「世界で最初のジャーナリスト」
って
みなさん、一体どんな人だと思いますか?
19世紀のスイスの歴史家
ヤーコプ・ブルクハルト(1818-1897)
によると
15世紀末のイタリアで文筆家として活躍した
ピエトロ・アレティーノ(1492-1556)
という人が
ジャーナリズムの元祖なんだそうですよ。
ピエトロ・アレティーノ(Pietro Aretino)は
1492年
何人もの芸術家のモデルとなった美しい 遊女を母として
イタリアのアレッツォにある孤児院で生まれました。
13歳で母の金を盗んで逃げ出し
19歳で金持ち商人の下男となり
やがて
サン・ジョバンニ枢機卿(後の教皇ユリウス3世)の召使となります。
その後
フラフラと放浪生活を送りながら放蕩を重ねたり
托鉢僧に成りすましたり──という日々を送った後
教皇レオ10世の小姓となります。
教皇の元を辞した後に
教皇が出してくれた推薦状を手に各地を世渡りしていった彼は
やがて
並みいる有力貴族や王、教皇などなどを後ろ盾にして
文学者として名を成していきました。
彼の作品としては
当時からポルノチック過ぎると物議を醸しだしていた
「気まぐれなおしゃべり I capricciosi ragionamenti」
というのがあり
現在、結城豊太さん訳の
「ラジオナメンティ 女のおしゃべり」
として角川文庫から出版されています。
その強烈な攻撃性で
イタリア中の名士たちから
非常に恐れられていたそうです。
彼は
金持ちや権力者や有名人など
「何か(良いもの)」を持っている人に向かって
「ねえ、仲良くしましょうよ~♡」
と
猫なで声ですり寄って行っては
その人が持っているものを要求したんだそうです。(-_-;)
そうして
その人が要求にこたえないと
いきなり 脅迫状を送り付け
ひどい悪口を書き散らした文章を
あちこちにばら撒きまくったんだそうですよ。(+_+;))
アレティーノは不思議なくらい
情報収集能力にたけており
しかも
人間の扱い方や弱点を知り抜いていました。
そんな
えげつない
彼ではありますが
自分の文章には全て署名を入れて公開し
匿名では攻撃しないという点においては
ピシッと筋を通すところがありました。
この、一応堂々としている所が
「ジャーナリスト」と言われるゆえんだそうです。
とは言うものの、やっぱり
厚顔無恥だとか卑劣だとか
非難はゴーゴーと受けまくっておりました。
(全然気にしないんですけどね……)
他人を脅迫することによって大もうけした彼は
ヴェネチアに大豪邸を構え
女と護衛たちに囲まれて
王侯貴族のような生活を送っていたそうです。
(まさに「憎まれっ子世に憚る」って感じですね……)
彼の存在を苦々しく思っていた君主たちも、複数いたらしく
殺し屋などを使って
彼の命を狙ったりもしたのですが ───
かえって
毒殺されたり廃位させられたりして
返り討ちにあってしまったそうです……。
そんなアレティーノを称して
同時代の詩人
「王侯の懲らしめの鞭、神のごとき」
と言ったそうです。
策略が成功したアレティーノは
笑いが止まりません。
ところが
驕れるもの久しからず
この時彼は
あまりにも大笑いをし過ぎて
椅子ごと後ろにひっくり返り
頭を打って
死んでしまったんだそうです……。
───そんな話を
私はこの本を読んで知ったのですが
ルネサンス時代って
ヘンな人がいっぱいいて
面白いですね!(^^)
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こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。