TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

シャミッソー「影をなくした男」のレビュー~影なんか無くったって人は幸せになれる!

今回は

フランス出身の

ドイツロマン派の文学者

そして

植物学者でもあった

アーデルベルト・フォン・シャミッソー

(1781-1838)によるおとぎ話

「影をなくした男」

のご紹介をいたします。

 

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内容

 

貧乏青年ペーター・シュレミールは

仕事のつてを得ようと訪れた金持ち名士の家で、素敵なものを自由自在に取り出して見せる、灰色の服を着た不思議な男と出会いました。

 

彼はその男から

「あなたの素晴らしい影を、金貨が無限に湧き出て来る、この袋と交換しませんか?」と言われ、

思わずそれを承知してしまいました。

 

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たちまちにして無限の富を手にした彼でしたが、

影を持たない人間に対して、世間は思いがけないほど冷酷で

うっかり影の無いことが知られでもしたら最後、どんなに大金持ちであろうとも、ゴミ虫以下の存在のように酷く差別される事を知ってしまいました。

 

せっかく大富豪になったペーター・シュレミールでしたが

影の無い事を誰にも知られないように気を使いながら、なるべく明るい場所には出ないように、ビクビクしながら生活をする羽目になります。

 

心優しい誠実な召使いベンデルだけが味方となり、色々とかばってくれたため、どうにか暮らしを成り立たせることができたのですが

影がない事が他人にばれてしまったために、生活はパア。

 

相思相愛だった清純貞淑な恋人ミーナとの結婚話も

彼女の両親の反対で破談になってしまいました。

 

そこに例の灰色の男が再び現れ、こんな提案を持ちかけてきました。

「影を返してあげる代わりに、死後、あなたの魂を私に引き渡すっていうのはどうですかね?」

 

コイツは悪魔に違いない!

 

ペーター・シュレミールはしつこく付きまとう男を拒絶した上に金袋も捨て、無一文で放浪の旅に出ました。

 

履いていた靴がついに台無しになってしまったので、彼は市で丈夫そうな古靴を買い求めました。

それを履いて歩きだした所、おや不思議!

 

なんとこの靴は、一歩あるくと七里もの距離を移動できてしまうという、魔法の靴だったのです。

 

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ペーター・シュレミールはこの靴を履いて世界中を自由自在に旅してまわり、自然の研究、とりわけ、植物の研究に生甲斐を見出すようになりました。

 

そして自分の身の上に起こった出来事を、友達のシャミッソー君(作者)に書いて送りました。

 

そう────

 

それがこの物語

というわけなんですよ。

 

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この物語は

作者シャミッソーの人生が反映されていると

言われています。

 

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彼は

1781年 フランス、シャンパーニュ地方の名門貴族の子息として

ボンクールの城に生れました。

 

その時付けられたフランス名は

ルイ・シャルル・アドライード・ドゥ・シャミッソー

 

しかし

1789年 フランス革命が勃発!

 

 

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1790年 革命政府により、シャミッソー家は貴族特権をはく奪されてしまいました。

 

一家はフランスを出てベルギー、オランダを転々とし、

プロイセン(ドイツ)の首都ベルリンへたどり着きました。

 

1796年 ここで運よく、シャミッソー少年はフランス好きのルイーズ妃の小姓に召し抱えられました。

 

彼はドイツ人のギムナジウムに入りドイツ語を教わります。

(シャミッソー君、着々とドイツ人化!)

 

1798年 プロイセン軍に入隊。

20歳で士官になります。

 

家族はフランスに戻っていきましたが、

彼はプロイセンに残りました。

 

ところが

 

1806年 ナポレオン戦争に従軍し

母国を相手に戦うはめになります。

 

ハーメルンの戦いで

彼はついに、捕虜になってしまいました。

 

解放された彼はベルリンには戻らず

フランスへ向かいました。

 

しかし…………

 

故郷のボンクール城はすでに壊され、廃城になっており

両親も相次いで亡くなってしまいます。

 

兄弟も親類縁者たちも

ドイツ人になったシャミッソーには

冷たい目を向けました。

 

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1807年 彼はベルリンに戻り、除隊しました。

 

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この本の訳者、池内紀さんの解説によると

 

この物語が世に出て以来

影を失くした男

すなわち

祖国を失くした男

シャミッソー自身なのではないか?

と考えられたそうです。

 

ドイツにいたらフランス人と言われ

フランスにいたらドイツ人と言われ

どちらにおいても、まともに扱ってもらえない……。

 

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しかし

どうも、それだけではなさそうだ

とも思われていたため

 

影とは何ですか?

 

シャミッソーはのべつ

そのようにたずねられていたそうです。

 

 

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帰属すべき国と捉えるのであれば

 

影が無い事による不都合さは

彼自身の

アイデンティティ(自分が何者であるのか)

に対する苦悩

 

というようにもとらえられそうですよね。

 
しかし

 

主人公ペーター・シュレミールは

影が無いという事で差別をされ、苦労はするのですけれども

 

影が無いという事

そのものについては

それほど内省的な苦悩はしないんです。

 

この物語の中の世界では

「影が無い人間なんて最低だ」

という価値観が

あたかも世間の常識のようになっています。

 

影が無いというだけで他人からは

「誇りの無い下種野郎」「見えてしまう」らしく

外見的には致命的なマイナスです。

しかし


主人公ペーター・シュレミールは

影を金袋とアッサリ交換してしまった所からもわかるように

もともとそういう価値観は抱いていなかったんです。

 

ですから

影を失くしたことについて彼は

世間的な風当りがえらく厳しくなってしまった事に戸惑いこそすれ

 

影そのものに対しては

そこまでの愛着も重要性も感じている様子は見られません。

 

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作者のシャミッソーはこの物語に付けた

「わが友ペーター・シュレミールに」

という序詩(1834年刊行の第三版用)で

 

主人公と同一視されている自分に関して

このように書いています。

 

友よ、哀れな友よ、あの邪悪な男は

君にしたほどぼくに対して酷くはなかった

いかにもぼくはかいもなく努め

得るところ少なくして終わったが

あの灰色の男に影を摑まれ

そのためにこうなったわけではない

ぼくは生まれついての影をもっている

自分の影をなくしたりしはなかった

 

主人公が作者と瓜二つであるせいか

人々が主人公に向ける嘲りは、作者の頭上にも降りかかり

 

「シュレミール、おまえの影はどこにある?」

 

という声に、自らの影を見せようとも

彼らは見えないふりをして嘲笑をやめようとはしない

と嘆く彼は

 

続けてこのように書いています。

 

それにしてもぼくは問いたい、人がしばしば

このぼくに問うたように、影とはなにか?

どうして世間は意地悪く

これほど影を貴ぶのか

ぼくがこの世に生をうけて以来

五十三年歳月が流れたが

その間ずっと影が命だったとでもいうのだろうか

命が影として消え失せるのに

 

 これを読んで私は

 

「影が無ければいけない」

という物語中の常識は

 「人間はこうでなきゃいけない」

という

実社会の先入観価値の押し付け

を例えているのではないか?

と感じました。

 

 

「こうでなきゃいけない」

なんて

もともと思っていないし

納得も同意もできない。

 

にも関わらず

 

世間は当たり前のような顔をして

「こうでなきゃいけない」

特定の価値観をグイグイ押し付けて来る。

 

そのことに対する煩わしさ、息苦しさ……。

 

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だから

魔法の靴を手に入れたペーター・シュレミールは

 

そんな問題はもう

どうでもよろしい!

とばかり

 

影に対するこだわりから解放されて

 

軽やかに世界を飛び回るのです。 

 


影(世間から得られる高評価)なんか無くたって

じゅうぶん幸せに生きる事は出来る!

 

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軍を辞めたシャミッソーは

その後、パリでスタール夫人(批評家で小説家、反ナポレオン派の女傑、シャミッソーより15歳年上)と知り合い

彼女のサークルに加わります。

 

出版した本が皇帝ナポレオンの逆鱗に触れ、危険人物扱いになってしまったスタール夫人がスイスへ亡命した時にも、彼は同行し

そこで植物学の研究に没頭しました。

 

1812年 ベルリンに戻った彼は

ベルリン大学自然科学の勉強を始めました。このとき33歳

 

 

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1813年 夏から秋にかけて

シャミッソーはクーネルスドルフ村にある友人ヒッツィヒの家に居候していました。

 

退屈していたその家の子供たちに

「ねえ、ねぇ、お話してちょうだい」

とせがまれ

 

子供好きの彼は

ペーター・シュレミールの不思議な冒険物語をつくりあげました。

(それがこの「影をなくした男」の物語です)

 

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ヒッツィヒがその原稿を共通の友人フケー(ロマン派の詩人で「ウンディーネ」の作者)に預けた所

 

フケーがこれを

勝手に本にして

出版してしまいました。

 

この時

フケーがヒッツィヒに出した手紙の言葉が

なかなかお茶目で素敵なんですよ。(^^)

 

ぼく自身、なんども経験ずみのことなんだがね。

出版された本というのは奇妙な守護神に見守られているもので、まず見当ちがいのところにまいこみはしても、とどのつまりはしかるべき人の手に落ち着くさだめになっている。

 

いずれにせよ、その守護神はまこと精神と心情のこもった作品に対して目にみえない帳(とばり)の紐をにぎっており、すこぶる巧妙にそいつを開け閉めする術を心得ているものだ。

 

からして親愛なるシュレミールよ、ぼくは君の微笑も涙も、この守護神にゆだねることにしたのです。

では、ごきげんよう

 

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さすがはロマン派 !

 

本を見守る守護神がいる、なんて

発想がロマンチックですよねえ。

 

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彼にしてもヒッツィヒにしても

シャミッソーは良い友人達に恵まれている、っていう印象を受けます。

 

そんな事とはつゆ知らないシャミッソーは

 

1815年 ロシアの北極探検隊に参加し、探検船ルーリク号に乗り込んでいました。

 

以後、足掛け3年

 

ハンブルクからコペンハーゲンに行き

南米、カムチャッカ、マニラ、喜望峰を回って

ロンドン、そしてペテルブルクへという

大航海の旅です。

 

このあたり

 

魔法の靴を履いて世界中を股にかけ

植物の調査研究に飛び回っている

ペーター・シュレミールそのもの、という印象ですよね。

 

 

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長旅から帰って見たら

「ペーター・シュレミール」の話が大評判になっていて

作者は誰かと噂になっているところでした。

 

1819年 シャミッソーは、ベルリン大学から名誉博士の称号を得て、帝室植物標本所所長になります。

 

彼は植物学の本を何冊も書き

幾多の新種植物に命名もしているんですよ。

 

 たとえば

 

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ダケカンバ(Betila Ermanii Cham.)

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イワギキョウ(Campanula Lasiocarpa Cham.)

 

これらの植物の学名に付けられている

「Cham.」という文字列は

命名者としての「シャミッソー」を表しているんですよ。

 

 

1820年 39歳で18歳の少女アントニー・ピアステと結婚します。

以後、研究、調査旅行の合間に

フランスの詩をドイツ語に訳したり、詩を書いたりしました。

 

自身の結婚生活に着想を得て書いた

「女の愛と生涯」という詩(シューマン作曲)はよく知られています。

 

こうしてシャミッソーは

 

1838年 8月に57歳でこの世を去りました。

 

 

 

彼は先にあげた

「わが友ペーター・シュレミールに」

という詩の中で

 

自らの分身ともいえる物語の主人公に向かい

こう語りかけています。

 

 シュレミ-ルよ、ぼくたちはへこたれない

行く手を見はるかし、さえぎるものを容赦しない

立ち騒ぐ世間に目もくれず

ともにしっかり手を組んで

一歩でも目標に近づこう

 

 

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日本では

「影をなくした男」

とか

「影を売った男」

という題で知られているこの物語ですが

 

原題は

「ペーター・シュレミールの不思議な冒険」
(Peter Schlemihls wundersame Geschichte)

 となっています。

 

 

邦題は

前半の影を売ったがために酷い目に遭う所に焦点があてられた感じですが

 

原題は後半の冒険部分から持ってきているあたり

 

タイトルから受けるイメージが随分違いますよね。

 

 

タイトルのインパクト的には

私は邦題の方に軍配をあげてしまいますが

 

これは

主人公が失敗して

不幸に終わる物語

ではありません。

 

むしろ

 世間の固定観念というくびきから解放され

自分らしい一歩を踏み出していく人々への

 

明るい応援の物語

であるように

 

私は感じました。

 

 

笑いたくば笑え、謗(そし)りたくば謗れ

嵐のはてにぼくたちは港へと往きついて

心ゆくまま安らかな眠りを眠る

 

 

「わが友ペーター・シュレミールに」より

 

 

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影をなくした男 (岩波文庫)

影をなくした男 (岩波文庫)

 

 

 

 こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

台風スウェル

台風スウェル

 

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