モノ
それ自体は変わらないのに
ある事が判明した途端
それ以前と以後とでは
見る人の評価がガラッと変わってしまう。
そういうことって
結構ちょくちょく見かけますよね。
たとえば
一例を挙げてみますと
ここに
一つの陶器があります。
これは
とある巨匠が作った芸術作品であると言われていて
莫大な値段が付けられています。
「さすがは巨匠の作品!」
「素晴らしい!」
「写真撮らせて」
「私も見たい」
みんなが口々に褒めちぎり、一目見ようとワンサカ押しかけてきます。
ところが
実はそれは、巨匠の名を騙った
素人が作ったニセモノであることが判明。
陶器は
途端にゴミ扱いされ
誰にも見向きもされなくなりましたとさ……。
───この問題
以前、下の記事を書いた時以来
ずーっと考え続けていたんです。
「芸術とは何か?」を考えた記事。
なかなか容易には答えが出なかったんですけど、最近になって
「もしかして、こういう事なのかな……?」
という考えが浮かびましたので
ちょっと、そのことについて書いてみようと思います。
モノ自体には変化がない
にもかかわらず
「素晴らしい」から「ゴミ扱い」へと
評価がガクッと下がってしまう
───となると
人々が当初誉めそやしていたのは一体何だったのか?
というところが
疑問に思えてきてしまいますよね……。
彼らが見て評価していたものは
作品自体の純粋な価値では無かったのか?
巨匠が作った物なら何でも素晴らしいって
盲目的にそう思ってるだけで
作品自体の善し悪しを見分ける審美眼なんて、最初から持ち合わせてないんじゃないの?
───そんな風にも思えてきてしまいます。
でもですね
考えて見たら、これって
ある意味当然の事だとも言えるんです。
なぜかというと
人って
モノを見て判断を下す時
そのモノになにか背景があったとしたら
そういう情報をすべて込みで
総合的に「好き嫌い」を判断するところがある
───そう思いません?
先ほどの話の場合
人々は元々
その作品の背後にある
巨匠の人生や人間性というものを大いに評価していて
作品の価値はそれぐるみで
総合的に評価されていたんです。
つまり
「あの巨匠の作品」という理由で
かなりの評価の底上げがあったという事。
それが
「別人の作品だった」となった場合
評価がガクーンと下がってしまうのは
まあ
致し方ない話なんです。
人間は
モノそのものを
単独のモノとしてでなく
その背後にある情報全てをひっくるめて
好きだとか嫌いだとか
総合的に評価している ───
─── どうも、そんな風に思えてならないんですよね。
またひとつ
違う例えをあげてみますと
こういう形の
年代も材質もデザインも
全く同じ剣が2本あったとしますよね。
一方は
伝説の英雄が神から授かり、巨悪を倒した時に使っていた
といういわれがあり
ヨーロッパの王室に代々伝わっている剣
そして
もう一方は
ごく最近になって、どこかの骨董品屋の蔵から見つけ出されてきた剣です。
この場合
英雄が使っていたという伝説がある剣の方が、最近見つかった剣より
「なんかスゴっ!」
って思われるのは当然だと思いませんか?
モノの評価には
その背後にある情報というものが
どうしても
かなりの割合で関わってくると思うんですよ。
作者が誰か?
とか
作者はどんな人か?
なんて情報も、その一つ。
ですから
全く同じように見えるモノでも
作者が誰か、という所によって
まるで違う評価になる
───というのは
大いにありうることでして。
同様に
これまで好評だった作品群が
作者の不祥事によって
マイナスイメージが付いてしまい
すっかり顧みられなくなってしまう
なんて事も
これまた良くある事でして……(^^;)
「作者は関係ないだろう。作品だけを純粋に評価してくれ!」
そんな声もよく聞きますし
その心情はよくわかるんですけど
実際のところ
付帯情報を完全に排除して
モノ単体を純粋に評価する
というのは
結構難しい事なのかもしれません……。
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