TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

新しい「美」の発見と、その一般への普及について考えてみました。

古今東西を通じて人間が普遍的に理想とし、求めるものとして

真・善・美

という三つの概念がありますが

今回はこの中の

ということ

について考えてみました。

 

 

って一体、何なんでしょう?

 

世の中には

美しいものって色々ありますけれど

 

物それ自体に元々美が備わっている

というよりは

 

それを見ているこちら側(受け手の人間側)に

それを「美しい」と見なす感性と言うか価値観というか

そういうものがあって

 

それにより発生してくる概念なんじゃないか……?

 

そんな風に、私は思うんですよね……。

 

 

 

何か対象物があって

そして

これを見ている人がいる。

 

ここでこれを

「きれいだ」

と感じるのはその人の感性であり

 

また一面では

その時代地域性が持つ価値観の反映だったりもする───

 

(美人の基準が時代や地域によって変わるように

美には流行文化という集団意識が関わってくる部分もありますよね)

 

 

とかみたいに

ほぼ人類が共通して本能的に

「きれいだ」

と感じるものがある一方で

 

個人個人の感覚によって感じ方の違うものってありますよね。

たとえばただの石ころだとか。

 

 

感じる人にだけ感じられる

つまり

感じることに個人差のある

 

こういうものって

本能的なものと言うよりは

文化的なものというような気がします。

 

美術家の青山二郎

「美は鑑賞者の発見である」

と言っていたのですが

 

文化的な美というのは

たしかに

鑑賞者の発見に負う所が大きいものなのかもしれません。

 

モナ・リザに美しさを感じ取る人もいれば

そうでない人もいるように ……

 

 

そしてまた

 

この種の文化的な美

他人に共感されるかどうか

というのは

 

その美を発見し、提唱している人

影響力説得力によるのかな?

─── なんてことを思ったりもしました。

 

たとえば千利休みたいに

 

それまでには顧みられなかったような所に

全く新しい美発見・提唱して

普及させる人っていますよね。

 

 

「完璧な物やキラキラしているものではなく、不完全な物や素朴さの中にも美はあるんだよ」

 

 

ああいう人っていうのは

 

きっと普段から

感度センスが良い人だって事で皆から知られていて

そういう方面での影響力を持っているからこそ

 

新しく発見した美を普及させることができたんじゃないでしょうか。

 

平素から持ち物や服装や言動などで

 

それを見ている他の人から

「なるほど、こういうのって良いな」

「面白いな」

と思われるだけの説得力があり

 

「この人が良いと言うんだから、きっと良いのだろう」

納得させられるところがあるような人 ───

 


そういう人って

 

その人自身がなにかを創造する人

という場合もあるだろうし

 

評論したり愛好したりしている

目利きみたいな人だったりする場合もあるでしょうけど

 

とにかく

 

そういう感度の良い人たちよって

発見され

 

それまで放っておかれていたような物が

新しくと見なされたり

芸術として認められたりするのかな……

 

───なんて風に思いました。

 

 

 

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