今回は
大正時代末期から昭和20年代初頭にかけて活躍し
横光利一の「上海」
のご紹介をいたします。
内容はざっくり言うとこんな感じ。
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時は1925年(大正14年)
舞台は日本や欧米列強の植民地となっていた
中国の上海。
主人公は日本人銀行マンの参木。
彼を軸として
ダンサーの宮子
(欧米紳士にモテモテ。参木の友人の甲谷も夢中になってプロポーズしている)
お杉
(参木に気に入られたことがアダとなり、勤めていたソープランドを解雇されてしまったため売春婦に……)
オルガ
(ロシア革命により国を追われ、参木の友人であるアジア主義者山口の所有物のようになっている精神不安定な元貴族令嬢)
芳秋蘭
(甲谷の兄である高重が経営している紡績工場に女工として潜入しながら、共産党の活動をする中国人女性)
───といった女性達が
皆ことごとく
参木を好きになり
彼とくっついたり離れたりしているうちに
高重が経営する紡績工場で
中国人労働者達の暴動が起こり
それを鎮圧するために警備員が発砲したのをきっかけとして
中国民衆の暴動はさらにエスカレート。
彼らが全面的にストライキを起こしたため
街の機能は完全にストップし
ついに
暴徒が暴れて大混乱!!
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───なんか、こんな風にまとめてしまうと
見も蓋もないような気もするんですが…… (-_-;)
でも、こんな感じで間違ってはいないと思います。
この小説は
1925年5月30日に実際にあった
5.30事件(ごさんじゅうじけん)という
中国民衆による反植民地闘争を題材にしているのですが
外国勢力に一方的に食い物にされていた
中国の悲哀
とか
革命によって故郷を追われ
異国の地で物乞い同然の生活をしなければならなくなった
ロシア貴族の悲劇
などの
深刻な事も確かに描かれてはいるのですが
読み終えて
私が一番考えさせられてしまったのは
「なんで参木ばっかりが
こんなに異常にモテまくっているの!?」
という不可解さについてでした。
……とりあえず
主人公だから……?
それにしても
参木という人の人物造形は
自己主張がほとんどなく
浮草みたいに
状況に流されてるだけの人
って感じなんですよね。
中国人暴徒が外国人を標的にして襲い始めた時にも
わざとフラフラ外を出歩いたりして
「別に殺されてもいいや〜」
みたいな感じの
あんまり生命力の感じられないような人。
私(女性)の目から見ると
正直そんなに魅力的とは思えない……
(むしろ、なんかイラつく)
そんな彼が
不自然なほどモテまくっているのは
彼によって繋げておかないと
女性たちの話が
それぞれ独立した
オムニバス形式になっちゃうからなのかなあ。
(つまり参木はセロテープみたいなもん)
─── なんて思ってしまいました。
あっ
こんな事を言うと、まるで貶しているようですね。
でも作品としては
面白く読めましたよ!
お杉が汚れた川をボンヤリ眺めながら
物思いにふけっている場面などはとても印象でしたし。
ただやっぱり
ど~~うにも不自然に感じられる所があったりして
引っかかっちゃうんですよねぇ……。
特に引っかかりを感じてしまったのが
ラスト近くにあるシーン ───
中国人暴徒に襲われた参木は
河口の欄干から放り投げられて
下に係留してあった小舟の中に落とされるのですが
それは
街の排せつ物をため込んでいる舟!!
(肥溜めみたいなもん)
そのため
彼は全身汚物まみれになってしまいます。
ほどなくして
暴徒たちが立ち去ったのを見届けた参木は
上着とズボンを脱ぎ棄て
その近くに住むお杉の家に泊めてもらいに行きます。
参木の事が好きで好きでたまらないお杉は
彼が来てくれたことが夢のように嬉しいので
疲れて眠ってしまった彼の匂いを
「うふふ❤」
みたいな感じで密かに嗅いだりします。
その時の描写がこちら
お杉は参木の匂ひを嗅ぎ溜めておくやうに大きく息を吸ひ込むと、ふと、お柳の家を首になつた夜の出来事を思ひ出した。
ちなみにこのお柳というのはソープランドの経営者。
実は彼女も人妻でありながら 参木に惚れているのです。
問題はこの場面
参木は汚物まみれのまま。
シャワーとかお風呂とかいう描写は、それまでに一切なし!
─── ということ。
お杉は
自分の部屋の乱雑さが恥ずかしくて
夜なのに明かりを消したまま
という状況なのですが
朝になって
汚物まみれのまま
布団に横たわっている参木を見たら
度肝抜かしちゃうんじゃないのかな!!
ていうか
よく匂いでわからないもんだな!!
─── これが新感覚というものなのでしょうか。
新感覚派恐るべし……。
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