先日、
私は直木三十五が書いた
「大衆文芸作法」
という論文を読みました。
直木三十五と言えば
エンターテインメント小説に贈られるビッグタイトル
直木賞の由来ともなっている
戦前の花形大衆小説家。
いわば
エンタメ小説の
レジェンド
的存在です。
このレジェンドが
「大衆小説(=エンタメ小説)はどう書いたら良いか」
という事について語っている
この「大衆文芸作法」
小説を書いている人は
ちょっと気になったりしませんか?
それでは
エンタメ小説の神
直木三十五による
「ウケる小説を書くキモ」
とは
一体どんなことが書かれていたのか!?
ご紹介させていただきます。
この論文の最初の方で
まず直木は
日本のエンタメ小説事情がどのように推移、興亡してきたかについて語っています。
それによりますと ────
江戸時代から続いてきた通俗小説(エンタメ小説=大衆小説)は
幕末になるとすっかり堕落し
お上には無批判、話は型に嵌っている上に大体が勧善懲悪というパターン、空想力も全く貧弱という
つまらないものになり果てていたそうです。
そこにペリーの黒船がやってきて
外国から探偵小説や冒険小説などの面白い小説がどんどん入って来るようになり
それらを翻訳した小説が日本の読者を喜ばせるようになりました。
やがて
日本の作家たちもそれに刺激され
探偵小説や冒険小説
そして
わくわくするような少年文学を書き始めるようになりました。
読者受けのする通俗小説は
明治30年頃には絶頂期を迎えます。
この頃には
徳冨蘆花の「不如帰」
後世に残る通俗小説の名作が生み出されました。
この時代はまさに
通俗小説の黄金時代!
通俗小説以外に文芸は皆無
と言っても良い状態だったのです。
だが
しかし
ここに偉大なる
4人の文芸批評家が出現します。
のビッグ4です。
彼らは口をそろえて文学の正当性を論じ
純粋文芸の必要を力説、主張し
堂々たる文学論を戦わせました。
文芸を正道に帰そう
という
彼らの言っている事は
全く正しかった!
ゆえに
彼らの文学論は文壇の中で
圧倒的な勢力を占めるようになったのです。
文学者、小説作者たちはことごとく通俗小説を捨て去り
彼らの元にはせ参じるようになりました。
彼らの主張は正しかった!
しかし!
その反動で文芸は
文壇小説(=純文学)一種類のようになってしまいました。
さらに、自然主義文学(事実をありのままに書くべし!派)がはびこりはじめ
エンタメ的な興味を否定したものだから
面白くない小説ばかりが
書かれるようになってしまいました……。
こうして大衆文芸は
いちどは沈滞の極みに達したのです。
しかし!
中里介山が「大菩薩峠」を東京都新聞に掲載したのを皮切りとして
大衆文芸が復活しました。
やっぱり読者としても
面白いものが読みたいですものね!
直木は自分が編集していた「苦楽」という雑誌上に
自分を始め
有名な文壇人士達に書いてもらった通俗小説を掲載しました。
こうして
大衆文芸の機運が本格的に動き始めたのです。
やがて
などなどの優れた書き手たちが現れて
新しい大衆文芸を提供し始めるようになりました。
そうして今日(大正末~昭和初期)
ここまでの
大衆文芸の隆盛を見る事になったのです!
以上が
直木三十五の視点からとらえた
明治初期~大正期までの
大衆文芸をとりまく文芸界の流れです。
(異論も多くあるかもしれませんが
これはあくまで
直木三十五の主張ですので……。)
さてこれから先は
いよいよ
「大衆文芸」はどう書くべきか?
という所に入って行きます。
まずは文章に関してですが
直木は
「大衆文芸はわかりやすい文章で書くべし」
と言っています。
大衆文芸に於ける文章は、記述の明晰にして理解しやすい事を、第一条件とする。
つまり、「話すが如く書く」ことを根本原則とするのである
なるほど~。
そこの所が
芸術性を第一とする純文学とは違う所なんですね。
一般の人達が好むのは、要するに、文章の「朗らかさ」であり、「明快さ」である。
大衆文芸の第一の使命が、むずかしい思想や論議を解説的に、通俗的に事件の興味によって、読者を惹きつけながら説明することがあるからには、
文章は絶対的に、出来得る限り「話すように書くべし」という原則を破ってはならぬ。
そして彼は
このようにも言っています。
名文とは、難渋な表現、難解な形容詞を使った文章をのみ指すのでは絶対にないからである。
話すように書くことは、一見あたかも平易に見えるが、事実は、反対に最も困難なことであるのを、諸君は知るであろう。
直木がこの文章を書いていた当時
大衆文芸の中心となっていたのは
時代小説や歴史小説でした。
(これらは今でも人気ですものね~)
そのため
歴史小説を書くにあたっての心構えに関しても
史実やリアリティを
大切にしないといけない
として
以下のように語っています。
素より、歴史小説は、芸術的な小説であって、断じて、教科書的な、無味乾燥の記述ではない。
けれども史実を無視した歴史小説はどんなにか読者に馬鹿馬鹿しさを与えることだろう。
(中略)
文学を志す者は、須く従来の、伝統的な悪風を捨てて、「天才」の表面的模倣に暇を潰すよりも、科学を研究すべきである。
歴史小説を書くものは、小説家であると同時に史家でなければならぬ。
この当時
大衆が喜んで受け入れていた文学や映画は
もっぱら
恋愛モノとチャンバラでした。
直木いわく
「日本人は昔から
チャンバラが大好き」
だそうですよ。
一般に、芸術的非芸術的を別にして小説をうけるように、売れるようにするには、
則ち通俗的に面白くするにはどんな要素を具備してしたらいいだろうか、という問題にたち戻って考えよう。
これから先は
直木三十五が考える
とにかくウケて売れる小説
を書く方法に入ります。
第一には、勿論
性欲──エロティシズムである。
うわー、
いきなり出たー!
って感じですね。(;・∀・)
性欲を検閲の許す範囲内で
充分センセーショナルに取り扱う、
則ち、
所謂エロチックに、感覚的に描写する。
ただし、
それだけではダメで
その一方で哲学なり、思想なり道徳なりを説明する。
な~るほど~……。
それがあれば、ただの官能小説よりも読者層は広がっていきそうですね。
説得力のある哲学、思想、道徳を織り交ぜるには
作者自身に相当な教養と
深い思索が必要になるでしょうね。
これに加味するに
剣戟(けんげき)をもってするならば、
日本人の最も好むものになるだろう。
俗うけのする大衆文芸を書こうというのなら、
その呼吸さえ心得ておけば、
うけること請合いである。
剣戟(※本来は「つるぎ」と「ほこ」、ひいては、「刀剣による戦い」)は
現代モノならさしずめ、アクションって所ですかね~。
お色気+アクション+哲学
で
ウケる事
まちがいなし!
実は、直木三十五
作家専業になる前は
映画業界に片足を突っ込んでいました。
何本もの映画を製作している間
「どうしたら大衆にウケるのか?」
という事に関しては
始終考え抜いていたんでしょうね。
(映画はコケると、損害が大きいですからね……)
成程、作家の芸術的良心はそれを許さないだろう。
が、
職業として、商売として、
作品の商品価値をのみ狙うときは、
一応心得ておくこともあながち不必要ではないだろう。
彼はさらに
ここにプラスアルファとして
「涙」が必要であると言います。
そうした意味で大衆文芸を見、今一層深く考えてみるに、
この上に「泣かせる」ことを加えることが肝要だ、
ということが云えるだろう。
芸術的作品にしても、通俗的作品にしても、芸術的作品価値は、第二の問題として、
俗うけのして、よく売れたという小説をみるのに、
すべて婦女子のみならず気の弱い男にも
涙を催させた作品であるのを見るだろう。
「金色夜叉」「不如帰」時代のもの殊に然りである。
それらは、特に「泣かせる」ことで成功した。
確かに。
単に面白可笑しいだけではなくて
ホロッとさせるようなところのある小説やドラマって
鑑賞し終えた後、なんか満足感があって
「良い作品を味わったなあ~」
って感じがしますよね……。
「金色夜叉」も「不如帰」も
私、大好きです。
だが、
今では、そんな風の「泣かせ方」ではすでに旧く、人は振り向くまい。
なな、なんですと?
令和の時代に「不如帰」を読んで、
私は泣かされたんですが……。
将来はやるであろうところの「涙」は、たとえ同じ「涙」にしても、
明るく、ほがらかで軽快で、ユーモアに富んだものでなくてはならぬ。
そうした「泣かせ方」が、今後、読者階級の翹望(ぎょうぼう)を満す喜びの泉となるだろう。
明るくほがらかな涙というと ────
「男はつらいよ」の
寅さんシリーズ
みたいな感じですかねえ。
むむ、難しそう……
あのようなものが書けるようになるためには
かなりの人生経験を積んで
人情の機微というものに精通しておく必要がありそうですが……。
さて、以上述べ来ったように、所謂大衆文芸に於て、現在最も欠乏しているのは、ほがらかさと涙であろう。
恋愛と剣戟とそれに今講じたような要素を巧みに織りまぜるならば、
現在のままでも大衆物はなお永続性をもっているに違いない。
だが、そんな心掛けだけでは、勿論文学的──芸術作品としては発達すべくもない。
たしかに……
こんなウケばっかり考えてるような創作姿勢
文芸評論家ビッグ4だったら
絶対に認めちゃくれないでしょうね……。
が、
ただ職業上の、
商品価値の点からいうなら、
一般受けすることは
請け合いである。
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