せわしない日々を送りながら
心が
「ふっ」
と、安らぎを求めるとき。
そんな時には
島崎藤村の詩をおすすめします。
「破戒」「夜明け前」などを書いた小説家として知られている藤村ですが
20代の頃には詩人として活躍し
25歳の時に出した「若菜集」は
日本近代浪漫詩の記念碑的詩集として讃えられています。
彼の詩は「浪漫主義」というだけあって
とってもロマンチックで素敵なんですよ。
たとえばこの
「狐のわざ」
という詩をご覧ください。
庭にかくるる小狐の
人なきときに夜いでて
秋の葡萄の樹の影に
しのびてぬすむつゆのふさ
恋は狐にあらねども
君は葡萄にあらねども
人しれずこそ忍びいで
君をぬすめる吾(わが)心
ね?
まるで童話の世界のように
可愛らしくて、ロマンチックでしょう。
また
この「強敵」という詩もメルヘンチック。
一つの花に蝶と蜘蛛
小蜘蛛は花を守り顔
小蝶は花に酔ひ顔に
舞へども舞へどもすべぞなき
花は小蜘蛛のためならば
小蝶の舞をいかにせむ
花は小蝶のためならば
小蜘蛛の糸をいかにせむ
やがて一つの花散りて
小蜘蛛はそこに眠れども
羽翼(つばさ)も軽き小蝶こそ
いづこともなくうせにけれ
※
「すべぞなき」→「どうしようもない」
「いかにせむ」→「どうしよう」
という意味。
花と蜘蛛と蝶の可愛い三角関係 ───
蜘蛛は純情一途なのに
蝶ときたらまるで
軽薄な伊達男といった風情……。
藤村の詩には、こんな風にお話仕立てになっているものが多く
そこも読んでいて面白く感じる所です。
仲良しのニワトリ夫婦の間に一羽のオンドリが割って入り
夫鶏と激しい決闘を繰り広げる
「鶏」という詩などは
頭の中で映像が映画みたいに再現されてくるほど
ドラマチックなんですよ。
主人公はニワトリなのに。
その詩のご紹介はコチラ
きっと若き日の藤村は
詩を考えながら
頭の中に物語がたくさん、たくさん展開していたんでしょうね。
長野県の小諸で教師として働いている時代に
エッセイ的な写生文「千曲川のスケッチ」を書き
詩から散文、それから小説へと転向した藤村ですが
彼は本質的に
「物語を作る人」だったのかもしれません。
ああ、それにしても……
これほどまでに素晴らしい詩が作れるのに
それをスッパリと
「情人と別るるがごとく」やめちゃうなんて
なんだか勿体なかったような気がするんですよね……。
だって
「若菜集」って
序文からしてもう、素敵さ全開なんですよ?
こころなきうたのしらべは
ひとふさのぶだうのごとし
なさけあるてにもつまれて
あたたかきさけとなるらむ
ぶだうだなふかくかかれる
むらさきのそれにあらねど
こころあるひとのなさけに
かげにおくふさのみつよつ
そはうたのわかきゆえなり
あぢはひもいろもあさくて
おほかたはかみてすつべき
うたたねのゆめのそらごと
「味わいも色も浅くて、大方は噛みて捨つべき」
なんて謙遜していますが
この序文の素晴らしさからして
すでに非凡な才能を現しまくっていますよね。
そして
「うたた寝の夢のそらごと」!
こういう言葉を選び出し、このように配置してくるセンスの良さは
天性のものなのでしょうか?
はぁー、格好いいなぁ……。
こういう詩を読むとやっぱり
韻文のリズムの持つ心地よさって、かなりあるなあと感じます。
文章と音楽の間、って感じ。
今、こういうの作ってる人っているんでしょうか?
私も真似して作ってみたいような気がするけど
絶対、こんなに素敵には作れないだろうなあ……。
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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。