TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

小林一茶の猫の俳句と松浦佐用姫の悲恋伝説

岩波文庫

「新訂 一茶俳句集」(丸山一彦校注)を読んでいたところ

可愛いらしい俳句を見つけましたので

今回はそれをご紹介しようと思います。

その句は文化11(1814)年

小林一茶52歳の時に詠まれたもので

彼の句日記

「七番日記(しちばんにっき)」

の中に記されております。

 

 

あまり鳴(ない)て 石になるなよ 猫の恋

 

江戸帰りの俳句の宗匠(師匠)として、故郷、信濃国柏原に落ち着いた彼は

この1814年4月

24歳も若い(28歳)を妻に迎えています。

 

そんなことなども思い合わせてみますと

 

なんとなく

心がホンワカと暖かくなる

優しさとゆとりが感じられるような句ですよね。

 

 

 

ところで皆さん

鳴いて石になるって

どういうコト?

──── って思いませんか?


実はこれ

「恋人を慕うあまりに石になってしまった」

という

昔から語り伝えられている

浦佐用姫(まつらさよひめ)の伝説にちなんでいるんです。

 

 

浦佐用姫というのは

6世紀ごろ(飛鳥時代)松浦の地(現在の佐賀県唐津市厳木町)にいた長者の娘

佐用姫(さよひめ)という美人さんです。

 

彼女は

朝廷の命を受け朝鮮に出征すべく当地を訪れていた

大伴狭手彦(おおとものさてひこ)という豪族の青年と

に落ちてしまいました。

 

しかし、彼は

海を渡って、遠い異国へ戦に行く身 ────

 

別れの日

 

佐用姫は当地にある

鏡山(標高283.56m)の頂から

肩から垂らしているショールのような領布(ひれ)を振り振り

海の彼方、遠くかすんで行く彼の軍船を

悲しみの涙に暮れながら見送ったのでした……。

 

(このため、鏡山には領巾振山…ひれふりやま…という別名があります)

 

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後年

 

この話には

次のような続きのエピソードが付け足されるようになります ────

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なおも別れを惜しむ佐用姫は

鏡山から一目散に駆け下りて、軍船を追いかけ

呼子港の沖合にある加部島(かべしま)まで渡って行きました。

 

そこで彼女は

ついに悲しみの余り

になってしまったのです……。

 

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浦佐用姫には

弟日姫子(おとひひめこ)という別名があって

次のような哀話も伝わっています。

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大伴狭手彦と別れた後

夜な夜な彼女(弟日姫子)の元を

狭手彦そっくりの男が訪ねて来るようになりました。

 

不審に思った彼女が

男の服の裾に麻糸を付け

彼が去っていったあとを辿って行くと………糸は峯のてっぺんにまで続いていました。

 

さらに糸を辿って行くと、そこには沼があり、糸は蛇につながっておりました。

 

────なんと

彼の正体は

だったのです!

 

しばらくして

 

心配した家の者が探しに来てみた所

その沼で

弟日姫子の亡骸が

発見されたそうです……。

 


いずれの話にしても

浦佐用姫(弟日姫子)

可哀想な悲劇のヒロインですね……。

 

女性が愛する人を一途に想うあまり、石になってしまった────というお話は中国にもありまして

このような石は望夫石(ぼうふせき)と呼ばれています。

 

あまり鳴(ない)て 石になるなよ 猫の恋

 

 

「にゃ~~ぉ、にゃ~~ぉ」

かましく鳴き立てる猫の恋

一茶さんは、この伝説を重ね合わせているわけですが

 

「石になるなよ」「恋」

などの、ほんのわずかな数文字で

これだけの背景を表してしまえるところが

俳句のスゴイ所ですよね!

 

最後に

同じく「七番日記」から

もう一つ、ニャンコの可愛い俳句を見つけましたのでご紹介いたします。

 

 

陽炎(かげろふ)に くいくい 猫の鼾(いびき)かな

 

 

「くいくい」っていう鼻息が、なんとも可愛らしいですよね。

(※湯本希杖が伝えた本では「すいすい」になっています)

 

 

 

 

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。