TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

遣唐使の任務を「嫌だ!」と拒否した小野篁&頑張って遂行した藤原常嗣のお話

小倉百人一首の中に

 

わたの原八十島(やそしま)かけて 漕ぎ出でぬと

人には告げよ あまの釣り船

 

(現代語訳)

大海原にある幾多の島を目指し

私は船出したと 

人々に伝えてくれ 

海人の釣り船よ

 

という歌があります。

 

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これは平安時代初期の貴族

小野篁(おののたかむら)

の歌です。

 

小野篁802年~853年に生きた人で

百人一首では

参議篁(さんぎたかむら)と官職付きの名前で表されています。

(彼が参議になったのは45歳の時)

 

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この当時にあって

身長188cm(六尺二寸)もの偉丈夫で

学問にも武芸にも秀でた文武両道

 

嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇文徳天皇と4代の天皇に仕えた彼は

どんな相手にも屈しない反骨精神にあふれるパワフルさから

 

野相公(やしょうこう)

野宰相(やさいしょう)

野狂(やきょう)

などと

称される事もありました。

 

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そんな男児の彼ですが

に入ると

人に知られぬ、もう一つの裏の顔がありました……(・_・;)

 

……実は彼

 

昼間は朝廷で官吏として勤めながら

になると冥界に行って

閻魔大王の裁判の手伝いをしていたんだそうですよ……

 

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────というのは

もちろん伝説なのですが (^_^)

今昔物語集「江談抄」といった

平安時代に成立した説話集の中に

 

藤原良相藤原高藤などといった人々が

急死した後、冥府で働いていた篁によって助けられ無事生き返った話だとか(良相)

閻魔様の隣で座る篁を見てビックリした後に生き返った話(高藤)

などがおさめられていることから

 

平安時代の間からすでに

小野篁はタダものではない!

という噂が囁かれていたことがわかります。

 

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篁に関する伝説は色々あるのですが

 

一説によるとあの紫式部にも

 

フシダラな恋愛小説を書いたという罪で地獄に落とされてしまったところ、篁によって助けられた

────なんていう言い伝えがあるそうです。

 

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「あの時には、ホンに助かりましたわぁ」

 

とはいえ

 

実は、紫式部が生まれたのは

篁の死後100年以上も経った後なんですけどね……。(^^;)

 

 

篁が冥界とこの世を行き来する際に使っていたとされているのは

京都東山にある六道珍皇寺

かつて嵯峨に存在していた福正寺(明治時代に廃寺)にあった

二つの井戸です。

 

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六道珍皇寺の井戸が冥界への入り口

福正寺の方の井戸はこちら側への出口として使われていました。

 

「またまた嘘くさい話を〜」

とお思いの方もおられるかと思いますが

 

実はこの井戸

2011(平成23)年

六道珍皇寺の旧境内地から発見されていて

 

現在

黄泉がえりの井戸」として

拝観できるようになっているんですよ!

 

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そんな小野篁

 

坂上田村麻呂陸奥国に胆沢城 を築いた

802(延暦21)年に生れました。

父は小野岑守(みねもり)

 

若い頃は弓や馬ばかりに熱中していたのですが

「学問に優れた父の子なのに……」

嵯峨天皇に嘆かれたことから学問に発奮。

 

大変に親孝行であったため

 

830(天長7)年に父の岑守が亡くなった時には

哀悼や謹慎生活の度を超え過ぎて、身体や容貌が著しく衰えてしまったそうです。

 

833(天長10)年 仁明天皇が即位すると、篁は皇太子、常定親王東宮学士(教育係)に任命されました。

 

さらに、この年に完成した律令解説書「令義解」(りょうのぎげ)の編纂にも参画しています。

 

知的偉丈夫ミステリアス

いささかエキセントリックな所のある篁さん

 

そんな彼の人生に

この後、波乱が巻き起こります!!

 

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遣唐使

 

834(承和元)年 

彼は遣唐副使に任ぜられたのですが

 

承和3年と翌承和4年、2回にわたる渡海は

いずれも失敗に終わってしまいました。

(荒れる海、拙い航海術、ちゃちい船、この時犠牲者100人余り……当時の航海は命懸けだったんです)

 

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838(承和5)年 3度目の渡海チャレンジにて────

 

遣唐大使・藤原常嗣(つねつぐ)が乗っていた第一船が破損

水漏れを起こしてしまいました。

 

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「わーーーーっ!!!!」

常嗣は篁が乗っていた第二船を第一船とし

それに乗り換えようとしました。

(つまり、勝手に船を交換コしたんですね)

 

この事に篁は

カチンと来てしまいました。

 

「ふざけんな!」

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篁(36歳)

「自分がいい思いをするために他人に損を負わせるような、こんな非道がまかり通るんだったら、面目なくて部下を率いる事なんて到底できませんよ!」

彼はそう抗議をし

さらに

「自分は病気だし。あー、お腹が痛たたた……」

「しかも年老いた母の面倒も見なきゃならないしー」

と言って渡航を拒否。

 

そのため

遣唐使は篁を残し

副使が不在のまま6月に出航していきました。

 

その後

まだまだ憤懣冷めやらぬ篁は

 

危険の多すぎる遣唐使事業や、そんな事を平気でやらせてくる朝廷に対する風刺をたっぷりきかせ

「西道謡」(さいどうよう)

という漢詩を作りました。

 

案の定……

 

NGワード満載のその詩は

嵯峨上皇激怒させてしまい────

 

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嵯峨上皇

篁は官位を剝奪された上

隠岐の島流罪となりました。

 

この道中に彼が作った

「謫行吟」(たつこうぎん)

という漢詩(七言十韻)は

非常に優美で深遠で、多くの人を感動させたという話ですが

 

残念ながら、先ほどご紹介した

強烈な風刺の詩「西道謡」と共に

現在には伝わってはおりません……。

 

 

わたの原八十島(やそしま)かけて 漕ぎ出でぬと

人には告げよ あまの釣り船

 

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百人一首に収録されているこの歌は

この

隠岐の島に配流になる道中で詠まれたものです。

 

こう

 

まさに「八十島かけて漕ぎ出でぬ」べき

遣唐使を拒否してからの

経緯を知った上で見てみると ────

 

なんだかちょっと

人を喰ったようなふてぶてしさが感じられてきませんか?(^^;)

 

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「気のせい、気のせい」

 

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篁にはかぐや姫のように「竹から生まれた」なんて伝説もあるんですよ。

 

小野篁才人振りを伝えている逸話の中にも

権力を前にして動じる事のない

彼の反骨魂が垣間見えるものがあります。

 

彼を島流しにした嵯峨上皇

天皇だった頃の話────

 

「無悪善」

と書かれた落書(らくしょ…匿名の批判文)が見つけ出された事があります。

 

「これは何と読むのか?読んでみよ」

 

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天皇が篁に命じましたが、彼はどういうわけか渋って、なかなか応じようとはしませんでした。

そこを強引に読ませたところ篁は、このように読みくだしたそうです。

 

「これは────

『悪さが(嵯峨)無くば、善からまし』

嵯峨天皇がいなければ良いだろうのに)

────ですな」

 

「何でそんな風に読めるのじゃ!?

これを書いたのは、本当はそちなのであろう!

 

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そう非難する帝に
篁は弁明しました。

 

「私はどんな文章だって読めてしまうんです」

 

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「ほほーう、そこまで言うのなら……」

 

嵯峨天皇はそう言って、次のようなナゾナゾ文を差し出してきました。

 

「子子子子子子子子子子子子」

 

「さあ、どうじゃ。これが読めるかな!?」

 

篁は答えました。

「ねこのここねこ、ししのここじし」

(猫の子仔猫、獅子の子仔獅子)

 

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篁がスラスラと答えたために

天皇の怒りはほどけたと言います。

 

嵯峨天皇と彼とのやりとりの話には

もう一つ

こんなのもあります。

 

唐の大詩人白居易(772-846)による詩集

「白氏文集」(834-848に日本渡来)が

まだ御所の奥に秘蔵されていた頃の話です。

 

嵯峨天皇が戯れに

白居易の詩から一文字だけ変えて篁に示して見せた所

彼は原文とは違う、その一文字だけを添削し、天皇に返してみせたそうです。

 

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「手強いやつじゃ……」

 

篁の文才は遠く唐にも伝わっていて

彼が遣唐使に選ばれた事を聞いた白居易

彼に会うのを楽しみにしていた、と

「江談抄」(平安時代の説話集)には書かれています。

 

さて

 

隠岐の島に流されてしまった小野篁ですが

 

1年余りの配所生活を経て

840(承和7)年 赦されて京へ戻ることになりました。(この時38才)

 

ちなみに

あの時、遣唐使として旅立って行ったメンバー達

前年(839年)8月

ズタボロになりながら帰国しております……。

 

京に戻った篁は、以後、要職を歴任し

 

850(嘉祥3)年12月 病のために亡くなりました。

享年51。

 

最終官位は参議左大弁従三位

 

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金銭に淡泊なため清貧を貫いた人生で、危篤の際にも、自分の死後は人には知らせず、すみやかに葬儀をおこなうようにと子息らに伝えていたそうです。

 

さて一方

 

篁を置いて唐へと船出した遣唐大使

藤原常嗣(796-840)なのですが

 

彼は藤原北家(房前を祖とする名門)の人で

父の葛野麻呂(かどのまろ)遣唐大使を務めています

 

親子二代にわたる遣唐大使!

というわけなのですが

 

この時代において、あまりにも危険すぎるこの任務

(生還率60%なんて話も……)

 

これって名誉だったのでしょうか

それとも

否応なく押し付けられた貧乏クジだったのでしょうか……

(お父さんの葛野麻呂の時の航海も、漂着したりして、何だかんだかなり悲惨だったようです)

 

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小野篁

「嫌だね!」

と乗船拒否をしたあの時 ────

 

実は、それ以外にも

伴有仁(とものありひと)なんて人達4名も乗船を拒否していて

なんかもう出発前から既にボロボロって感じでした。

 

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渡航はなんとか成功したものの

この渡航行きも帰りも悲惨極まりないものでした……。

 

同行した円仁(のちの3代延暦寺座主)が記した

「入唐求法巡礼行記」によると

 

遭難しかけた時には大使以下みな裸になり

褌で体をくくって船中を逃げ回った

なんて有様だったようです。

 

常嗣は唐に着くやいなや

使い物にならない日本船を破棄

帰路のために新羅船を購入しています。

 

篁の代わりに長岑高名(ながみねのたかな)が副使扱いとなったのですが

帰路、常嗣と航路を巡って対立!

 

そして

またしても漂流してしまった船があり

 

遭難とか漂着とか

島民による殺害とか

脱出とか漂流とか色々あって

 

────結果

100人余りが犠牲になってしまいました……。

 

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藤原常嗣

839(承和6)年8月にようやく帰国したものの

 

心身の疲労がたたってしまったのでしょうか……

 

840年4月

45歳の若さで死去してしまいました……

 

そして

これが実際に渡海した

最後の遣唐使となったのです……。

 

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それから50年余りもの年月を経て ────

 

遣唐使894(寛平6)年

菅原道真の提案によって取りやめになり

 

以後、自然消滅のようなかたちで

廃止にいたっています。

 

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「白紙に戻そう遣唐使!」

 

それにしても

 

平安貴族として生まれていながら

こんなハードな体験をしなければならない人々がいたなんて

 

かなり意外じゃありませんか?

 

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こういう時に

「嫌なモノは嫌!」

「断固拒否!」

と言ってしまえる

小野篁みたいな人って

 

やっぱり強いですよねえ……。

 

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「好きな物は好き!嫌な物は嫌!世間体なんて気にしないよ」

 

 

 

 

 

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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。

 

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