TODAWARABLOG

戸田蕨です。小説書いてます。よろしくお願いします。

吉川英治「剣の四君子」から御子神典膳と兄弟子・善鬼の対決の話。

吉川英治

「剣の四君子(昭和17年刊)

という短編小説集の中で

 

私の心に非常に強く

印象に残っているエピソードがあります。

 

 

それは

柳生家と並んで徳川将軍家の剣術指南役となった

小野派一刀流の開祖

小野次郎右衛門忠明

 

まだ若き修行者で

御子神典膳(みこがみてんぜん)

という名であった頃の話になります。

 

長年、側に仕え、修行の旅暮らしを共にしてきた

師匠伊藤(伊東)弥五郎一刀斎から

いよいよ一刀流の極意の印可が授けられようという、その時

 

たった一人の兄弟子善鬼(ぜんき)との間で

「真剣勝負をして、勝った方に印可を授ける」

という話になり

 

白刃の抜き身で試合った結果

見事に兄弟子を斬り伏せ(善鬼は死亡)

 

印可「瓶割(かめわり)の刀」という名刀を授けられた。

 

───というエピソードなのですが

 

この話

実話をベースにしているという所から

 

師匠には師匠なりの

そして

それぞれの弟子たちには彼らなりの

各々の気持ちが痛いほどに思いやられてしまい

大変に深く印象に刻まれています。

──── ということで

 

今回は「剣の四君子から

その

御子神典膳VS兄弟子善鬼

のエピソードを

もう少し細かくご紹介したいのですが

 

ネタバレ要素多分に含んでしまうので

ご注意ください。

 

 

御子神典膳(後の小野忠明)は、房州上総(千葉県)の実家を出てから四年間

一人で剣の修行をした後

 

老剣士伊藤弥五郎一刀斎に試合を挑んで、コテンパンにうちのめされます。

 

すっかり一刀斎に心服してしまった典膳は

一生懸命に頼み込み、彼の弟子にしてもらいました。

 

当時の一刀斎は、剣の達人としてかなりの高名だったにもかかわらず

善鬼というたった一人の弟子しか、連れてはおりませんでした。

 

もう十年も一刀斎のもとにいるという

兄弟子の善鬼 ────

 

彼は元々、侍の生まれではなく

かつては川の渡し場で船頭をしていたといいます。

 

船頭だった頃の彼は、自分の腕っぷしの強さにかなりの自信を持ち

「武芸者なんて大したことねえや」

なんて風に思っていたため

 

無謀にも

自分の船に乗ろうとしていた一刀斎にチョッカイをかけて、強引に勝負を挑んだあげく

手にしていた櫂をたちまち奪われて、頭を打ち砕かれそうになり

慌てて平謝りに謝って、弟子にしてもらった

───そんな経緯があります。

 

 

はたから見ていた時には、ひたすら格好良く

尊敬と憧れの対象だった一刀斎も

 

ひとたび弟子となって間近に仕えてみると、色々な面が見えてきます。

 

大声で叱りつけられ、時には平手が飛んでくることもあります。

 

気難し屋で叱言(こごと)が多く、権力者が大嫌い。

高名を聞きつけた諸侯が招こうとしても

全く応じようともしません。

 

物や金には靡かない清廉さを持つ一方で

金銭の管理にはやたらと細かくて

無駄遣いには非常に厳しいところがあったりします。

 

伊藤弥五郎一刀斎は

そんな感じの

大変に気難し屋の頑固爺でした。

 

けれども

生真面目に精進に励む典膳は

「ひとたびこの方を師と仰いだからには」

一刀斎の言葉を一言一句、つつしんで聞き

 

決して師匠を軽く見たり、甘く見るようなことはありませんでした。

 

 

ところが

 

兄弟子の善鬼の方はどうかというと

 

師匠との付き合いが長いせいか、生来の性格が気さく過ぎるせいか

結構、要領が良いんです。

 

「おれが師匠に従ってるのは、一刀流印可がもらいたいから──ただそれだけさ。さっさと奥伝をもらって一人前の武芸者として立ちたいもんだね」

という所が彼の本音であるため

師匠に尊敬の念など、ハナから持ちあわせちゃおりません。

 

そんな彼は典膳に対しても

「おいおい、あんまり生真面目に師匠の話なんか聞いてもしょうがないぜ」

とか

「師匠だって聖人君子じゃないんだぜ。あんな顔しちゃってるけどさ~、昔は女と……(以下略)」

などと

陰で耳打ち的にアドバイス(?)してきたりするんです。

(まあ、悪い人では無いんですね)

 

そんなこんなで数年が経ち ────

 

その間に

老剣士一刀斎は、やがて、ますます老いていき

壮年となった善鬼は不遜な性格のまま、剣の実力だけをめきめき上達させていきました。

 

地道に研鑽を重ねている典膳は

師匠と兄弟子の二人を、何となく心配そうに見比べながら

お供の若党のようにして、旅を続けて行きました。

 

 

典膳が一刀斎の弟子になってから、九年目の梅雨の頃。

 

一行が江戸に着いた時、一刀斎は体調を崩し、旅籠で病みついてしまいました。

 

そこへ駿府から、徳川家で兵学師範をしている重臣北条安房が、一刀斎を見舞にやって来ました。

 

彼は病床の一刀斎に

「秀忠様の剣術指南役として、先生のお弟子の内、いずれかを御推挙いただきたいのですが……」

と頼んで帰って行きました。

 

師の病も癒え、旅が再開され

下総の国総馬郡の小金原に近い寺に泊まった夜────

 

一刀斎は典膳にこう言いました。

「善鬼と二人で話したい事があるから、おまえは席を外しておれ」

 

 

典膳のいない場での師弟の話し合いは、ちょっとした修羅場のようになっていました。

一刀斎が善鬼に向かって、こんな事を告げたからです。

 

一刀流の極意の印可は典膳にやり、彼を徳川家指南役に推挙しようと思っている」

 

馬鹿な事をおいいなさい。あまりにも、あまりにもひとを馬鹿にし過ぎている。いったいこの私のどこが悪いというのですか!

たわけ者が!訊けばわからぬほど、そなた自身が愚鈍である事にまだ気が付かぬか。一刀流の極意の印可など、断じてまだ許せぬわ。口惜しくばもっと励むが良い」

 

目の前に突如現れた徳川家指南役という超エリートコース────それをみすみす弟弟子に掻っ攫われる事になろうとは……。

 

典膳よりも十年も長く弟子を続けている善鬼。

剣の腕前にしたって、典膳よりは遥かに上だと自負しています。どうしても納得がいきません。

 

「くそっ、ばかな、……依怙贔屓にもほどがある。それなら……、先生……」

善鬼は悔しさの余り、身を震わせながら言いました。

「もし……もし私が典膳と尋常に立ち合って、一刀のもとに斬り伏せたとしたら、先生、どうされますか?」

 


次の日。

 

広々とした小金原の野道を三人で歩いている時。

一刀斎が、ふと歩みを止め、弟子達に言いました。

「ふたりとも待て。ちと、話がある」

 

 

「善鬼、昨夜のお前の希望をかなえてつかわす。ここで典膳と立ち合うが良い。

お前が勝ったらわしがここに携えておる瓶割の刀、伝書を相添えてそちに譲ろう。それを持って北条安房殿を訪れ、幕府へのご推挙を仰ぐも良し、一刀流として他に一家を構えるもよし、好きにいたせ。
典膳、突然の事であいすまぬが、善鬼の我意はわしにもどうすることもできん。

ゆえに、そなたとしては兄弟子たりとも斟酌には及ばぬ。死力を尽くして立ち合え」

 

「────聞いたか、典膳」

たすきを掛けながら善鬼が、憐れむように言いました。

 

「承りました。兄弟子ながら、白刃とあれば、御仮借はいたしかねる。── 御免」

 

「よしよし、死ぬ気でかかってまいれ。早く支度しろ」

「支度には及びません。いつでも」

「────よいと言ったな」

 

善鬼が身を斜めにして柄を握り、刀身を抜く事半ばの内に────典膳は

「いざっ!」

凄まじい気を吹きながら

一太刀振り込んでいきました。

 


善鬼はバッと後ろへ退き、さらに相手の切っ先を避けながら二度まで後ろに飛び下がり

ギラリ

────刀を引き抜きました。

 

その後は双方、相青眼────剣先をピタリと中段に構えたまま────二人の間は十歩ほど。

 

じり、じり、じり……

どちらからともなく、その距離が次第に近づいていき

二人の間が七歩、五歩、三歩となり

いよいよ剣先が触れ合うかと見えた、その時────

 

突如、一刀斎が大喝しました。

 

 

「典膳、勝ったり!そのまま瓶を割る気で、真っ二つにしてしまえっ!!」

 


その声に驚いた善鬼が心をかき乱された刹那 ────

 

彼は噴血と共に、乾竹割に斬り伏せられていました。



血刀を構えたまま呆然としている典膳に、一刀斎が言いました。

「……とどめを刺せ」

 

倒れながらもまだ手足をぴくぴくさせている兄弟子の姿に、さすがに、典膳がとどめまでは刺せないでいると

一刀斎は彼の手から刀を取り

 

「不憫なれど、所詮はこうなるように生まれついている男であった。助かる見込みも無いのなら、せめてこう致してやるのが師の慈悲よ」

 

そういって

刀の切っ先で一抉(えぐ)りし、とどめを刺しました。

 

 

「忘るるなよ、典膳。いかな上手になろうと、善鬼の如く慢じては、その終わりは必ずかくの如しじゃ。

思えば、学ぶべからざる質の者に、わが剣法を習わせたことは、わし一代の大きな過失であった。────善鬼よ、ゆるせ」

一刀斎はそう言うと、白髪まじりの髻をブツッと切り、善鬼の胸の上に投げました。

 


彼は腰に差していた名刀・瓶割の刀と伝書とをあわせて典膳に譲り

 

「今日が師弟の別れと相成った。そなたは江戸へ戻り、北条殿を訪れよ。……何、わしか?────入道一刀斎の行く先はいくらでもある。案ずるな」

 

そう言うと、追いすがる典膳を振り払い、いずこへともなく去ってしまいました。

 

以来 ────

 

伊藤弥五郎一刀斎の消息は

ふっつりと、わからなくなったそうです ────

 

 



以上が

吉川英治「剣の四君子に描かれた

御子神典膳と兄弟子善鬼のエピソードです。

 

善鬼の人柄が

剣士としての人格的素養に欠けている

というだけの

そんなに悪い人でもなかっただけに

なんだか可哀想に思えてしまう……。(T_T)

 

まあ……

人格的に未熟な人間メチャメチャ強い剣豪になんかなったりしたら

社会にとって害悪でしかない

という一刀斎の懸念も、確かに良くわかるんですけどね……。

 

それにしても

 

師匠の一刀斎にしても

厳しい指導はしながらも、弟子たちにはそれぞれ愛情を掛けていただけに、何とも切ない話です。

だって、二十年も一緒に暮らしていたんですもの。

もう、疑似親子、疑似兄弟みたいなもんでしょう…。

 

上の話は小説ですので

当然、吉川英治の空想が多分に入っているのですが

確かに。そうだったかもしれない。

と思わせるような、リアリティがありますよね。

 

 

伊藤一刀斎の弟子としては

善鬼御子神典膳(小野忠明)、この二人が良く知られているのですが

 

実は、この二人を弟子にする以前に

古藤田一刀流の祖、古藤田俊直を門弟としたこともあり、彼にも印可を授けています。

 

この本のタイトルにある

四君子(しくんし)」

というのは

竹・梅・菊・蘭

といった四種の植物草木の君子として讃えた言葉になるのですが

 

 

こちら「剣の四君子には

 

柳生石舟斎 (柳生新陰流の流祖)

林崎甚助 (居合術神夢想林崎流の流祖)

高橋泥舟 (幕末〜明治の人・自得院流の槍の達人)

小野忠明 (小野派一刀流開祖・徳川将軍家指南役)

 

以上の四剣豪の話が収録されています。

 



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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。