今回は
藤原摂関家にまつわる権力闘争と栄華の歴史を
紀伝体で鮮やかに描き出した歴史文学作品
「大鏡」のご紹介をいたします。
「~鏡(かがみ)」という題の四つの歴史物語 (四鏡…しきょう)
「大鏡」(おおかがみ)
「今鏡」(いまかがみ)
「水鏡」(みずかがみ)
「増鏡」(ますかがみ)
「大鏡」はその中でも一番古い物で
平安時代の1025(万寿2)年以後、40~50年から90年くらいの間に成立したのではないかと考えられています。
記述された時代の範囲は
文徳天皇の850(嘉祥3)年から
後一条天皇の1025(万寿2)年まで
14代 176年間となっております。
内容
京都の紫野にある雲林院という寺にて、菩提講が行われた時の事────
お坊さんの説教が始まるまでには、まだ大分時間がある様子……
そこで
参詣客の一人である大宅世継(おおやけのよつぎ)という190歳の老人が
昔馴染みだという夏山繁樹(なつやまのしげき)という180歳の老人と二人で
大勢の参詣客を前に、歴代天皇や藤原摂関家にまつわるあれやこれやの昔話を披露しはじめた。
彼らの語る話に興味しんしんの若侍も加わって
老人たちは
天皇家や藤原家にまつわる権力闘争の物語や人々の性格や趣味嗜好など
様々なエピソードを、次から次へと語り出していくのである ────
────とまあ
そんな感じの内容になっております。
ところで
夏山繁樹って
現代でも普通にいそうな名前じゃないですか?
平安時代の180歳のお爺ちゃんと同じ名前だなんて
縁起が良いですね!
「大鏡」の中では
様々なお話が紹介されているのですが
その中でも
私が個人的に印象深かった話といいますと
筑紫の配所で詠んだという、こちらの歌
海ならず たたへる水のそこまでに
清き心は 月ぞ照らさむ
(月光は海どころかそれより深い水の底まで照らしてくれるのだ。
澄み切った潔白な私の心も、天は御照覧なさるであろう)
菅原道真と言えば
「こち吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」
の歌が有名ですが
この「海ならず……」の歌も、味わい深いですよねぇ……。
また、その他にも
藤原実資(藤原実頼の孫…祖父の養子となりトントン拍子に右大臣にまで出世)の娘が
「かぐや姫」という名前だったとか
やたらと気が強くてイジワルな性格だったりとか
藤原伊尹(これまさ)との出世争いに敗れた藤原朝成(あさひら)が
恨みを募らせ、ついには悪霊となって
伊尹の子孫たちに祟るようになった……とか
その朝成の悪霊に付け狙われていて
そのストーキングしている様子が
なぜか道長の夢に出て来たりした……とか
「えっ!」
と驚いてしまうようなエピソードが満載で、大変に面白かったです。
中でも
藤原道隆の三女にあたるお姫様(道長にとっては姪)のぶっ飛び具合は
あまりにも強烈で信じられない位でしたので
その詳細は別途
こちらの記事にてご紹介しております。
藤原氏の栄華を讃える物語としては
これより少し前に「栄花物語」が
編年体(起こった出来事を年代順に書くやり方)でつくられています。
一方「大鏡」は
人物ごとのエピソードを中心に歴史を綴る
紀伝体というやり方でなされています。
「栄花物語」の作者が女性であろうと思われているのに対し
「大鏡」の作者は男性であろうと言われております。
その作者としては
かつては
藤原為業 (ためなり…平安時代後期の人、出家して寂念と名乗る)
藤原資国 (すけくに…平安時代中期の人、篳篥《ひちりき》の名手である藤原遠理の弟。堤中納言兼輔の曾孫)
などの説がとなえられていましたが
その後は
源道方 (みちかた…平安時代中期の人、「がむしゃら男」と謳われた藤原隆家の妻の兄弟)
源俊房 (としふさ…平安時代中~後期の人・能書家・藤原道長の孫)
源顕房 (あきふさ…平安時代後期の人・歌人。堀河天皇の外祖父。藤原道長の孫)
など
色々な説があるようです。
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