TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

「戦国の魔術師」と謳われた忍者・加藤段蔵の気の毒さ加減。

先日、PHP文庫刊の

「忍者の掟〜戦国影の軍団の真実」

(戸部新十郎著)

という本を読みました。

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著者の戸部新十郎さん(1926-2003)は

かつて直木賞候補にもなった事があるという、時代小説の作家さんです。

 

この本の中には

「忍者とは一体何者なのか?」

「その実態とは!?」

といった所が

戸部さんご自身の幅広い知識や数々の文献を基に書かれてあって

 

たいへんに興味深いものがありました。(^_^)

 

 

時代劇などでお馴染みの

伊賀者、甲賀者、公儀隠密、お庭番

 

そして

 

将軍家光の兵法指南役でありながら

江戸幕府のCIA長官」的立場にあったという

柳生宗矩

 

などのほか

 

昔から講談、小説、漫画などで何度もキャラクター化されて人気者となっている

服部半蔵石川五右衛門風魔小太郎などなど

 

たくさんの「忍びの者」達が紹介されているのですが

 

その中に

群を抜いて気の毒過ぎた事により

私の心に非常に強く印象に残ってしまった忍者がおります。

 

それが

今回ご紹介いたします

加藤段蔵(かとうだんぞう)

という忍者であります。

 

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加藤段蔵

浅井了意の仮名草子『伽婢子』(おとぎぼうこ1666年刊)には

常陸(茨城県)の生まれ」と書かれてあるのですが

 

みずからは伊賀忍者だと名乗っていたそうです。

 

通称は

「飛び加当」

「鳶(とび)加藤」

(※「カトウ」は「加藤」や「加当」と表記されます)

 

いかにも身軽さを思わせるネーミングですよね。

 

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彼は一体

いつごろの人なのかと言いますと

 

1734年(享保19年)にまとめあげられた

近江国滋賀県)の自然、歴史等についての地誌

『近江輿地志略』(おうみよちしりゃく)の中に

 

永禄のころ、鳶加藤という者、最妙手の名あり

 

という記述で

忍術の名人(最妙手)であると言及されているところから

 

永禄(1558~69年)あたりに活躍した人だという事が考えられます。

 

それでは、永禄とは一体

どんな時代だったかと言いますと

 

永禄元(1558)年には

木下藤吉郎織田信長に仕えることになり

 

永禄12(1569)年には

上杉謙信(越後)と北条氏政(相模)が越相同盟を結び合って、武田信玄(甲斐)への対抗姿勢を固めているという────

────そんな時代です。

 

戦国時代の真っただなかですね。

 

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加藤段蔵は忍術の他に

幻術の使い手でもあったようで

 

上杉謙信が治める春日山の城下町にやって来て

品玉の術(手品)、生花の術(植物を生やし成長させる)、呑牛の術(生きた牛を丸呑みする)などといった幻術を人々に見せていたそうです。

 

しかし

 

彼が呑牛の術披露していた所

木に登って上から眺めていた人が

「あれは牛を呑んでるんじゃないよ~、ただ、牛にまたがっているだけだぁ」

と叫んだ途端

術は破れてしまいました……。(^^;)

 

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その後について

こちらの本では紹介されていなかったのですが

 

呑牛の術のネタばらしをされてしまい

カチンと来てしまった段蔵は

 

その場で夕顔の花(瓢箪という説も)を育てて

みるみるうちに実を成らせ

それをスパッ!と切り落としたところ

 

木の上にいたネタバレ男の

首も斬り落とされていた…………

 

そんな話も

伝わっているそうです。(◎_◎;)))

 

 

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彼の評判が興味をひいたのか

段蔵は上杉謙信によって呼び出されます。

 

謙信から

「直江山城守兼続の屋敷に忍び込み、名刀(長刀)を奪ってみせよ」

そう言われた彼は、厳重な警備をかいくぐり、見事それを奪って見せました。

 

 ところが ────

 

「うーん、なるほど

怪しいヤツじゃ!」

 

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かえって謙信から危険視されてしまった段蔵は

危うく殺害されそうになりました。

 

彼は、たくさんの陶器を並べて、からくり人形のように操り

敵の目を引かせることによってなんとか窮地を脱出しました。

 

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辛くも虎口を逃れた彼は

今度は甲州へと走ります 。

 

そして謙信のライバルである

武田信玄に仕官を願い出ました。

 

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対面した信玄が言いました。

「あの高塀を飛び越えて見よ」

 

しかしながら実は

その着地面には槍の穂が剣山のように植えられているという

凶悪なトラップ仕様になっていたのです!!!!

 

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このピンチに段蔵は塀の上で気がつき

空中でクルリと反転して

見事、元の場所へと戻りました。 

 

これを見た信玄

 

「ううむ……。ものは上から下へと落ちるものじゃ。上へあがっていくとは、なんと不可解な……」

 

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 そして家臣の土屋平八郎に命じました。

「怪しいヤツじゃ。殺せ!」

 

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こうして加藤段蔵

殺されてしまいましたとさ……

 

酷い話ですよねぇぇぇ~……(T_T)

 

 

この件について、著者の戸部さんは次のように書かれています。

 

真偽のほどはわからないが、心ある武将たちには、不合理、不条理を嫌う一面があり、忍術と幻術を峻別していたことが推察される。

 

忍者(スパイ)ってだけなら使いこなせるからいいけど、妖術使いともなると、うす気味悪くて近くには置いておきたくない……って感じなんですかねえ……。

 

(たしかに、幻惑されたり、裏切られて幻術で手向かわれたりしたら厄介ですしね……)

 

 一説によると

武田家では以前、家宝の古今集が忍びの者に盗まれた事があったために、よそから来た忍びに対しては警戒されていた

なんて話も伝わっているそうですが

 

それにしても

 

忍びとして、幻術使いとして

優秀過ぎるがゆえに警戒されて

仕官できないばかりか、命まで狙われ

挙句の果てに殺されちゃうなんて

 

なんだかあまりにも気の毒過ぎますよねえ……。

 

一流になるために

彼がそれまで、どんなに血のにじむような努力をしてきたか────

 

そんなことを思うと

ちょっと

可哀想過ぎるような気がします……。(T_T)

 

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 戦国時代の幻術師と言えば、果心居士もいますよね。

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柳生但馬守宗矩「兵法家伝書」の教え

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 こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

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