TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

自分を捨てた恋人の等身大の人形を作って連れ歩く!!オーストリア近代美術の巨匠オスカー・ココシュカの恋

今回は

グスタフ・クリムトエゴン・シーレと並んで

オーストリア近代美術を代表する画家

オスカー・ココシュカ(1886-1980)

について書かせていただきます。

 

この夏

私は国立新美術館で行われた

「ウィーン・モダン クリムト・シーレ 世紀末への道」

という展覧会を見に行ったのですが

 

そこで展示されていた

ウィーン工房製作による絵葉書を見て

 

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なにこれ可愛い!!

こういうの

大好きっ!!

 

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この作者、誰なんだろ?

ほうほう

オスカー・ココシュカっていうのか。

 

なんだか

名前まで可愛いじゃん!!

 

──── などと思った矢先

 

その展覧会で

同じ作者による

こんなポスターを見てしまい

 

 

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1912年 文学・音楽アカデミー同盟講演会ポスター


うわ~……

さっきの絵とは

随分と雰囲気が違うなぁ……。

 

──── と気になったので

 

彼の事を調べてみたら

 

ちょっとビックリしてしまうほど

強烈な彼の行跡が明らかになってしまったので

 

今回はその事について書いてみようかと思います。

 

 

オスカー・ココシュカ

1886年にウィーンで生まれました。

 

 1905年(19歳) ウィーン工芸学校入学

 

1907年(21歳) 

彼はウィーン工房に入り、ポストカードなどをつくり始めました。

 

あの可愛いらしい絵を描いていたのは

このあたりのごく若い頃だったんですね。

 

1908年(22歳) 

国際美術展クンストシャウに

リトグラフ連作「夢見る少年たち」を発表。

 

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「夢見る少年たち」絵柄は可愛いものの、これに添えられた彼の詩は苦悩に満ちたものでした。

 

彼はこの時

ポスターやタペストリーのための大規模デザインも発表していたのですが

それについて来場者や批評家たちの間には

物議が醸しだされていたようです。

 

1909年(22歳) 

この年のクンストシャウで

彼は自ら書いた戯曲

「殺人者、女たちの希望」

を上演するにあたり

ポスターを制作したのですが

 

そのポスターというのが

こちら!!!!

 

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これが人々に

多大なる衝撃を与えてしまいました。

 

非難殺到!!

 

彼はウィーン工芸学校を退学し

ウィーン工房を辞める事になってしまいました。

 

その後いったんウィーンを去り

ベルリンに行ったりしていたのですが

 

1911年(24歳) 

彼は再びウィーンに舞い戻り

どういうわけか

退学になったはずの古巣

ウィーン工芸学校で助手におさまったりしています。

 

そして

 

1912年(25歳)

運命の時来る!

 

ココシュカは、作曲家グスタフ・マーラーの美しき未亡人

アルマ・マーラー(当時32歳)肖像画を描いた事をきっかけに

 

彼女と激しい恋に落ちてしまったのでした。

 

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1913年(26歳) 

アルマと二人でイタリア旅行に行き

翌年、それを題材として

「風の花嫁」を描き上げます。

 

しかし

ココシュカにとって残酷な事に

 

アルマ・マーラーという人は

彼ほどには

この恋に一途ではなかったのです……。

 

第一次世界大戦が勃発し

若いココシュカが従軍の後

頭を怪我して帰還してきた時(1916年)

 

アルマは

ワルター・グロピウス(近代建築の巨匠にして教育機関バウハウス創立者&初代校長・実はアルマとはマーラーが生きていた時から恋愛関係)と結婚

子供まで生んでいたのです。

 

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彼女の裏切りにショックを受けたココシュカは

ここから

ちょっとおかしくなってしまいました。

 

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1918年(31歳) 

彼は女性人形作家ヘルミーネ・モース

等身大の

「アルマ人形」の制作を依頼します。

 

この人形は外見より触り心地を最も重視して作られました。(なんかイヤですね……)

 

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人形の出来栄えに関して

完璧に満足したわけではなかったものの

 

それ以来彼は

ドレスを着せたアルマ人形といつでも生活を共にし

外出の時にもそれを連れて歩いたのでした。

 

彼はこの人形をモチーフに

1919年「青い服の女」

1921年「画家と人形」

1922年イーゼルの前の画家」

という3点の油絵を制作しています。

 

こうして

自分を捨てた

アルマの似姿人形

異常な愛を注ぎながら暮らしていたココシュカだったのですが

 

1922年(35歳)

友人達とのパーティーの席上

突如

自ら人形の頭を切り落として

庭に投げ捨て!!

 

こうして

彼の異常な人形愛は

終了したのでした。

 

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いや~

 

あんなに可愛いポストカードを描いていた青年が

その後

こんな人生を送る事になろうとは。

 

全く意外ですよね……。

 

その後の彼は

 

ドイツのドレスデン美術大学の教授になり

ナチス政権下となってからはプラハに逃れ

それからロンドンに行き

 

第二次世界大戦後は

スイスで暮らしながら

後進の育成に努めたそうです。

 

そして

1960年73歳エラスムス賞を受賞。

 

1980年93歳という長寿で人生を全うしたのでした。

 

ちなみに

 

元カノの

アルマ・マーラーの方は

その後どうなったかと言いますと

 

1929年 

49歳のアルマはグロピウスと離婚してしまうのですが

その後すかさず

11歳年下の小説家兼劇作家

フランツ・ヴェルフェル再再婚します。

 

しかし

1945年 ヴェルフェルは55歳の若さで死亡。

 

残されたアルマは

ニューヨークのマンハッタン音楽サロンなどを主催して

華やかな社交界に身を置きながら

1964年に85歳で亡くなりました。

 

彼女は大変な美貌の持ち主であった上に

自らも音楽的、文学的な才能に恵まれた才女でした。

 

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お互いに老人になってから

アルマはココシュカから再会を望まれたのですが

 

「若い時の美しい思い出は

そのままの方が良いのよ」

 

そう言って断った

 

ということです。

 

 

 

 

関連記事のご案内

 

 

若き日のアルマと夫グスタフ・マーラーが経験した霊能体験!

todawara.hatenablog.com

 

 アルマ著「グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想」

todawara.hatenablog.com

 

 

 

こちらは私の小説です。よろしくお願いいたします。

 

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