TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

大阪の「阪」は明治時代に「坂」から「阪」になったそうですが、昭和の初めごろまで大阪以外では「坂」と「阪」はゴッチャに使われていたようですよ。

私の尊敬する作家吉川英治

「草思堂随筆」(昭和10年刊)に 

『大坂の「サカ」

という題のエッセイがあります。

 

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これが書かれた昭和10年当時

大阪以外の場所では

 

オオサカの「サカ」を表記する場合

 「坂」「阪」とが

両方ゴチャゴチャに使われていたようで

 

そのことに関して

吉川英治がふと抱いた疑問や感慨が書かれています。

 

 

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同じ意義で同じ韻をもつ「坂」「阪」

 

僕としては土篇の「坂」でないとサカという字を書いた気がしないので、今までどんな場合でもより他は使ったことがない。

 

だから地名の「オオサカ」も一貫して「大と書いてきたのだけれど、現地へ旅行してみると向こうでは駅名も看板も全てが「大になっているし、向こうの人から届く手紙もことごとく「大で統一されている。

 

他の地域の人が使う場合は「坂」「阪」もごっちゃに使われているのだが、地元の人たちがこうも「阪」しか使わないとなると

 

ここには何か意味があるのだろうと思い、向こうの人に出す手紙にだけは「阪」を使うようになった。

 

──── 簡単にまとめてみると

 このような趣旨の文章が書かれているのですが

 

 

確かに

「大城」とか

「大の陣」など

江戸時代以前に由来するようなものの場合は「坂」と表記されているのに

 

現代の大阪府では「阪」の字が使われていますよね。

 

どうやら時代によって使い分けがされているようですが

いつごろから、どういった理由でそうなったんでしょう?

 

そこで今回は

その辺の所をちょっと調べてみました。

 

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「坂」の字と「阪」の字は

 

実は、単に字体が違うだけで

意味も読み方も同じです。

 

1. 一方が高く他方が低く傾斜している道。また、その傾斜。さかみち。

2. 物事の区切りを、坂の頂上にたとえて言う語。多く年齢についていう。

  (コトバンクより引用)

 

漢字の成り立ちとしては「阪」の方が古く、「坂」が新字「阪」は旧字ということになっています。

 

 

大阪あたりの地名はもともとは

「難波」「浪速」

と書き

「なにわ」とか「なみばや」と呼ばれていました。

 

14世紀ごろ(鎌倉~室町時代)になり

「小坂」とか「尾坂」と書いて

「おざか」と読むとされる記述が出て来ます。

 

室町時代(戦国時代)

この地に石山本願寺を建立した

蓮如上人

 

「小よりも大の方が縁起がいいから大坂にしよう!」

と言い出したらしく

 

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明応7年(1498年)蓮如上人が記した

 

「みな人の 弥陀をたのめと いふ浪の はやとをたてて みゆる大さか」

 

などの和歌2首の草稿に

「おおさか」という地名が使われています。

 

そして現在の所

これが文献上に見られる

最古の「大坂」となっています。

 

(前年の明応6年に上人が信徒に向けて書いた手紙にも「大坂」という言葉は書かれているのですが、こちらは後年、息子の実如の時代に編纂された写本なので、この歌の草稿の方が「大坂」という地名の初登場という事になっています)

 

 

豊臣秀吉が建てたのも

大坂城

 

このように

サカの字にはずっと「坂」が使われていたのですが

 

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江戸時代の後半になってから

「阪」の字も使われ始め

次第に「坂」「阪」とが混在してきます。

 

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そのうち

幾度も大火に見舞われたりしたせいか

 

「坂」「土に返る」から縁起が悪いんじゃないの?

 

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文化5年(1822年)

芝居作者で浮世絵師でもあった

浜松歌国が随筆「摂陽落穂集」の中で

そう主張しました。

 

そして迎えた明治維新

 

元号慶応4年から明治元年に変わった年の

1868年年5月2日

大坂府が設置されました。

 

この時、府名には「坂」が使われていたにもかかわらず

公印の方には「阪」の字が使われています。

 

一説によると

 

「坂」の字は「士(武士)」「反」抗するにも通じるから縁起が悪い。

 

という意見があったそうで

 

それによる影響もあったようです。

(それにしても、毎回「縁起」絡みなんですね)

 

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その後も「坂」「阪」との混在状態は続き

 

大阪の人々が「大阪」と書くことが一般的になったのは

明治10年になってからなんだそうです。

 

 

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吉川英治「草思堂随筆」にも

 

大坂城天守閣復興事業を記念して刊行された古川重治氏の「錦城復興記」では非常に厳密に「坂」「阪」とか使い分けられてある。

 

明治5年の

「大坂鎮台を置く」

という所まではずっと「坂」が使われているのだが

 

明治19年

「大阪砲兵工廠を置く」

という所からは全て「阪」表記になっている。

 

というような事が書かれており

 

坂が阪になったのは、維新直後ではなく、明治五年──十年前後のことなのだろうかと、独りぎめに、やっとこの事は得心をつけたのであった。

 

とあります。

 

 

それにしても

 

地元ではすでに明治時代に「大阪」表記で統一されていたのにも関わらず

 

昭和10年のこの時点でもなお

全国的にはまだ「大阪」「大坂」がゴチャゴチャに使われていたっていうのも

なんだか不思議な感じがしませんか?

 

国として

今後は「大阪」に統一すべし!

みたいなものは無かったんですかね???

 

 

「坂」「阪」も似たような字だけど

 

阪神タイガース」

坂神タイガース」

と書かれると

 

やっぱりちょっと

違和感ありますね……。

 

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 こちらは私の小説です。よろしくお願いいたします。

 

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台風スウェル

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