけちで、人を呼んだことはないんですがねえ。どうしたんだろう」
脊椎麻酔の創始者
相当変わった人ですね!
映画や小説に出て来る
そのもの、って感じじゃないですか?
とはいえ
コーニング博士は生身の人間ですので
恐怖度はまだ低いのですが
この後1909年の11月
マーラー夫妻は、再び訪れたニューヨークで
資産家のオットー・カーン夫妻、医師のヨーゼフ・フレンケル博士、イギリス人の某氏などと連れ立って
霊能力者
ユーサピア・パラディーノ
(Eusapia Palladino 1854-1918)
の心霊術
なんてものを見に行ってしまいます。
(結構、好奇心が強いんですね~)
場所はブロードウェイにある見るからに貧乏くさいビル。
エレベーターで屋根裏のような所に上がって行きます。
心霊術が行われるという大きな部屋の隣では、飲めや歌えの大騒ぎの最中でした。
向かいの部屋は空き部屋なのですが、最近まで誰かが住んでいたらしく、物が散乱しています。
その隣にある部屋は自動ピアノの代理店で、中からピアノの音が聞こえてくるのですが、鍵穴から覗いてみても人の姿は見えませんでした。
待っていたところで
ようやく
パラディ―ノ女史(55歳)登場。
農夫の首巻のような物を頭に巻き、赤く膨れた顔をして、酔っているようにも見える彼女は、挨拶もそこそこに薄暗い部屋に入って行きました。
部屋には一面、黒い壁紙が張ってあります。
この部屋に種も仕掛けもないことは、最前、彼女の二人の助手に見せてもらっていました。
彼女が坐る椅子の後ろには、黒いカーテンで仕切られた小部屋があるのですが、そこは特に念入りに見せてもらいました。
窓から見下ろす屋根の雪に、月光が反射しています。
疑わしいものは何一つありませんでした。
パラディ―ノが椅子に座ると
二人の助手と一人の少女が明かりを消しました。
残っているのは、助手席の前にある赤いランプだけ。
マーラー夫妻と友人達が、固唾を飲み、手を握り合いながら見守る中。
パラディ―ノが
いきなり痙攣をし始めました。
顔色は青ざめ、呼吸が早く、荒くなっていきます。
イギリス人とフレンケル医師が彼女の両側に座り、その手足を抑えにかかりました。
彼女の脈拍が恐ろしいほど早くなっていくのを、フレンケルが声を上げて数えています。
パラディーノが言いました。
「みんなでVa Bene(イタリア語で大丈夫の意味)という言葉を休まず唱えて!」
一同は言われるままに
「Va Bene、Va Bene、Va Bene、Va Bene……」
と繰り返し唱えます。
誰かがとめると、パラディ―ノは怒って言いました。
「続けなさい!」
やがてイギリス人が催眠状態に陥って唱えられなくなり、
残った人々もみな、徐々に精神状態がおかしくなってきました。
燐光を放つ物体が動き回り、私たちに触れにくる。
私は手をのばしてその一つをつかんでみたが、たしかに手ごたえがあるのに手の中には何もない。
パラディーノはマーラーに向かって言いました。
「後ろの小部屋を見なさい」
彼が立ってカーテンを開けると…………
そこにあった物はみな、燐光を放ちながら、踊るように動いていました。
マンドリンが空中を飛んできて、マーラーの額にコツン、とぶつかりました。
彼は慌ててカーテンを下ろします。
「彼は危ない……」
パラディーノは呟きました。彼女は彼を憐れむように言いました。
「私の足元に座りなさい」
テーブルが天井まで飛びあがる。
しかし、だれかが無関心な調子で一言しゃべると、またストンと下りて来る。
見えない手に操られているかのように、カーテンがテーブルの上を掃く。
マンドリンやらその他の軽い木製品がテーブルの上を動きまわる。
私たちはそのテーブルの端を、互いの指を重ね合わせてつかまえていた。
いけないとは言われていたが、私は風船のようにふくれているカーテンをつかまえてみた。
だがそれも手ごたえがあるようで何もなかった。
あれは一体、何だったのだろう?
あれは現実に起こった事だったのだろうか……?
参加者達は各々、考え込みながら
黙々と帰路についていきました。
一週間ほどして
マーラーはアルマにこう言いました。
「あれは別に本当に起きた事じゃないんだよ。みんな夢を見ていたのさ」
私はひどく驚いた。
というのは、それからの二、三日というもの、マーラーは記憶をたぐっては細かい点まで一つ一つ思い出すのに専念していたのが、今、突然にすべては夢だったというのだから。
パラディーノがマーラーの事を
「危ない」
と言ったのは、どういう意味だったんでしょうね……
それに関しては何も書かれてはいなかったのですが
マーラーが病に倒れ、50歳で亡くなってしまうのは
その翌々年の1911年5月のことです。
ユーサピア・パラディーノは
南イタリアうまれの霊能力者です。
彼女は、物質を自在に動かしたり、空中浮揚したり
そればかりか
死者とコミュニケーションをとったり、なんてことまで出来てしまったんだそうです。
時々、トリックを使ってしまう事があったらしく、それは彼女自身も認めていたようですが
その霊能力は本物だと
言われていたそうですよ。
関連記事のご案内
アルマが書いた「グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想」について
こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。