海の家もすっかり片づけられ
そろそろ初秋の気配が感じられるようになりました。
今回は、そんな夏の終わりにふさわしい
ロマンチックな(?)
短編ラブストーリーをお送りします。
サブタイトルは
ホイチョイ・プロダクションズのバブル期の映画
「彼女が水着にきがえたら」を意識してみちゃいました。
渚の秋の物語
~彼氏が人魚であったなら~
九月に入った途端、川面を渡る夜風には秋の冷たさが感じられるようになった。
「おれさ、実は人魚なんだ」
川べりに並んで腰かけながら、友樹は月美を試すような眼差しでそう言った。
川に架かった橋の上では、渋滞中の車のライトが、数珠つなぎになってチカチカしていた。
「…………」
月美の頬に当惑したような曖昧な笑みが浮かぶ。
「嘘じゃないよ。本当なんだ」
「へーぇ、……素敵な話ね……」
「だから……」
友樹は曇り顔で膝を抱え込みながら、一息に吐き出すように言った。
「……秋になったら、海に戻らなくちゃならないんだ」
月美の顔が途端に凍り付いた。
街灯りにちらちら光る川面を切り割くように、屋形船が海の方へと下っていく。
彼女はそれを凝視しながら
「……私たち、もう終わりって事?」
微かに潤んだ鼻声になって訊ねた。
今にも泣きだしそうになるのを、彼女はどうにかこらえているのだ。
友樹はそんな彼女の瞳を覗き込みながら、
「できれば来年の……、そう、五月ぐらいまで待っててくれないかな」
真剣な眼でそう訴えた。
「おれ、情けないみたいな話だけど、夏だけの男なんだ」
「……どうしてよ?」
「だからさっき言っただろう?おれ、人魚なんだよ」
月美の顔に、サッと軽蔑の色が浮かび始めた。
「なんでそんな見え透いた嘘つくのよ。あたしの事バカにしてんの?」
「わかんねえヤツだな、本当だよ」
友樹はもどかしさに膝をこぶしで叩きながら、ほとんど怒鳴るように、
「ほら、これ見ろよ!」
と言いながら、ジーンズの裾をまくって脛をむき出した。
脛一面に、びっしりならんだ薄紫色のウロコが、外灯の白い照明にピラピラと輝いている。
月美は危うく悲鳴を上げてしまいそうな所を、どうにか抑えて息を飲み込んだ。
彼女の白い腕一面には、ざわっと鳥肌がそそけ立っている。
それを目にして、友樹の眼には涙がジワッとわいてきた。
「……半魚人……?」
月美の声は、驚きと恐怖のあまり掠れている。
友樹は抱えた膝の上に顔を突っ伏してしまった。
「半魚人じゃないよ。人魚だってさっきから何遍も言ってんだろ?おれの事、化物だとか気味悪いとか思うんなら、もう別れたっていいよ。……待っててくれなんて言えた義理じゃないもんな」
「……だから、……だから、鯛の生け造りが食べられなかったのね……」
それは去る七月。
友樹のバイト仲間三人と月美の大学の友人三人で、泊りがけで海に遊びに行った時の事。
民宿で出された鯛の生け造りを前に、仲間たちみんなが、
「うわー、豪華!」
「新鮮ぴっちぴちー!」
と歓声を上げ、大喜びしていたというのに、友樹だけはただ一人、それを見るなり貧血を起こしたように蒼白になり、口元を手で押さえながら部屋を飛び出してしまったのだった。
「だって、あまりにも生々しかったから……。せめて煮てあるとか、焼いてあるならまだ良かったんだけど……」
「ああ……そうなんだ……」
煮たり焼いたりしてある魚なら大丈夫なのか……。
そういえばこの人、お刺身や握り寿司は平気で美味しそうに食べてたし……。
と、その辺の境界線について考えながら、月美はしげしげと友樹の横顔を見つめていた。
「おれの事、嫌いになった?」
「嫌いになんかなるわけないじゃない」
彼女は笑って答えた。
確かに脚には一面ウロコが発生しているけれども、それ以外の部分は彼女の好きな友樹のままだし、彼が初めて見せて来た自信なさげな気弱な表情は、なんだか子犬みたいで可愛くて、愛おしさはむしろ増してきたような気さえする。
「だって月美、さっき鳥肌立ててたじゃん」
「いきなりだったんだもん。でも、私かまわない。彼氏が人魚だなんて、何だか素敵じゃない?私、来年の夏が来るまで待ってるから」
彼女がそう言ってくれたおかげで、先ほどまで友樹の心を一面に覆っていた黒雲は、バーッと一気に払拭された。
彼は両腕を頭上に伸ばすと
「はぁー、良かったァー!」
と大声で言いながら、晴れ晴れと笑ったのだった。
★
友樹が海に帰るのは九月の最終日だという。
「その日には、絶対に、絶対に見送りに行く」
月美は彼の手を取り、固く固く約束をしてくれた。
★
けれどもその時以来、
彼女からの連絡はパッタリと途絶え、会う事はおろかネット上でのやり取りすら出来なくなってしまった。
「…………」
友樹はため息をつきながら、スマートフォンを覗き込んだ。
いくらメッセージを送っても、彼女からの返事は来ない。
ウロコの面積は日に日に拡大し、彼の足首から腰にわたる一面がみるみる覆いつくされていった。
★
「また来年も頼むよ」
汽船会社の社長は、そう言って笑いながら、友樹の肩をポンと叩いた。
東京湾内をめぐっている小型遊覧ボートの船長のアルバイトは、今日限りでおしまい。
明るく親切でハンサムな彼は、乗客の受けが大変良く、ガイドを務める女の子たちの間でも人気が高かった。
楽しい夏だったな……。
人間だったらこの楽しさがずっと続くのにな……。
そう思うと、思わず知らず、ため息ばかりがついて出るのだった。
恋人とは音信不通……。
気持ちは晴れずにモヤモヤするけれど、残り少ない地上での日々を、ただ悶々と憂鬱な気持ちで過ごさねばならないなんて真っ平御免だ。
不安や寂しさを紛らすために、友樹はバイト仲間たちと、ドライブだ宴会だカラオケだ遊園地だと、やけくそのように毎日遊びまわっていた。
しかし、
ふとした拍子に、みんなと別れる日の事を考えると、彼は途端に虚ろになり、悲し気な表情になってしまう。
「どうしたんだよ、友樹。お前、最近なんか変だぜ」
「なんかあったのかよ」
友人たちは口々に心配してくれるが、彼には
「何でもないって」
と、作り笑いをして見せるしかできなかった。
いくら何でも、こんなに大勢の人たちに「人魚です」なんて告白するわけにはいかない。
万が一ネットでバラされでもしたら、地上で積み上げて来た人間関係、信頼関係全てが根底から壊滅してしまう。
友人たちを百パーセント信用しきることが出来ない部分は、仕方ないと割り切りながらも、少しだけ後ろめたい気持ちもあった。
だからこそ……
誰にわかってもらえなくても、恋人の月美にだけはわかっていてほしい。
そう思っているのに。
もう二度と、彼女は自分に会う気が無いのかもしれない。
そんな予感が胸に影を差す。
なにしろこちらは人間じゃないのだ。
「私、平気よ。待ってるからね。見送りにも絶対に行くからね」
という、あの夜の彼女の言葉は、
もしかしたらただ単に、目の前にいるこのモンスターから無事に逃れたいという、恐怖心が言わせたものだったのかもしれない。
今頃彼女は、やっぱりおれを恐れていて、だからメールやSNSも、無視を決め込んでいるのかも……。
そんな風にぐるぐると考えをめぐらして、そのたび、友樹は自己嫌悪に陥ったり悲しくなったりしているのだった。
「友樹、もうすぐ実家に帰るんだろ?」
「友樹の実家ってどこなの?」
「絶対海の近くだろ。だってこいつ、たまにちょっと磯臭い匂いしない?」
「ああー、最近なんだか磯っぽい匂いがするようになって来たよね」
友人たちがそんな事を言い始めた。
友樹は内心ドキッとしたが、
「最近、風呂にワカメ入れて入る事にしてるからかもなー。みんな知らないの?ワカメ風呂ってメッチャ健康にいいらしいよ!」
とごまかして、その場を切り抜けた。
海に帰る日まで、あと残りは一週間しかない。
★
残り少ない日々は瞬く間に過ぎ、ついに海に帰る日が来てしまった。
彼女からの連絡は、あれから一つも無いままだった。
防水のためにビニール袋に入たスマートフォンを、彼は砂浜に叩きつけた。
「馬鹿っ!」
心から血が流れるようだ。
自分がみじめで仕方がない。
毎年毎年初夏の訪れとともに陸に上がり、秋が来れば海に帰る、という生活を繰り返してきているが、こんなに苦い思いを抱きながら海に帰るのは、生まれて初めての事だった。
頭が眩みそうなほどに青く晴れ渡った空。
トンビが輪を描きながら飛んでいる。
岩場を洗う海水がひいた後を、フナ虫達がチョロチョロと駆け抜けていく。
友樹は自分の二本の脚を長い事見つめていた。
海水に浸かればこの脚は一本になり、魚の胴体と化してしまうのだ。
腰に巻いた防水袋からスマートフォンを出してみるが、相変わらず彼女からは、ウンともスンともメッセージが無い。
午前九時。
この時間にこの場所で、彼が海に戻るという事は、月美も知っているはずなのに。
それなのに、彼女はついに来てはくれなかった。
彼は周囲に誰もいないことを確かめて、すべるように海に入って行った。
「月美の馬鹿タレ!」
涙は海水に混ざってわからなくなった。
あぶくがゴボゴボとのぼって行く。
淡い紫色の大きな尻尾で、ぐいっぐいっと水を掻き、沖向かって泳ぎ出していく。
その時。
水と泡つぶの弾ける音に混ざって、微かな声が聞こえて来たような気がした。
「待ってー……」
泳ぎを止めて、先ほど降りて来た岩場の方を振り返った彼の視界に、
ドブン!
という音に続いて、大量の白いあぶくが立ち上って見えた。
「…………?」
ゆっくりと泳ぎながら、こちらに向かって近づいてくる黒いウェットスーツ姿。
酸素ボンベを背負い、レギュレーターを口に咥え、マスク越しに見える眼差し。
あれは、月美だ!
ブクブクと空気を吐きながら、こちらに近づいてくる彼女の眼は、マスクごしに笑っているように見える。
友樹はゆらりと尾びれを動かして浮かび上がり、海上に顔をあげた。
月美もついて来て顔をあげる。
レギュレーターを外して、彼女は言った。
「来年の夏までなんて待てないから、ネット断ちしてダイビング道場に入って、猛特訓して、資格取って来たよ!」
「…………!」
友樹は言葉が出なかった。
嬉し過ぎて言葉が詰まり、何を言って良いのかわからないのだった。
「私、これからちょくちょく会いに来るからね。サメとかに襲われそうになったら助けてね!」
彼女が笑い泣きの顔でそう言うと、友樹は大きく頷いた。
「おお、助けたる、助けたる。サメなんかにゃ絶対に指一本触らせないよ!」
低空飛行のカモメが一羽、沖の方へと飛んで行く。
ひんやりとした秋風が、二人の頬を掠めるように撫でていった。
おわり
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
<(_ _)>
ところで
友樹君はずいぶんと悩んでいましたが
実は海外では
「人魚」って
立派に職業として認められているらしいですよ。
(ホンマでっせ!)
その記事がコチラ
↓
関連記事のご案内
ストーリーは貴方の選択次第!
読者参加型小説「お江戸の若旦那」
todawara.hatenablog.com
こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。