今回は、アメリカの作家
スコット・フィッツジェラルド(1896-1940)の代表作
「華麗なるギャツビー」(野崎孝訳)
のご紹介をいたします。
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あらすじ
ニューヨークの海岸沿いに大豪邸を構え
週末ごとにド派手なパーティーを開いて
大勢の有名人を集めている
若き大富豪ギャツビー。
面白おかしい社交の場を目当てに
たくさんの人々がやって来るのだが
彼らは主催者のギャツビーと
ことさら親しむことはなく
めいめい勝手に盛り上がっている。
一方
ギャツビー自身も
このパーティーをそれほど楽しんでいる様子でもない。
それでは一体
何のためにこんな事をやっているのか?
というと
それは
ギャツビーが
かつての恋人デイズィに向けて
大富豪となった自分自身をアピールし
彼女の心を取り戻すために他ならなかった。
大金持ちの令嬢だったデイズィは
これまた大金持ちのお坊ちゃまであったトムと結婚し
今は
ギャツビーの屋敷とは湾を挟んだ対岸に
邸宅を構えて暮らしている。
庶民の生まれであったギャツビーは
貧乏であることに引け目を感じ
恋人だったデイズィとの結婚を諦めたのであるが
「いずれは大富豪に成り上がり
彼女の心を奪い返して見せる!」
と、野望に燃えていたのである。
表立っては言えないような
様々な悪事に手を染めながら
ついに
大富豪となりおおせて
この地へやってきたギャツビー。
一方
デイズィの方はと言えば
夫婦の間に可愛い娘は生まれたものの
夫は人妻と浮気をしていて
彼女は空虚な心を抱えていた。
ギャツビーにとっては
トムからデイズィを奪い返す
絶好のチャンスである。
堂々たる大富豪となったギャツビーと再会して
デイズィの恋心に再び火がともる。
こうして
ギャツビーの思惑通りに事は進んでいく……
───かのように思われたのだが…………
───とまあ
そんなかんじの物語なのですが
この先はネタバレになってしまうので
ここまでにしておきます。
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まるで誘蛾灯のように大勢の人々を集め
最高に楽しい人生を過ごしているように装っているギャツビー。
けれども本当の所は
隣に住む青年ニック(語り手)以外には
誰一人として心の繋がりを持っている人がいないのです。
彼の所に集まって来る人々は
彼が開く華やかなパーティーを
単に
社交の場として利用しているだけ。
虚しいですね……。
ギャツビーに唯一心を寄せているニックは
彼らの打算的態度に対して
憤ったりしているのですけれど
ギャツビー自身にしても
集まって来る人々を
デイズィにアピールするために
自らを飾り立てる装身具
ぐらいにしか考えていないんですから
お互いさまとしか言いようがありません。
一見華やかな「リア充生活」だけれども
そこには打算的な付き合いしか存在しないから
ものすごく
寒々しい!
───でもこういう事って
我々の生活の中にも結構ありそうな気がします。
「友達いっぱいでいつも賑やか」
そんな風に見えている人が
必ずしもハッピーだとは限らない。
心と心の繋がりがちゃんとなければ……。
なんて言って
小学生のうちから
「友達がいっぱいいるのが良い」
みたいに教育されていますけれど
友達は「数」じゃありません。
だいたい
そんなにいっぺんに大勢の人と
「深い心の繋がり」なんて
出来っこありません。
心の繋がった人がいてくれるなら
それは
たった一人だったとしても
幸せなことなんです。
ギャツビーがニックに近づいたのは
当初は
彼がデイズィの遠縁の親戚だからという
打算からだったように思われます。
でも
あまりにも寂しいギャツビーにとって
ニックとの間に友情のような気持ちが
ほの芽生えてきたことは
救いだったような気がします。
あぁぁぁぁ……
それなのになぁ~
ギャツビーの中では
ニックとの友情よりは
ディズィへの愛情の方が圧倒的に重要なんですよ……(-"-)
しかも
そのディズィときたら
結構打算的だったりするんですよねぇ……。
ギャツビーの場合
惚れた腫れたに執念が凝り固まって
生きる目的になっちゃってますから……
これは小説だからいいようなものの
一歩間違えれば
ストーカーになりかねない
危険な精神状態のような気がします。
この物語は
1974年に、ロバート・レッドフォード主演で
2013年にはレオナルド・ディカプリオ主演で
映画化もされております。
美男美女がいっぱいで
目の保養になりそうですね!
今回私が読んだのはこちら。
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破滅への突っ走り方にはこんなパターンも。フローベール「ボヴァリー夫人」
こちらは私の本になります。よろしくお願いいたします。