人はだれしも
幸せになりたいと願っているのでしょうが
みなさんは「幸せ」って
どういう状態だと思いますか?
私は今のところ
幸せって
心が穏やかで、満ち足りている状態
なんじゃないかな……と
漠然とですが思っているところです。
でも、この
「心が満ち足りる」
という所が、結構クセモノで
一体、なにが、どれだけ、どうなったら、
心は満ち足りてくれるのか?
というところが、自分自身にもわからないんですよね~……。
たぶん、このあたりは人によりけりで
価値観や物の考えようで千差万別なのでしょう……。
でも確実に言えるのは
常に
「もっと多く!もっと高く!」
と望んで、欲望の入れ物を大きくしていったら
いくら何がどうなっても
満ち足りることは無い。
ということなんですよね……。
「もっと」の欲求があまりにも強すぎる場合
それが叶えられなかったりすると
心は飢餓状態の苦しみに陥ってしまいます。
だから
欲の深い人よりも
無欲な人の方が
幸せにはずーっと近い所にいるんですよね。
私も
無欲だった子供の頃には
道端の雑草を摘むだけでも楽しかったし
大きいしゃぽん玉が作れた、というだけでも喜べましたもの……。
オトナになり
色んなものを見聞きするにつれ
欲が深くなっていき
満ち足りることが、どんどん少なくなってしまったように感じています。
今、 岩波文庫の
という本を読んでいるのですが
そこには
「欲望を捨てよ」
「執着を捨てよ」
という言葉が何度も何度も出てくるんです。
欲や執着は
少ない方が良い。
それは確かに、その通りだと思うんですが
「欲」は「向上心」
「執着」は「根性」
と非常に似通っていますから、
すっかり捨て去ってしまうわけにもいかず、厄介なところなんですよね。
欲や執着は極力減らしたい!
でも
進歩する事はやめたくない!
このバランス、難しいですねえ……。
そんな事を思いながら
心に沁みてきた詩がありましたので
ここにご紹介させていただきますね。
夢みたものは・・・・
夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある
日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたってゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊ををどつてゐる
告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる
夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と
建築家としても活躍した昭和初期の詩人
立原道造(1914-1939)は
大変な甘党だったそうです。
岩波文庫版「立原道造詩集」の解説で、友人の小説家杉浦明平(みんぺい)が、こんなエピソードを披露しています。
杉浦と立原が文学上の事で口論になった時。
これまで立原の甘味好きに散々付き合わされてきた杉浦(甘い物嫌い)は、彼に向かって
「何だい、君は、男のくせにぜんざいを三杯もよく食べられるもんだな!」
と罵ってしまいました。
(二人で入った上野の「うさぎ屋」という甘味屋で、立原は濃厚で激甘な汁粉を軽く三杯平らげていました。
度はずれて甘党の立原は、家で副菜が無い時には、ご飯に白砂糖をかけて食べるとまで豪語していたそうです)
杉浦の言葉にショックを受けた立原は、下唇を突き出し、ワナワナ震えながら涙を浮かべだしてしまいました。
それを見た杉浦は
「あ、悪い事言っちゃった……」
と思うと同時に、自分も心の痛みから涙が湧いてきそうになり
「お茶でも飲みに行こうか」
と声を掛けました。
その後、二人でぶらぶらと街歩きしている間に夕方になり、電灯のともる市電の安全地帯に立ちながら語り合っていたのですが
別れ際、立原は
「明平って、ほんとは優しいんだよね」
と言うと、
ちょうどやってきた市電に飛び乗り、動き出した市電の窓から上体を乗り出しながら、電車がカーブして見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていたそうです。
そしてこれが、杉浦の見た、元気な立原の最後の姿となりました。
その後まもなく山陰経由で長崎への旅行に出た立原は
12月6日、旅先の長崎で結核のために喀血して倒れ、急遽帰京して入院。
翌年3月29日に、亡くなってしまったのです。
享年24歳……。
まだ少年っぽさを多分に残しているような、無邪気さの感じられるエピソードが、なんだか余計に傷ましいですね。
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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。