先日
角川ソフィア文庫から出ている
「新版 百人一首」(島津忠夫訳注)
という
百人一首の解説本を読んだのですが
この中で
ちょっとビックリしてしまうような話がありましたので
今回はそのことについて、書いてみようと思います。
小倉百人一首の72番目に
音にきく たかしの浜のあだ波は
かけじや袖の ぬれもこそすれ
という
祐子内親王家紀伊
「ゆうしないしんのうけの・きい」
祐子内親王にお仕えしている紀伊───という女性が詠んだ歌があります。
紀伊という人に関しては
今の所まだまだ不明な部分が多く
生没年も血筋もよくわかっていないのですが
一説によると
「母は祐子内親王家に仕えた小弁
父は藤原師長で
彼女自身は
ですとか
「いやいや、彼女は平経方の娘だよ」
だとか
「いやいやいや源忠重の娘です」
はたまた
「違うって~ホントは藤原重経(素意)の妹だって」
かと思うと、今度は
「惜しい!ホントは藤原重経(素意)の妻なの!」
やら何やら
色々な説が囁かれているそうです。
───ともあれ。
彼女は
御朱雀天皇(在位1036-1045)の第一皇女である
祐子内親王というお姫様にお仕えし
周囲の人々からは
一宮紀伊と呼ばれたりもしていたそうです。
優れた歌人として知られていた彼女の歌は
「後拾遺集」以下の勅撰集に31首も採用されていたり
「堀河百首」に採録されたりもしています。
そんな紀伊さんの
百人一首に入れられた
「音にきく……」という歌は
元々は
「金葉集(金葉和歌集)」
という勅撰集の中にあります。
そこには
この歌にまつわる
こんなエピソードが書かれています。
時は堀河天皇の御代───
康和4(1102)年閏5月2日と7日に
宮中で
艶書合(けそうぶみあわせ)
という和歌のイベントが行われました。
堀河天皇が
和歌の上手な公卿と女房達を集めて
ラブレター(懸想文)形式の歌を詠ませる和歌大会を催したのです。
ルールとしては
まず前度として
男性から女性へ求愛の歌を詠み
女性から男性へ、その返事の歌を詠みます。
そして後度は
女性から男性へ恨みの歌を詠み
男性から女性へ、その返事を詠む
ということになっていました。
そこで前度として
こんな歌を詠んで寄越しました。
人しれぬ 思ひありその浦風に
波のよるこそ いはまほしけれ
( 私には人知れぬ恋の想いがあります。
荒磯の浦風に波が寄る……
そんな夜にこそ、あなたにこの想いを打ち明けたい! )
それに対する
紀伊の返しの歌が
百人一首の72番目に入れられている
この歌となります。
音にきく たかしの浜の あだ波は
かけじや袖の ぬれもこそすれ
(有名な高師浜のいたずら波になど、
掛からないように用心しなきゃ。
──浮気者で評判の、あなたの言葉など、気に掛けませんことよ。
──だって、きっと、涙で袖を濡らす羽目になるにちがいありませんもの……)
彼らは「実際に恋愛している」というわけでは無く
歌の上での疑似恋愛ってわけなんですが
上流階級の男女が集い合い
恋愛シミュレーションしながら
「キャッキャ♡」
「ウフフ♡」
とはしゃぎ合っている様が伝わってくるようで
なんだか
「楽しそうだな、おい!」ってな感じですよね。
───ですが……
───実は
この時の紀伊さん
御年70歳ぐらい
だったのではないかと、推定されているそうなんです……。(@_@;)
実際の所
30歳前後の中納言俊忠とは
親子(か、それ以上)くらいに歳が離れていたという……。
現代でこそ、それくらいな年でも
エイジレスで美魔女な方もおられますけど
なにせ平安時代ですからねえ……。
実はそれ以外にも
この歌合せには
筑前さん
という女性も参加していたようなのですが
彼女にいたっては、なんと
御年90歳近くだったそうですよ!
いやはや、なんとも
この歌合せ……
いくらなんでも
女性陣の年齢層高過ぎだろ!!
って感じですよね……。(^^;)
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