TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

「家事」としての「料理」が嫌いになってしまうことについて。

家庭内において

料理を担当している人は

 「もう、ご飯づくりをするのはウンザリ!」

そんな風に思うことって

結構多いんじゃないかと思います。

 

(私なんかしょっちゅうですよぉ〜)

 

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献立を考えるのも

材料の買い出しに行くのも

野菜を洗ったり切ったりして

下ごしらえをするのも

調理もぜーーーんぶ

 

「面倒くさい!」

 

でも

自分の日々の業務としてやらなきゃならない事ではあるし

食事というのは健康問題にも直結してくるから

 

なるべく簡単

無難に済ませられるように

淡々とこなしているっていう感じですよね……。

 

実を言えば

「家庭の仕事」っていう所から離れた

「料理をする事」自体は

私は、それほど嫌いじゃないんですよ。

 

自分のために

自分が食べたいものを

自分が作りたいタイミングで料理する

っていうのは

むしろ

結構好きな方かも知れません。

 

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たぶん

料理っていうものは本来

創造的で楽しい事でもあるんだと思います。

 

作って楽しく

食べて嬉しい♬

 

ただし

 

それが完全に

自分一人のため

だけならば……。

 

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この現象を、他に例えて言うとすれば

ですね

 

体を動かすこと

歌う事

絵を描く事

 

それ自体は本来

楽しい事だから

 

遊びの中で自主的にやる分には

HAPPYな気分でいられるんだけれども

 

これが

学校でやる課題となってしまい

 

「やらなきゃいけないモノ」として

成績まで付けられるようになってしまうと

 

途端に

やる気が出なくなったり

嫌いになってしまう……

 

という現象に

非常に近いような気がします。

 

 

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つまり

「料理が嫌い」

っていうよりは

 

「他の人に作る」のがあたりまえの

「義務」となっている

「毎日のご飯づくり」っていう無償労働

ほとほとウンザリしている

 

って事なんだと思います。

 

おそらく

どんなに好きで楽しい事でも

義務になった途端

楽しさは何割か削られてしまうものなのでしょう。

 

だから

本来は楽しかったはずの料理も

義務になってしまう事により

 

楽しさ要素が

ガクーン

減ってしまうんです。

 

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ただし

 

ここで作った料理を 

「美味しい」

と言ってもらえたり

喜んで食べてもらえたりすれば

話は別なんですよね。

 

好反応を貰えたことにより

料理に対するモチベーションは

ぐぐーーん

とアップするに違いありません。

 

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しかし

 

日々、共に暮らす家族というものは

往々にして

遠慮も気遣いも無いものですから

 

「マズい」

だの

「もういいや」

なんてことを、平気で言ってきたり

 

残されたり

食べてもらえなかったりすると

 

作り手のやる気は

果てしなーーーく

地の底まで

ダウンしてしまいます。

 

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他人の味覚や

腹具合によって

モチベーションが

著しく左右されてしまう。

 

ここの所が

自分のためだけに作る料理

他人に作る料理との大きな違いです。

 

自分一人のためだったら

自分が「美味しい」と感じられさえすれば

味付けも、体裁も

どうだって構わないのに

 

他人に作るとなると

とたんに

面倒くさくなるんですよね。

 

他人の味覚好み

ましてや

腹具合なんてわかりませんものねえ~。

 

一生懸命作って、自分では「美味しくできた!」と感じているものを

「いまいち」

なんて言われたりすると

 

今後、金輪際

凝ったものなんか

作る気無くしますよね。

 

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普段全然料理をしない人の中には

料理の大変さというものが全く分かっていないために

 

料理をする側への

デリカシーを

著しく欠いている人がいます。

 

たとえば

かつて、昭和時代のホームドラマやアニメなんかで良くあった

ちゃぶ台返しの場面 ────

 

苦労して作り上げた料理を

ようやく食卓に並べ終え

「さあ、食べましょう」

という段になって

 

些細な事でヒステリーを起こしたオヤジが

いきなり、ちゃぶ台を

ガーッ!!

とひっくり返し

全てを台無しにしてしまう ────

 

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許せませんね。

 

こう書いている間にも

怒りのあまり血が沸騰してしまいそうです。

 

あんな事をされたら、私ならもう

一生ご飯づくりはボイコットですよ。

 

ぐちゃぐちゃになった料理の

あと片付けやら掃除なんか

絶対してやりません。

 

なんなら

部屋中に納豆ぶちまけて

そのまま家出してやりますね!

 

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人に対してつくってあげる

家事労働としての料理には

 

作り手にとって

いささかナーバスになりがちな

感情的部分があります。

(相手に対して愛情が無ければ、毎日作り続けるのは難しい、という面があるので)

 

ですから

 

こういう、毎日し続けなくてはならない

ルーティンワークとしての料理なんか

むしろ

 

頑張り過ぎて、相手の反応を期待し過ぎたりするのは

精神衛生上

あまりよろしくないのではないか?

 

──── って思うんですよね。

 

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手間暇かけて一生懸命作った挙句「うーん……、いまいち」なんて言われた日には心底ガッカリしてしまいませんか?

 

そんなこんなを

考え合わせて見たところから

 

家事労働としてやる

日々のご飯づくりなんてぇのは

 

可もなく不可もなく

淡々と手軽に

余分な感情など込めず

 

作業的にこなしていくのが

一番無難

 

自分にとっても

相手にとっても

 

平和な落としどころ

ってトコなんじゃないのかな~

 

──── そんな風に

私は思っております。

 

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

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